上越市出身の洋画家・玉井力三は、1908年(明治41年)、新潟県中頸城郡柿崎村(現・上越市柿崎区)に生まれました。幼い頃から絵を描くのが好きだった玉井は18歳の時、中村彝(つね)の作品を見て感銘を受け、画家を志します。1928年(昭和3年)には「太平洋画会研究所」に入所し、中村不折(ふせつ)に師事しました。翌年に描いた「三笠艦橋の図(みかさかんきょうのず)」(模写)を見ると、21歳にして相当の描写力、表現力を有していたことがわかります。戦時中は「新京美術院東京分室」に勤め、画家として軍部の仕事に従事しています。

 終戦後、玉井は作品発表の場を求めて、1947年(昭和22年)、洋画団体「示現会(しげんかい)」の立ち上げに加わります。一方でその翌年、『月刊讀賣』の表紙絵を手がけています。これを皮切りに表紙絵画家としての仕事は増え続け、特に学年誌と言われる子ども向け雑誌の表紙絵画家として活躍していくことになります。実に20年以上にわたり表紙絵を描き続け人々に親しまれた画家・玉井力三の仕事をふり返るとともに、洋画家として写実的な画風で一時代を築いた玉井の画業を紹介します。