フォーカス
イェッペ・ハイン──21世紀のユートピアン彫刻家
竹久侑(水戸芸術館現代美術センター)
2011年08月01日号
対象美術館
展示室に入ると、立ちはだかる壁があり、掛けられた長方形の鏡に自分が映り込んでいる。近づくと、その鏡が震え出し、自分と周囲の像が歪み、視点が乱れ、頭がくらくらする……。眩暈をもよおさせるような作品《鏡の壁》(2009)で観客を迎え入れる予定だったのは、水戸芸術館で筆者が企画していた、デンマーク人作家イェッペ・ハインによる個展「参加してください」だ。「予定だった」と書いたのは、本展が東日本大震災の影響で中止になったからだが、ハインの作品は現在開催中の金沢21世紀美術館での個展「イェッペ・ハイン 360°」と、8月6日オープンのヨコハマトリエンナーレ2011で体験することができる。
イェッペ・ハインは、ベルリンとコペンハーゲンを拠点に活動する1974年生まれの〈彫刻家〉だ。彼の作品は、鑑賞者を含む周囲の環境を、作品にとって不可欠な要素として取り入れたもので、一般的にインスタレーションと分類されがちだが、本人は自作を〈彫刻〉という。2003年のヴェネツィア・ビエンナーレで噴水作品《スペース・イン・アクション/アクション・イン・スペース》(2003)で脚光を浴びて以来、欧米の主要美術館で発表を重ねてきた。
まずは、この作品を見ていくことでハイン作品の特徴を示したい。本作は、下から噴きあげる水が壁となり円形の空間をつくりだす噴水作品だが、近づくとセンサーが反応し、あるセクションの噴水が弱まり一時停止する仕組みになっている。人々は水壁が下がると誘われるように嬉々として中へ入る。だが、背後で水壁が立ち上がり閉じ込められると、一変、閉塞感と断絶感に襲われ、楽しさに興奮する一方で焦燥感に駆られる。ハインが注目されるのは、その巧妙なトラップによる。こうした笑顔で誘いかけて罠にかけるような仕掛けの作品で、鑑賞者と美術の関係性について再考を迫るのが、ハイン作品の最たる特徴といえるだろう。
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「なぜあなたはほかでもなくここにいるのか」
ハインは、美術館やギャラリーにさまざまな悪戯を仕掛けてきた。展示室によくある休憩用のソファに腰を掛けると、突如、乗り物のように動く《動くベンチ #2》(2000)。穴があるので覗き込むと、空気を吹きかけられる《あなたに世界を見せよう》(2000)。展示室の壁がいつの間にかゆっくりと位置を変える《見えない動く壁》(2001)。直径70cmの鉄球がゴロゴロと展示室の壁沿いに動き、壁を徐々に損壊していく《360°の存在》(2002)、そしてチープな皿を壁に掛け、その手前に作品保護のための境界テープが床に貼ってあるのだが、来場者が思いあまって近づいた拍子に、センサーが反応し皿が落ちる《作品にはお手を触れないででください》(2003)など。どの作品の背景にも観客を手玉にとったり、美術館という制度を逆手にとったりする発想がある。多くの作品はユーモアとして受容されるが、作品によっては鑑賞者に不快感、焦り、羞恥心を覚えさせ、人によっては怒りを覚えないとは限らない。こうした身体的・感覚的な刺激をあえて与えることでハインが試みるのは、「なぜこの作品は自分をそんな目に遭わせるのか」という問いを鑑賞者に喚起することであり、そこから発展していくさまざまな問題について、思考をうながすことであるといえるだろう。
閉じ込める水の壁、動くソファ、自壊する壁を前に、来場者は安心して鑑賞することがままならない。ハインのこうした作品と対峙するとき、人々はもはや「観る」ことに安住できず、相手(作品)の出方を注視しながら無言の交渉を重ねることになる。さらに、ハインは、ネオンのテキスト作品で《Why are you here and not somewhere else》(2004)と、美術館に来た人々に「なぜあなたはほかでもなくここにいるのか」と問いかける。歓迎の言葉ではなく、むしろ、問いただすような口調で。そう問われると、なぜ自分は美術を観に来たのか、美術になにを期待しているのか、そして期待したものがここにあったかと自問が始まる。一方で、踊ること、触ること、歌うこと、撮影することなど通常、美術館内でタブーとされている行為を呼びかける(《プリーズ》[2008])。そういえば、そもそもなぜギャラリーで踊ってはいけないのか、写真を撮ってはいけないのかと来場者はまたもや考える羽目になる。ハインの悪戯じみた仕掛けと本質的な問いかけに、美術館での振る舞い方や、鑑賞の仕方について、来場者はいま一度、検証を求められるのだ。
ハインのこの問いかけは、美術館という制度やそのなかで踏襲されてきたコードや慣習に対する自省や批判として解釈することができる。美術館の壁を損壊したり(《360°の存在》)、ぶち壊したりする(《自壊する壁》(2003))暴力性が示唆するのは、美の殿堂として屹立する美術館の権威に対する制度批判として受けとることができる。《作品にはお手を触れないでください》などの作品を通して、権威によって保管される文化財の展示方法を揶揄するのは、美術とそれを享受する人々とのあいだにある境界を顕在化し、作品と観者の関係性について問い直すためではないだろうか。美術を特権階級の者だけでなく市民も享受できるようと開放された「美術館」という制度が、矛盾したかたちで自ら築いてしまった、作品と市民との隔たり、ひいては芸術と生活の乖離の問題について、ハインもまた先人たちと同様に改革を試みているのだろうか。
作品の対象は誰か?
