あらためまして、同期ブロガーのヒデホマレさん、はじめまして。そして臼井さん、お久しぶりです。
編集の斎藤さんからお話をお聞きしていて、出国前にお二人の活動の現場を見てみたかったのですが、とうとうできずじまいでした。ブログでの活動紹介、楽しみにしています!
こういったパブリックなメディアで自身のブログを書くというのはどんな文体にしようか考えてしまいますが、今回は自己紹介を兼ねて、メキシコでコミュニティ・ベースド・アートのリサーチをするに至った個人的な経緯を書こうと思います。
なぜコミュニティのリサーチなのか
そもそも私のアートマネジメントへの関心は、「何らかの表現が誰にとってどのような意味を持って伝わるのか」ということから始まっています。「何らかの表現」はアート作品やプロジェクトそのものが持つ表現だけでなく、マネジメントの過程で作成する企画書やプレスリリース、ワークショップや展覧会の会場で、企画の意図を第三者へ伝える言葉のことも指しています。
そしてなかでも「誰」、つまり表現を受け取る側、表現される側の人たちのことをどのように想像できるか、というのが私にとっての最重要課題でした。
自分の経験と異なる環境で生きてきた人たちについて、個々人を思い浮かべるには多様さに圧倒されるし、大衆として考えるにはあまりにも大雑把すぎる。というとき、私にとっては、社会のある領域、階層、ネットワーク、属性といった何らかによって社会化された個人のニーズをリアルタイムに反映しているコミュニティという単位が、最も感触のようなものを感じられる対象になっていきました。
主な経験となっているのは、HIV/エイズという課題を共有する人たちのコミュニティと共同で行った、ブブ・ド・ラ・マドレーヌプロデュースによるkavcaapアートプロジェクト「HIV/エイズー未来のドキュメントー」★1、そして地域コミュニティを念頭に置いた山口県の秋吉台国際芸術村での活動です。さらにここ数年は、以前このブログで執筆していたhanareの須川咲子さんやkajicoのように、そもそものコミュニティの定義づけや、コミュニティをオーガナイズする方法そのものを試みる同年代の人たちの活動を身近に見ていました。
それぞれにコミュニティへのアプローチや共働のあり方が異なっていて一概に比較できないのですが、コミュニティを単位にアートマネジメントを考えることには次のような長所を感じています。
1つ目は、コミュニティと認識されるコミュニティは立場や獲得しようとする環境を表明していることが一般的で、社会で顕在しやすいため、アクセスしやすいということ。2つ目に社会や世界の大きな単位では見落としてしまう視点やネットワークや歴史を、コミュニティの単位では丁寧にすくい上げることができるということ。3つ目に試行錯誤してきたコミュニティの活動には、誰にとって何が必要なのか、そのために必要なネットワークの考え方や普及の方法についての研究と実践が蓄積されているということ。すばらしいなと思うコミュニティはたいてい伝える方法に長けていて、とても自然に彼らの視点や知恵を教えてもらうことができます。これは、アートマネジメントの立場からもとても参考になります。
メキシコのコミュニティ
メキシコの場合、基本的には家族という強くて大きなコミュニティがあります。
ですが家族の外に出た場合のコミュニティについては、私にはまだこれということが言えないし、このブログを書いている3ヶ月の間にも絶対に言えないような気がしています。貧富の差や人種や民族、宗教など、あまりにも多様で入り交じっていて、日本の状況と比較するだけではとても足りない。スペインの入植によってメキシコという国家の領域ができるまで、ここは無数の先住民が住むラテンアメリカの一地帯だったということを考えると、そもそもメキシコという単位で語ることが難しいのだと思います。
そういった経緯で、今回のメキシコでのコミュニティ・ベースド・アートのリサーチは、メキシコで活動する何人かのアーティストの視点を通してアートとコミュニティの関係のポジティブモデルを見つけること、コミュニティの中に内在している文化や芸術を発見すること、を目標にしています。
註
★1──2005年に神戸で行われた第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議(7th ICAAP)の文化プログラムの一つとして、2003〜2005年に神戸アートビレッジセンターで開催。HIV感染やエイズの影響を受けやすい若者を主な対象に「アートのインパクトをもってHIV/エイズについての必要な情報と正しい知識を伝える」ことを目的とした展示や映像上映、シンポジウムなどが行われた。
[...] 突然ですが思い切って語ると、私の夢は過去に美術や音楽や踊りが生まれたみたいに、現代の社会に暮らす人々のふるまいや思想の中から試みられかたちを現すような文化や芸術の生まれたり育まれる場に立ち会うことです。 今回渡墨するにあたって、民衆による革命、壁画運動のような社会運動と結びついた芸術の歴史を持つメキシコでは、民衆のニーズから文化芸術が生まれるシーンに出会えるんじゃないか、という漠然とした期待がありました。 実際には今、第2回ブログで書いたリサーチ目標の「コミュニティの中に内在している文化や芸術を発見すること」は、正直言って難しいと感じています。当事者が文化や芸術と認識したり表明したりしていないようなものについて情報を集め、文化芸術だと認識することがとても難しいからです。 [...]
ピンバック by 駅前の庭とディエゴ・テオ(シエンプレオトラベス) « artscape blog — 2012年2月29日 @ 18:18