artscape開設15周年記念企画
はじめに──現代美術2.0宣言
かつて現代美術と見る人の接点は、美術館やギャラリー、大規模な国際展、行政や大学などが主導するアート・プロジェクトなどであった。そこではワークショップやボランティアなど、理念として主体的な参加がうながされることがあったとしても、しっかりした組織があらかじめ用意した場に、部分的に参加するだけに限られていた。いかに既存の制度に対抗する場に見えたとしても、人に知ってもらえるほどの規模で作品展示やプロジェクトを行なうためには、それなりの予算や人手が必要であり、そのためには、助成金を獲得するスキルや、大勢の人をマネージメントするための組織、そして人を巻き込むだけのリーダーの有名性とバイタリティが必要であったのだ。村上隆も中村政人も北川フラムも、リーダーとして最大の努力をして、GEISAIや3331や越後妻有といった新しい場を切り開いてきた。
しかし、そこにtwitterなどのソーシャルメディアが登場した。努力してスマートなウェブサイトを立ち上げるどころか、パソコンに向かうことすらなく、ちょっとした空き時間にiPhoneからイベントの告知ができ、イベントの最中に、レポートを届けることができるようになった。さらに、ソーシャルメディアはネットワークを生成する。「今晩集まるよ」という告知が、関心ある人のもとへ瞬時に届くようになったのだ。このことと、地方都市における家賃の安さという要因が組み合わさり、この3年ほどのあいだに、日本の地方都市において、新しいスタイルのアートスペースが同時発生的に生まれた。それは、自宅やアトリエの空き部屋や、わずかなお金を出し合って借りた共有のスペースを拠点とし、その都市に外から人が訪れたことをきっかけとし、飲み物や食べ物を持ち寄って集まり、その場で議論や作品の発表を行ない、それをブログやUSTREAMなどを通じて発信するというスタイルである。これにアーティストの滞在や制作場所の提供が加わることもある。
こうした活動の特徴は、とにかく「ゆるい」ということである。たいした助成金ももらっていないので、「年間の事業計画」をでっちあげる必要もなければ、「地域の活性化に貢献する」必要もない。家賃もほとんど不要で、チラシの印刷費や郵送費すら必要ないので、集客に心を配る理由もない。そのため、頑張る必要もなければ、マネージメントや組織すら必要ないのだ。twitterでゆるやかに繋がって、面白そうな人をキャッチするアンテナさえ張っていて、おいしいお酒と手作り料理さえあればよいのである。そこでは、アーティストもキュレーターも常連客も混然一体となり、面白そうな情報を選別しRTし、集まったときにプロジェクターでプレゼンをすることが誰もの仕事となる。また、かつてのオルタナティヴ・スペースが、美術館やギャラリーへの対抗的意識によって支えられていたことと比べると、こうした活動にはそうした二項対立的意識は希薄で、むしろ既存の組織に対し寄生的、相互補完的である。美術館の人的ネットワークを流用しつつ、公の施設では扱いにくい不確定な部分をカバーする。
ゼロ年代の末に日本の地方都市に誕生したこのようなゆるいスタイルは、しかし、単なるスタイルにとどまらない大きな変化を示している。その変化に目を向けるために行なうのが、「現代美術2.0」をテーマに掲げたダイアローグ・ツアーである。「2.0」は、ティム・オライリーが提唱した「Web 2.0」の考え方による
。ここではとくに、「送り手(生産者)と受け手(消費者)の関係が流動化した状態」と「その結果生まれる双方向的なソーシャル」を指す。主催者、アーティスト、参加者、観客という関係が流動化し、誰もが告知をRTし、誰もが中継するという状態では、特権的なリーダーや主体は存在しない。ダイアローグ・ツアーは、このようなスタイルで活動する全国8カ所の団体を巡るツアーである。地方の活動の情報を東京に集めるのではなく、また、ある人が旅人/観察者として順番に回ってゆくのでもなく、各団体が1回ずつホストとゲストをつとめ、ディスカッションを行ない、レポートしてゆくものである。ここで選んだ団体は、決して特別な8カ所ではない。わたしたちが望むのは、カタログとしての網羅的な紹介ではなく、ホスト/ゲストの関係性が解放された持続可能な活動と、このリサーチから美術を超えた汎用な思想を導き出すことだからである
。
[2010年7月7日、鷲田めるろ+artscape編集部]