ミヅマアートギャラリーでは、8月6日(水)より、堀浩哉展「触れながら開いて2」を開催いたします。

堀浩哉が2020年から制作を始めた《触れながら開いて》は、当時のパンデミックという社会的断絶をきっかけとしながら、やがて堀自身の内的な時間──表現の根源や「描く」という行為の在処──へと深く潜行していくシリーズへと展開してきました。

その時々に触発された言葉をタイトルに選びながら絵画を生み出すスタイルは、このシリーズにおいても変わらず息づいており、《触れながら開いて》は、時代性を帯びながらもきわめて個人的な、だからこそ親密に響く作品群へと発展しています。

本展では、《触れながら開いて》シリーズの新作を中心に発表いたします。

今回は、大中小さまざまなサイズのキャンバスがギャラリー空間に並びます。原色に近い赤や青、黄色などの鮮やかな色彩と、たおやかに流れる線、その背面に幾重にも重ねられた下地が、静かな説得力とともに、内から外へと広がる力を湛えています。

美術家としての活動初期から、堀は一貫して美術における制度性に疑問を投げかけ、「境界線上に立つ」という立場から、社会や芸術の常識に迎合せず、自らの表現を切り拓いてきました。堀にとって描くという行為は、単なる再現ではなく、空間に開かれた表現の軌跡であり、それ自体がこの世界への応答であり、問いでもあります。

半世紀以上にわたる作家活動を振り返りながら、変わらず「描き続ける」ことで歩みを進める堀浩哉の現在を、ぜひご高覧賜れましたら幸いです。

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「触れながら開いて」

本当は「絵画(美術)」と呼ばれる必要など、ないのだ。

名付けようのない表現こそが、まずあったはずだ。

しかしそれが「絵画(美術)」と呼ばれるのなら、それを引き受けようとしただけだ。

自分で名付けたのでも選んだのでもない。

人が何かを名付けたり、選んだりする「基準」は、いつでも反転可能な価値でしかない。「戦争」のように。

戦争はいつも、必ず(今もなお)、境界線の両側の、それぞれの基準に基づく正義と正義の戦いだ。

ぼくは、そんな基準の「境界線上に立つ」と表明してきた。

絶対的な基準があるという「原理」そのものに、疑いを向け続けてきた。

それは原理の内側で自己完結するような、閉ざされた表現への拒否感でもある。

だから「絵画(美術)」と呼ばれることを引き受けながら、しかしいつも揺れ動いている「絵画(美術)」の境界領域を探し、そこにかすかに「開いて」いる名付けようのない表現を求め続けてきた。

そんなかすかに「開いて」いる、「空間そのもの」を描き続けること。

それが、ぼくが引き受けてきたことだ。


堀浩哉