フォーカス
坂茂、磯崎新、アニッシュ・カプーア──スイスと人道・文化支援
木村浩之
2011年09月01日号
国際赤十字創立(1863年)の舞台であり、ジュネーヴ諸条約の締結の地スイスでも、東日本大震災に関連したさまざまな支援・啓蒙活動が行なわれている。そのなかでも建築に関連のあるプロジェクトを2つ紹介しよう。
BAN・VAN展、バーゼル
Shigeru Ban + Voluntary Architects' Network: Disaster Relief Projects
リーエン市立美術館(Kunst Raum Riehen)
Im Berowergut, Baselstrasse 71, 4125 Riehen
2011年7月30日〜9月4日
各民家の地下には防空壕と機関銃が装備されている中立国スイスの防衛・安全体制は、日本でもよく知られる(「民間防衛」)。しかしそれは外国の「敵」から武力攻撃を受けるという事態を想定してのシステムであり、自然災害、特に地震についてはまったくもって無防備だ。新築物件には耐震性能が求められているが、空爆戦が特徴であった両世界大戦を直に体験していないスイスでは、中世建造の建築物が現在も住居として利用されることなどごく当たり前のことである。東日本の被災地復興において論じられている「村ごと移設」案などを受けて、バーゼルでも早急に都市ごと移設すべきなのではないかなどという議論まで起こっていた。
そんななか、バーゼル近郊のリーエン市の市立美術館Kunst Raum Riehenにおいて、震災関連の展示が始まった。
建築家として、世界各地でさまざまな救援活動を行なっている坂茂氏主催の団体「ヴォランタリー建築家機構」(以下、VAN)の実績を紹介するものだ。
坂氏は、スイスからもそう遠くない北東フランス・メッス市にポンピドゥーセンター別館を設計し(2010年オープン)注目を浴びただけでなく、オメガなどスイス時計のメジャーブランド多数を傘下に収めるスウォッチ・グループのショールーム《ニコラス・G・ハイエックセンター》(東京銀座、2007年オープン)をデザイン、スイス国内においてもスイス最大の新聞社であるタメディア社の本社屋プロジェクト(チューリヒ、工事中)が進んでおり、スイスに住んでいれば建築とはあまり関係のない人でも一度は名前を目にしたことがある建築家である。
早くから紙管を建材として実験的に使っていた坂氏は、その軽さ・作業性・価格などに注目し、1995年の阪神震災後の神戸に仮設住宅やチャペルを自ら建設する。それを契機として、以降ルワンダ、スリランカ、中国・四川、ハイチ、イタリア・ラクイラなど、設置環境・用途に応じて変更・改良を加えながら仮設住宅や避難所内の間仕切りの設営を行ない、被災地救済活動を続けてきた。場所を変えても活動が可能だったのは、キーとなる紙管が、トイレットペーパーをはじめ多くの日常的工業製品に用いられており、ほぼ世界中で入手可能であったという事情も大きかったであろう。しかしそれだけではなく、ボランティア学生や被災者自身らの手でつくれるほど構法を単純化し、専門技術や工具が不要な仕様にすることに徹底したことがこれらの活動の独自性であり、またメリットであると断言できよう。
例えば札幌でも7月中旬に展示があったように、東日本大震災復興で用いられている「PPS4型」避難所用簡易間仕切りの展示依頼は、日本国内各地からあるという。今回のスイスでの展示は、それだけに留まらず、坂氏を中心に活動を続けるVANの救援活動の歴史と広がりについて広く紹介するものである。写真、図面、模型を用いた解説に加え、現物モックアップの展示により実体験もできるようになっている。
この展示にあわせた義捐金・支援金の募金活動は行なっておらず、ポスターなどの広報資料も「日本」を意識させるデザインではない。それは、この展示が、VANの活動全般を紹介することに特化しており、(東日本大震災の間仕切りはモックアップも展示され、展示のなかでも比較的大きなウェイトを占めているとはいえ)日本の被災者への同情のみを誘うようになっていないということからして、当然だろう。むしろ、誰もが持っていながらもすぐ忘却してしまう「明日はわが身」という気持ちを再喚起することにこそ意義があるのだ、というメッセージと受け取られた。
この展覧会は、同美術館において記録的な入場者数を数えただけでなく、ゲストブックには、坂氏の活動を初めて知り、共感し協力したいというコメントが多く残されたことからも、人々の関心と危機感が浮かび上がった。さらにヨーロッパ各地からも問い合わせがあり、この企画展はポーランドを皮切りに巡回することが決まっている。