三上晴子(1961-2015)の急逝から10年になるのを機に、生前はほとんど公開されることのなかった1980年代の作品を中心に展示いたします。没後、自室から発見された手作りの鉄製花器や、額装されたボタニカル絵画も併せて公開。終生変わらなかったジャンクや植物への思いを振り返ります。

◉三上晴子[Seiko MIKAMI]
1961年静岡県生まれ。2015年1月2日没。享年53歳。
1984年より「情報社会と身体」をテーマに、鉄クズやチップ、コンクリート片をはじめとする廃物を使ったジャンク・スカルプチュア制作(インスタレーション作品)やパフォーマンスなどの活動を始める。1985年サッポロ・ビール恵比寿工場の研究所廃墟にて《滅ビノ新造型》と題する個展を開催し、核戦争後の廃墟化した都市の姿を彷彿とさせる作品群が話題となる。これ以降、情報社会と身体(生体、免疫、情報戦争など)をテーマとした大規模なインスタレーション作品のシリーズを展開するようになる。
1990年代にはニューヨークに拠点を移し、自らコンピュータサイエンスを学んでベル研究所の研究員を務める傍ら、バイオロジーとインフォメーションを横断する新たな概念「Bio-Informatics」としてのメディアアート(人工知能、コンピュータウィルス、ネットワーク)を提唱。主に欧米のギャラリーや美術館で作品を展示した。
当時はまだほとんどなかった、観客参加型のインタラクティブ・アート作品を初めて発表したのは、1991年のP3 altanative museum tokyoの《パルス・ビート〜あなたの脈拍を貸して下さい》。その後、「知覚によるインターフェイス」というテーマが基軸となり、観客の身体や知覚が介在するインタラクティブ作品を数多く発表していくようになる。
1995年にインターネットが一般化されると即座に表現メディアとして取組むようになり、視線入力による作品《Molecular Informatics》(キヤノン・アートラボ企画展 1996-07)、聴覚と身体内音による作品《World Membrane and the Dismembered Body》(NTTインターコミュニケーション[ICC]1997)、触覚による三次元認識の作品(NY 1998)、重力を第6の知覚と捉えた作品《gravicells―重力と抵抗》(市川創太との共作。山口情報芸術センター[YCAM]2004-10)、情報化社会における二重化された個人の存在と情報エージェントをテーマとした壮大な作品《Desire of Codes/欲望のコード》(山口情報芸術センター[YCAM]2010)、オープンソース化された最新の視線検出技術を利用した《Eye-Tacking Informatics-視線のモルフォロジー》(2011)などを発表。これらは世界各地のアートセンターやフェスティヴァルに繰り返し巡回展示された。
2015年に急死する直前まで、チューリッヒ工科大学との共同研究で、多数の超小型ドローンを制御する作品の実現を試みていた。