大正から昭和初期の碧海郡一帯は農業の発展が著しく、複数のメディアから「日本デンマーク」と呼ばれていました。特に安城市域はこの時期に大きく変化し、先進的な事例として日本全国から視察者が押し寄せました。しかし、このような発展は行政だけの力ではなく、人々の行動によって支えられました。
 「日本デンマーク」の形成には、明治後期までに整えられた農業生産基盤や、第一次世界大戦後の販路の拡大など、様々な要因が関係しています。
 今回の展示では、当館収蔵品を中心に、碧海郡が「日本デンマーク」と呼ばれた時代の、農業やくらしについて紹介します。