こんにちは、臼井です。ブログの更新も8回目。今回は岸井大輔さんの《こどもkichi》の2回目です。前回のテーマを引き受けて、「遊ぶこと」と「公共事業」について。
「砂場」のような物語の場
「遊ぶこと」は即興的でそのプロセスはめまぐるしい変化に富み、完成することはありえません。土をみて穴が掘りたくなったら、掘って出た土を見て山をつくりたくなり、山を見てトンネルを掘りたくなり、トンネルを見て水を流したくなるでしょう。そして最後はぐちゃぐちゃにして泥まみれになる。そして次の日にまた繰り返す。「勝手に”川”をつくるな」とか「そこに穴ほったら”山”が崩れるだろ!」とかケンカもすれば、「あ、そこに水溜めるのいいね!」みたいなノリを生むことも多々あります。それぞれが思い描いている世界があって、衝突したり、融合したりする現場として「砂場」は社会の縮図のように思えます。
《こどもkichi》を見ていて思い浮かべたのは、この絶えざる融合と衝突の現場としての「砂場」でした。ペンキを本当に自由に使わせたら部屋中ぐっちゃぐちゃになってしまい楽しい世界はできない。床や道路にぶちまけるなど様々な失敗を通して、「床にペンキを垂らしたらその日はペンキ終わり」というルールをつくることで、ペンキを垂らさないように丁寧に塗る技術を習得していったとのこと。人と空間をつくりかえていくグルーヴと、共存するためのチューニング(あるいは「自治」)の方法をここで学んでいく。古くなった民家で、子どもと大人も混ざり合いながら、《こどもkichi》は「砂場」のような物語の場でした。奇しくも、ぼくが行った数日後にこの場所は取り壊されます。
「遊ぶ」ための公共事業
こんなふうにして遊びが生まれ、そしてそれが「東京アートポイント計画」という公共事業の1つのモデルになった。ぼくはこの《子どもkichi》が「空き家」を使ったことに大きな希望を見ています。戦後以降、人口の増加に伴ってガンガン家をつくり続けてきた日本ですが、人口の減少が始まり、すでに多くが「空き家」になり始めています。土があって、自由にほじくって遊べる「空き地」を埋め尽くしてきた建築を、もう一度遊び場にできる時代になったんだなぁと感じます。そしれそこでの遊びは《こどもkichi》の事例を見ればわかるように、子どもたちや周囲の大人たちとの新しい関係を築いていく仕掛けになっていきます。純粋な消費としての遊びではなく、遊びの周囲に様々な波紋を呼ぶシステムになっているといえるでしょう。
もちろん、法律とか権利の問題でそう簡単にはいかないでしょう。その場所に「活動」を入れ込んでいく法的、人的な手続きが必要になる。これがもし「空き家の活用」を目的とする「公共事業」であるならば、空き家で何かできることになったとしても、そこから先は子どもと共につくっていかなくてはなりません。ここで遊ぶことを選んだ子どもたちは、(図らずして)この「公共事業」の主体になっていきます。
子どもたちに遊びを提供するのではなく、彼らの「遊ぶ」をもって行為とともに場所を活用していく協働が必要になる。そういう場所を想像し、創造していくリテラシーのようなものが、ぼくは今必要なんじゃないかと思っているわけです。
!!次回予告!!
さてさて、次回からは本業の「アーティスト・イン・児童館」のことを書いていこうと思います。
現在アーティストユニット「Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)」が中高生がたまる児童館、練馬区立中村児童館でプロジェクト《全児童自動館》を展開中。3月17日のビッグイベントに向けて、制作が始まっています。お楽しみに。