QCVOL,3ではこれまでの領域横断型レクチャーという形式をとらず、一年間のインタビューサイトの運営というかたちで進めている。これまでの2回を振り返ってみて、VOL,1では物事を始める上での軸足の置き方を探るべく、「価値」について考え、続くVOL,2では、公共的な都市の景観や文化財を価値づけるということの問題を見ていくと共に、都市を形作っている様々な力学にふれることになった。VOL,3ではそれらの経緯をふまえつつ、そのような様々な力学の上に成り立つ都市に関わっている主体に目を向けている。一般的には思われていないが、建築家は都市に関わっているという自己イメージを持ち続けている。実際、彼らの活動のフィールドは都市の最中であり、戦後一部の建築家は実際都市空間へカタチを与えてきたこともある。しかしながら、残念な事に現在の都市は圧倒的に「建築家」によらずになりたっている。実際建築家の都市や街における存在感はうすい。
さて、ここに「タウンアーキテクト」なる言葉が存在している。一般的には、ある特定の地域にかかわりデザインディレクションを行なう建築家というような意味で使われる事が多い。けれどもそのような職種が確立されているのではなく、どちらかというと建築家の願望によって生み出された言葉のようにも思える。ゆえに実態はないのだが、都市に関わる主体について考えるための出発点としてこのタウンアーキテクトを召還してみたい。
ちなみに布野修司氏の著書「裸の建築家―タウンアーキテクト論序説 」ではタウンアーキテクトの必要性について、地域社会の疲弊をどのように再生させるか、一律のガイドラインやマニュアルを使ってのコントロールでない景観の形成、防災の視点から持続的に地域を見るということ、として提示され。またシステムとして運用していく上で、任期と権限と報酬の設定の重要性が述べられている。
さて、QCvol,3でのタウンアーキテクトについてのポイントは以下である。
1つめは、「タウン=地域」をどういう広がりでとらえるか、を考える
2つめは、「タウン=地域」が具体的にどんな問題を抱えているのか、を考える
3つめは、「タウン=地域」の「みんな」による決定のあり方を考える
4つめは、そこに主体的に関与するにはどうしたらいいか、を考える
「地域」といってもそのイメージは様々である。郊外、地方、集落、etc..そのように地域なるものがどのように表象されているのか。また、地理的、統計的、人類学的、社会的に見た時の地域のスケールのバリエーションはどのようになっているか。具体的な実践の報告から浮かび上がる問題は何か。さらには、解決にあたっての決定、判断をだれが行なうのか。そして主体的に建築家が関わっていく時に、どのように決定するのか、が問題になってくると思われる。
ともかく一番のねらいは、地域と建築/家との関係性をしっかりと見直してみること。 「建築」というフレーム越しにある「地域」という問題を様々な角度から見ていく。そこから「タウンアーキテクト」のあるべき姿を考え、ことによればその職能の微調整を考えてみたいと思っている。
QC vol,3は、こちらにて継続中