Dialogue Tour 2010

第4回:CAAK Lecture 35 中崎透「遊戯室について」@CAAK[ディスカッション]

中崎透/鷲田めるろ2010年10月15日号

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スペースは作品か

鷲田──今日のお話を聞いていて、特に大事だと思った点は、アーティストにはスランプや実験の時期があるということです。私は美術館でもキュレーターをしていて、CAAKのスペースにも関わっていますが、美術館で展覧会をやろうというときは、どうしても一番おもしろい作家の一番おもしろいものを見せたいと思ってしまいます。でも、そうではなくてもいい場所も大事で、それを作家と一緒に見られる場所がつくられるといいなと思っています。CAAKは美術館ではできない企画を行なったり、企画者自身もあまり詳しく知らない作家、たまたま来た人に話をしてもらったりするということでは、そうした場所に近いのかなと思いました。
 ところで、遊戯室の名前の由来はなんですか。

中崎──ムサビで始めるときに友人とネタ出しをしていて、「遊戯室」は英語にしたら「プレイルーム」でなんだか響きもおかしいし、やりたいことのイメージとも合っていたので採用しました。「中崎透遊戯室」と個人名をつけたのは、そのころはコマーシャルギャラリーにも個人名を冠したものが増えていた時期で、そういうオシャレな感じにもしたいけど、ちょっとずらしたいなということで漢字にしました。それと、自己責任というか、「自分がやめるときにやめる。誰かに引き継いだりもしない」といった意思表示もあったと思います。水戸に移ったときは、全然違う名前にしようと思っていていろいろ考えましたが、遠藤くんも「遊戯室がいいんじゃない」と言ってくれたので、二人の名前を冠して継続しました。あと水戸芸の最初の展覧会が「作法の遊戯」(1990)というタイトルだったこともあって、これも縁かなと思い決まっていきました。

会場──「遊戯室」自体が中崎さんの表現だという認識に変わっていったのはいつですか。そのきっかけは、内発的なものなのか、周囲のリアクションなどの外発的なものなのか聞かせてください。

中崎──スペースを運営していることが作品なのですかと聞かれたら、たぶん違うと応えます。なにかの展覧会のときに、実績欄の行数をとりあえず埋めなきゃという感じで「遊戯室プロジェクト」と書いたことがあって、作品としてとらえてもいいかなと思ったことがあったり、大学に企画書を出すときに「作品なんです」と言わないと事務手続きが通らないなんてことがあったりはしますが、実際自分のこととして考えると、この行為が作品かどうかははっきり言えません。遊戯室でやった作家の展覧会は作家のものだし、それが入れ子の中の作品ですよと言うつもりも全然なくて、場をつくる僕たちはなるべく中立な立場でいたいと思います。そういう意味では作品ではありませんと言いたいですね。ただ、使い方として、状況に応じて「プロジェクトとしてスペースもやってます」と言ったりはします。


中崎氏

美術館との関係

会場──遊戯室のある水戸と金沢で共通するのは、両方とも近くに公立の美術館があることです。その共存関係について聞かせてください。

中崎──水戸に実家がなかったらあのタイミングで移っていなかったですね。10年ぐらい東京で活動をしていて、僕のまわりでも水戸芸術館は年に1回くらいは観に行く場所だったので、水戸に居れば僕に会いに来るかどうかは別として、美術館が目的でみんなが年に1回くらいは来るだろうという目論見はありました。
 始めてから難しいなと思ったのは、美術館と対等な関係がつくれるかという点です。僕は水戸出身なので、一応“地元作家”なんですが、地元作家にカテゴライズされる面倒くささっていうのがあって、そこにはあまりカテゴライズされないようにしたいと思っていました。この微妙なニュアンスって難しいんですけど、なんというか、作品も含めて美術館と対等な関係がつくれている地元作家がほとんどいない印象を持っています。それはもちろん作品の質の問題もあるのですが、地元作家と括られることで無意識な色眼鏡で見られることは少なからずあると僕は思っていて、そこから抜け出すことはなかなか難しかったりします。別に水戸の話というわけではなくて、いろいろな地方のプロジェクトに関わっているうちにそういう状況をちょくちょく見かけたりしていました。なので、水戸以外の場所で会っても対等に仕事ができるヤツがたまたま近くにいるくらいの関係が美術館と築けたら有意義だろうと思いました。でもそれは学芸員の人はたぶん気付かないことだし、もちろん観客から見えることでもないから、作家だけが意識することなのかもしれませんね。

鷲田──私は美術館にもCAAKにも両方関わっていますが、前の世代のオルタナティブスペースをやっていた人たちには、美術館に対抗するような意識が強かったと思います。でも、ここや中崎くんのところは、規模がはるかに小さいということもあり、美術館の人的資源を流用するようなスタンスだと思います。でも、小さいからこそ可能な、美術館ではできないことをやりたいとは思っています。たとえば、さきほど話が出た、あまりうまくいっていない時期の作家と話す機会を設けるとか。美術館が公式に招へいしているのではないけれども、作家と知り合いで、ボランティアで関わりたいと言って金沢以外のところからくる若いアーティストの滞在場所になるとか。多少なりとも相互補完的なスペースが街の中にある状態をつくれればと思っています。

中崎──でも、毎回、展覧会の目標は「打倒!水戸芸!!」が合言葉です。結構、本気です。そのうえで、もちろんたくさん流用させていただいています。実際のところ、相互補完的な機能というのは始めた当初も意識していたと思います。大きいところだからできること、小さいところだからできることを都市の中で使い分けているイメージというか。それから、都市の特性を考えると、近くに美術館があるなしだけではなく、都市間の距離も大きな意味がありますよね。水戸は東京から100kmちょっとですが、これくらい近いと元気な子は東京に行ってしまいます。つい最近まで青森で滞在制作をしていたのですが、青森は一番近い本州の100万人都市の仙台まで400km離れているので、それだけ遠いとあきらめがついて地元で動くみたいなこともあるみたいです。だからおもしろい奴がぽつぽつと残って変な文化が生まれることとか、土地を読み込んでいったときに効果的な動き方が場所毎に変わるという土地性は、すごくおもしろい。僕が水戸のやり方を金沢でやってもうまくいかないところもあるし、でも共通するところもあるんだろうなと思います。

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  • Dialogue Tour 2010とは

中崎透

1976年茨城県生まれ。美術家。武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程満期単位取得退学。現在、茨城県水戸市を拠点に活動。言葉やイメージと...

鷲田めるろ

1973年生まれ。キュレーター。元金沢21世紀美術館キュレーター(1999年〜2018年)。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館...