日本の陶磁器の歴史はやきものの先進国であった中国にあこがれ模倣することで発展してきたと言えますが、安土桃山時代の美濃では日本独自のやきものが作られました。
 室町時代に村田珠光によってはじめられた「侘び茶」は、安土桃山時代になると千利休によって完成されます。「侘び茶」で使われる道具も、それまでの唐物と呼ばれる中国の陶磁器から和物へと、志向が大きく移り変わっていきます。武士階級を中心に大流行した「侘び茶」は、そうした美意識の変化とともに新たな茶陶の需要拡大を生み、美濃において日本独自の美意識のやきものが大量に作り出されることになりました。
 桃山陶と呼ばれる志野、黄瀬戸、織部はこのようにして生まれたのですが、その中に瀬戸黒、黒織部、織部黒といった黒釉(鉄釉)を施した黒いやきものがあります。
 瀬戸黒は焼成中の1000℃以上になった窯の中から引き出して急冷させることで釉薬を漆黒に発色させたものであり、そこから「引き出し黒」と呼ばれました。形状は主に筒形のものでした。同様の技法を用いたものに織部のデザインを取り入れ、瀬戸黒の形状を歪めて沓形にした織部黒、鉄絵を施した黒織部へと展開していきました。
 当館は当時の窯跡から発掘された陶片を多数所有しており、瀬戸黒、織部黒、黒織部の陶片を見比べると様々な試行錯誤が見られ、多様な器の形状や意匠がうかがえます。
 本展は「黒」をテーマに陶片や茶碗から美濃桃山陶の造形、意匠の多様さに注目しその魅力に迫ろうと思います。