宮崎といえば既に退任された「東国原知事」です。今宮崎のPRについて考える時、彼のことに触れないわけにはいきません。
ところが辞めてしまってからは反動で急激に売上が落ち込んでしまいました。これをなんとかしようと、先日宮崎県は東国原知事に代わる「ユルキャラ」を公募して誕生させたようです。「新キャラクターをお披露目=宮崎〔地域〕」(時事通信 2011.11.21)
厳しい言い方ですがこれでは何の打開策にもなっていないと思います。
ちょうど同じ頃、うどんで有名な香川県は「うどん県」というPRをはじめました。
有名な「うどん」を全面に押し出しながらも「うどん県 それだけじゃない香川県」としてうどん以外の特産品や観光地をアピールしています。全力でふざけながらもきっちりと観光アピールで手を抜いていない。おもいっきりふざけて完全に「PR」という体裁にすることで、本来持っている香川というブランドを傷つけない。そのあたりの棲み分けがきっちりできている素晴らしいPRだと思います。
宮崎に話を戻せば、東国原知事のシールを貼って売れたのはなぜなんでしょうか。答えは「話題性」です。「話題性」は「一過性」であり、すぐに忘れ去られていくもの。キャラクターを作れば話題になるわけでもなく、話題になったとしてもきっとすぐに「ブーム」は去っていくでしょう。
そこで本当に大事になるのはしっかりと地域の歴史に根ざした「宮崎ブランド」を作っていくことなのです。「話題」をつくるのはそれを知らしめるきっかけに過ぎません。「東国原知事⇒マンゴー」はよくても、「マンゴー=東国原知事」となってしまうことは避けなければなりません。まして「話題性」はあったけどブランドイメージは下がったということは言語道断。特産品そのものに東国原知事のシールを貼るような真似はしてはならないのです。
観光に目を向ければ、宮崎は「南国イメージ」を押し出しているようです。空港や道路脇には熱帯植物のフェニックスが多数植えられ、まるでグアムのような雰囲気です。なんと「県の木」もフェニックス。
観光は「脱日常」と考えると、これは正解だと思います。日常生活している風景とは別のところに行くことで気分をリフレッシュする。違う風景を見ることで日常を見直すことができる。私もこちらに転居する以前はそれなりに観光的な風景を楽しんでいましたが、転居を決めて宮崎を知るにつれ違和感を感じるようになりました。
なぜならそれは地域に根ざしたものではないからです。
宮崎には「宮」という漢字がつくように、宮崎は「神の国」ということができるからです。広く知られていませんが、古事記に記載された「天孫降臨の地」は宮崎といわれています(霧島・高千穂の二説が有力ですが、どちらも宮崎)。特に高千穂には国の重要無形民俗文化財に指定されている「神楽(かぐら)」という神事があります。山深くで夜通し鬼の面をつけて踊る姿は「日本はじまりの地」を思わせる神秘的なもの。自分が日本に生まれたことを改めて感じさせてくれるものです。
「太陽の国」というキャッチフレーズもあります。マンゴーにも「太陽の卵」という商標があります。なぜ「太陽」なのかと理由を聞くと「日照時間が長いから」という答えが返ってきますが、実はしっかりとした歴史的な裏付けもあります。詳しくは書きませんが、古事記・天照大御神・邪馬台国・卑弥呼・太陽信仰などは全てつながってくる言葉なのです。
これだけの材料が揃っているのです。なぜもっと歴史をアピールしないのでしょう。なぜグアムを想起するような南国イメージをアピールしたがるのでしょう。南国イメージと宮崎の歴史はつながりません。例えていうなら鬼がアロハシャツを着ているような感覚で、もったいないとしか言いようがありません。
こういった歴史的・文化的な背景を知ってもらえれば、それはそのまま農産物などのアピールにもつながります。「京野菜」「加賀野菜」と言われるように、「神の国」「太陽の国」で作られた「宮野菜」というブランドをつくれば付加価値もつけやすいのではないでしょうか。農産物の頭に「宮」をつけて「宮米」「宮茄子」「宮南瓜」など、充分「京野菜」に並ぶブランドを作れる勝算があると思います。
おそらくは「諸説あり」という言葉に遠慮しているのでしょう。でもそんなのは先に言ったもの勝ちです。逆に「関係ない」という方が難しいと思います。あるいは「神」という宗教的な言葉に遠慮しているのかもしれませんが、歴史を語ることが宗教なのでしょうか(日本人の自虐史観を批判したいところですがここでは触れません)。
しっかりと歴史に根ざした「脱日常」な「宮崎」というブランド---。
南国・ゆるキャラ・太陽というようなちぐはぐなアピール戦略ではなく、芯の通ったブランド戦略をしていただきたいものです。自分たちの生まれた風土に誇りをもっている宮崎の人なら必ずできると信じています。