SPACE OURSELVES・・・新しい公共のかたち

「SPACE OURSELVES」というタイトルの展覧会を今年の5月に開催した。この展覧会は「rep」の特別バージョンとして構想され、最終的には16組の建築家が参加し、京都、東京、浜松と3カ所を巡回することになった。今回はこの展覧会がどのように構想され、またどのようなメッセージをもっているのかについて述べていく。

経緯から話そう。
311があり、そしてrepvol7として企画されていたイギリス人の建築家でありリサーチャーでもあるLiamYoungの個展が、DMの印刷まで終わっていたにもかかわらず、日本に送る作品の保険の問題で断念せざるを得ない状況におちいってしまった。時すでに3月の後半でこのままではGWをはさんだ時期にスペースとして穴をあける事になってしまう。repは毎回建築家とのやりとりにとても長い時間をかける。それは、その建築家が日頃設計やデザインの場面で意識する事なくもちいている建築的思考を対話の中、そして作品の観察中から読み込み、展覧会としてどのような作品に定着すればいいのかについて協議しながら進めていくからだ。ちょうどradlab.が情報誌で紹介されたりし、建築ギャラリーというふうに認知されだした頃であったので、なんとしてもGWにはスペースをオープンさせておきたいと思いがあり、さらには震災のせいになってしまうのがなんとなくしゃくでもあった。そこで少し考えていると上手い具合にこれまで考えてきた事が、複数のアイデアと結びつき、ひとつの企画書へと発展していった。結果、4月の最初の日に一日で企画書をかきあげ、その後数日でブラッシュアップをし、すぐに知り合いの建築家達にメールで参加の依頼を行なった。反応は様々であったが最終的に14組という予想以上の建築家達が参加してくれる事になった。すぐに友人のグラフィックデザイナーに協力を求めDMを作成し、告知をおこなった。なにより大変だったのが、14人分の作品や情報の管理。これまでは一人相手だったのに毎日膨大な量のメールとやりとりに追われる事になった。また、14台分の模型台の作成や、会場構成も大きな問題であったが、優秀な学生達にたすけられ無事間に合わせる事ができた。そうして展覧会はオープンへとこぎ着ける事ができた。

さて、以上のようなおおざっぱではあるが経緯で展覧会は実施されることとなったのだが、ここで我々は何を問いたかったのか。基本的に個展と異なり、グループ展というのはキュレーション側の問いかけに対しての作家側からの応答によって成り立っていると思っている。なのでrepでグループ展を行なうにあたって我々からの建築家への投げかけは以下のようなものだった。まず、この建築は「新しい公共のかたち」を具現化しているということ、そして少なくともその建築に関わる人々自身の手でつくる事が可能な工法であること、模型は作品として販売しその販売金額と建設費が同程度であること。ゆえにそこには直接的に震災への応答を求めてはおらず、むしろこのような状況だからこそ、建築家がどのような公共性を建築として提示するのかを求めた。そもそもはこの公共性については、昨年からずーと考えたいと思っていた事であった。当時あちこちで建築の社会性についての議論がおこなわれていたようにおもう。そこで言われている社会性というのが実は「公共性」と同じ事なのではないかと思っていた。公共性も幾分広い概念であるが、そこには空間的なイメージができる。そう考えると社会性というような漠然としすぎた(つまり人が社会的な生き物である以上、すべての物事はすくなからず社会的である)言葉よりも、公共という状況を作り出す具体的な建築のあり方を真摯に考えるべきなのではないかと思うようになっていた。くしくも民主党政権によって「新しい公共」というフレーズがちまたにあふれかけていた頃ではあったが、ではこの「新しい公共」の器としての建築に建築家はどのような「かたち」を与えるのだろうかということだ。

また、同時に311の災害の映像は、95年の阪神淡路大震災の仮設住宅のさみしい情景を思い浮かばせた。そこには何か生き生きとしたものが空間から抜け落ちていた。その様子は地方都市に必ず存在する不必要に立派で設備も整っているが、誰も使わない公共施設にもにている。それらは公共施設ではあるが、そこでの公共とは単にオフィシャルということしか意味しない。誰のものでもあるけれど誰のものでもない。その感覚は、震災によって住む場所を追われ、仮設として住居を一方的に与えられ生活していく感覚に通じるような気がしていた。そこには、空間と人の関係が一元的でしかなく、有機的な人と建築との関係が見いだされない。ではどうすればいいのか。そこで考えたのが建築家への問いかけでもある、「少なくともその建築に関わる人々自身の手でつくる事が可能な工法であること」ということだ。DIYという言葉があるが、そのように能動的に物事に働きかけていくイメージを、空間に適応させてみようと思った。ただし、yourselfのような個人ではなく、その共同体の成員からなる私たちによってourselves(その中には建築家自身もはいるかもしれない)働きかけが行なわれる空間のイメージである。それがSPACE OURSELVESというタイトルに繋がっていく。

(続く)

ブロガー:川勝真一
2011年11月30日 / 00:30

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