最近、自己とは仮に在るもの、「仮設的」なものだなとよく考える。

例えば写生という行いは、自分から向こうへ働きかけているようでいて、しかし同時に向こうからこちらに働きかけられ、今までの自身の身体を描画を通してゆっくりと変容させられていっているものだとよく感じる。目前の樹の表皮をずっと丹念に追い続けていると、その描線の反復を通して自身の手癖や力のかけ方が徐々に変容されていく といったように。

私は現在、主に動植物・山水をテーマに制作している。それら写生した動植物、古人が描いた山水、そして自身の中に既にあるものなどが、時間をかけて乳化され、少しずつ「仮設的」な自己を横や奥にずらしていき、さらに別様のモノへと一種アナクロニズムを伴いながら変化させてゆく。

そうした「仮設的」な自己を通して、今までにあまり見なかった別なる山水=アルカディアを、時間をかけ、襞(ひだ)を作るように画面に描き表せられたらと思う。