本展「Latent Perception」は、成山亜衣と遠藤仁美の絵画制作における取り組みを、「像はいかにして立ち上がり、いかに不確かなまま知覚され得るのか」という問いのもとで再配置する二人展である。ここで扱われる「潜在的な知覚」とは、単に見えないものや未完成な状態を指すのではなく、視線や記憶、感覚が交錯しながら像が生成されていく、その過程にひらかれた知覚の在り方そのものを指している。

成山亜衣は、SNSやデジタルメディアを通じて大量の画像を見た後に意識の奥底に残存する、非物質的で輪郭の定まらない記憶の「像」を起点として制作を行う。成山が絵画に留めようとするのは、明確なイメージではなく、焦点を合わせようと視線が彷徨い続ける状態そのものである。物質感の強い絵具によって構成された「整わない画面」は、鑑賞者の知覚を画面上に滞留させ、像を探し続ける運動を引き起こす。一見抽象的に見える画面に人や動物の気配が立ち上がるのは、作品がそれらを提示するからではなく、鑑賞者自身の知覚が意味を生成しようとする過程によるものである。

一方、遠藤仁美は風景画という形式を足場としながら、外界の再現にとどまらず、夢や記憶といった内的風景へと筆を進めてきた。繊細な色彩と多層的なレイヤーによって構成される画面には、時間の堆積や感情の揺らぎが折り重なり、像は単一の視点や時間に収束することなく、常に揺らぎ続ける。近年の作品に見られるノイズや動性は、静止した風景の内部に複数の時空が共存しているかのような感覚を生み出し、鑑賞者を画面の奥へと引き込む。

本展において重要なのは、両者を抽象/具象といった形式的区分によって整理することではない。成山が内的記憶の曖昧さを平面上に留めるのに対し、遠藤は時間と感情の層を重ねることで、像が知覚のなかで深度を獲得していく過程を描き出す。両者に共通するのは、像が明確に定着する瞬間よりも、知覚が揺れ動き続ける状態そのものに、豊かな視覚体験が宿るという認識である。

鑑賞者は本展において、作品を一義的に理解する主体としてではなく、自身の記憶や感覚を通して知覚の生成に参与する存在として位置づけられる。成山亜衣と遠藤仁美の作品のあいだを往還する体験は、「見ること」が本来もつ時間性や不確かさ、そして能動的な性質をあらためて浮かび上がらせるだろう。本展は、絵画を通して立ち上がる潜在的な知覚の運動そのものに身を委ねることで、私たちが像をどのように見出し、経験しているのかを静かに照らし出す。