ただ、ハインが欧米のさまざまな美術館からひっぱりだこであることを思い出すと、しょせん、自らも甘んじている制度内からの制度批判は、たんなる茶番にすぎないのではないかと指摘があがってもおかしくない。クレア・ビショップは論考「敵対と関係性の美学」(星野太訳、[『表象』No.5、表象文化論学会、2011]所収。原文は2004)のなかで、ニコラ・ブリオーが『関係性の美学(Esthé tique relationnelle)』(1998)の理論において擁護するリクリット・ティラバーニャの参加型作品について、そこで扱われている関係性が、つまるところ美術館やギャラリーに足繁く通う美術愛好家同士の同一性集団の範囲を越えない限界性を内包しているにもかかわらず、ブリオーがその集団の非民主性(排他性)に無頓着であることを糾弾した。では、同様に人々に「参加」を呼びかけるハインの作品はどうなのだろうか。ハイン作品の対象は誰なのか……。
中止となった水戸での展覧会に出品予定だった作品のひとつとして、《修正された社会のためのベンチ》(2005)がある。本作は、ベンチの形状を模しながらも、傾いていたり曲がっていたり、異様に高かったり低かったりと、いびつな形をし、機能面においては欠陥したベンチである。その欠陥ゆえに、人々の目にとまり、話題になり、座ろうとする人々の関係性にささやかだがなんらかの影響を及ぼしうる作品だ。2009年のデンマークのオーフスで開催された個展「センス・シティ」では、本作が街なかの10カ所に設置された。美術館の近く、ショッピング・エリアの一角、そして図録に記述されたまま引用すると「社会に馴染まないと言われる人々がたむろする場所」(p.116)などに、キャプションをつけず、つまり、作品とは明示されずにただ設置されたため、多くの人々にとっては、なんだかへんてこなベンチができたと認識されたに違いない。子どもたちは遊具のようにのぼって遊び、大人たちは傾いたベンチに身を寄せて座った様子が図録に残っている。公共の場に設置するベンチというモチーフを選んだ時点で、誰もが腰を掛けることをハインが想定していたことに間違いはないだろう。帰結として、展示期間中、作品は触られ、踏まれ、落書きされ、スケーターの格好の遊び場となることもあった。美術館などギャラリー内に設置することが前提となっている作品はまだしも、《修正された社会のためのベンチ》や《現れる部屋》といった屋外設置作品において、ハインが、ある一部の層のみを対象に制作したのではないと言って差し支えないだろう。
もうひとつ、ハインがコペンハーゲンにオープンしたレストラン・バー「カリエール」についても言及しておきたい。コペンハーゲンの新興ナイトエリアにあるカリエールは、世界的に著名な美術家38名(組)の協力のもとデザインされ、アーネスト・ネトやオラファー・エリアソンらの作品がソファや照明などとして使われ、フランツ・アッカーマンが壁面を飾る。美術館では触れてはならないとされている作品(上記はごく一部にすぎない)が、カジュアルなバーという生活空間に存在する。ハインは、カリエールについてこう語る──「芸術を幅広い層の人々が共有する社会的空間の一部とする(…中略…)会ったり、食べたり、飲んだり、くつろいだり、楽しんだり、対話したり、思考したり、遊んだりすることの自然な要素として芸術が」カリエールにあると。街なかに設置するいびつなベンチ、それに、一流の現代美術作品があるバーの産出というハインの活動から読みとれるのは、美術を観るための制度には限界があるという認識だ。
「参加してください」
「参加」という言葉をタイトルに使うと、リレーショナル・アートとして回収されるかもしれないが、上記で考察してきたとおり、ハインの作品は、コミュニケーションを誘発することで人々のあいだに関係性を築くことだけを目的としているわけではない。言い換えれば、ハインは、美術の諸制度に慣れ親しんだ層が自作を観ることよりも、むしろ美術を鑑賞する習慣のない人々へのアプローチの仕方を工夫し、そういった人たちが芸術に接する機会と空間をつくることにこそ関心があるように見える。一見、表層にエンターテイメント性の強い作品が多いことも、美術のための空間以外の場で活動を展開することも、そのための手段とすると納得がいく。つまり、ハインは、芸術を享受する層の偏向性を問題視しているのではないだろうか。
ハインが水戸芸術館の展覧会タイトルとして掲げた「参加してください」は、美術愛好家に対してではなく、そうでない人々に向けられたものだった。最大級の笑顔で誘いかけ、実際に来てくれたら罠にかけ、目をくらませ、驚かせ、労力を要求し、問いただすことで、知性に偏重した鑑賞ではなく、身体、感覚、知力を総動員させる鑑賞の場を用意していた。すなわち、イェッペ・ハインは、美術の制度の内外で、人々を「観者」という言葉では回収しきれない主体、つまり身体を通して思考する主体へとアクティベートする造形作品を通して、美術の諸制度がもつ限界や矛盾を暴きながら、広く開かれた美術というユートピアを希求して改革を行なう彫刻家なのではないだろうか。