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「私がいなくても世界はあるの?」──ダヴィット・ヴァイス(フィッシュリ&ヴァイス)逝去

木村浩之

2012年07月01日号

 スイスのアーティスト・デュオ、フィッシュリ&ヴァイスのダヴィット・ヴァイス(享年66歳)は、2012年4月27日、昨年から闘病していたがんのため、チューリヒで亡くなった。フィッシュリ&ヴァイスと関係の深かった3人の言葉を借りて追悼したい。

Peter Fischli & David Weiss『The Way Things Go』(Icarus Films)

フィッシュリ&ヴァイスとの出会いは、キュレーターになろうと思い始めた私にとって、人生を変える出来事だった。

──ハンス・ウルリッヒ・オブリスト(英ガーディアン紙)

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト
1968年スイス、チューリヒ生まれ
2000年より、ロンドン、サーペンタイン・ギャラリー共同ディレクター(現)

 オブリストは、まだ高校の学生だった時代に、バーゼルのクンストハレにて開催されていたフィッシュリ&ヴァイスの初の美術館での個展(1985年)を訪れている。「午後授業をサボって10から12回は来ており、展示のすべてを記憶するくらい見た」という彼は、まもなくしてチューリヒにあるアトリエを訪問する機会を得る。のちの代表作となる《Lauf der Dinge》(1987年、ドクメンタ8にて発表)をちょうど作成中だったアトリエ風景は彼にさらなる衝撃を与えた。そのときにすでに、いつか一緒に展覧会をやろうと約束したという。その数年後の大学政治経済学部時代に、自宅のキッチンを用いて、「ワールド・キッチン」という展覧会をフィッシュリ&ヴァイスを招いて行なっている(1991年、詳細は不明だが、キッチン用品を拡大して作成し陳列したという、その後のフィッシュリ&ヴァイスの作品を思い起こさせるもののようだ)。この展示が彼のキュレーター人生の始まり、美術館という枠を常に超えようとする彼の活動の始まりを飾っている。5月のフリーズ・ニューヨークに合わせてMOMAにて開催されたイベントや、そのほかの機会でも、フィッシュリ&ヴァイスというアーティストが彼にとって、そして現代美術界においていかに重要だったかをしばしば言及している。

「芸術は見えないものを見えるようにする」とパウル・クレーは言ったが、フィッシュリ&ヴァイスはそれを反転させた。見えていたものが見えなくなる。

──カスパー・ケーニッヒ(スイステレビSF)

カスパー・ケーニッヒ
1943年ドイツ、ミュンスター近郊生まれ
2000年よりケルン、ルートヴィヒ美術館ディレクター(現)

 ケーニッヒは、5年ごとに開催のカッセルのドクメンタに並び知られているドイツの芸術祭、ミュンスター彫刻プロジェクト(10年ごとに開催)を立ち上げたひとりである。ミュンスターでは、2回目(1987年)と3回目(1997年)の2回連続でフィッシュリ&ヴァイスを招待している。それに続き、ザールブリュッケンでのコミッションワーク(2000年)、さらに、2002年にはルートヴィヒ美術館にて個展も開催し、2010年には同美術館に事務局がある近代美術協会主催の賞─ヴォルフガング・ハーン賞─をフィッシュリ&ヴァイスに授与している。

マルセル・デュシャンのレディメイドにより揺さぶられたミメーシスという芸術の根源を、フィッシュリ&ヴァイスはプロダクトの模倣により再度揺さぶりをかけた。

──ビーチェ・クリガー(スイステレビSF)

ビーチェ・クリガー
1948年チューリヒ生まれ
1984年より雑誌『Parkett』共同設立・編集長(現)
1993年よりチューリヒ、クンストハウスキュレーター(現)
2005年より機関紙『Tate etc.』編集長(現)

 彼女は2011年のヴェネチア・ビエンナーレの芸術ディレクターを務めた雑誌編集長として知られるが、キュレーターとしての業績も多く、2006年のロンドン、テート・モダンを皮切りにパリやチューリヒを巡回したフィッシュリ&ヴァイスの回顧展「Flowers & Questions」展のキュレーターを務めたのは彼女であった。彼女とフィッシュリ&ヴァイスの関係も深く長く、フィッシュリ&ヴァイスの実質的なデビュー展となった「Saus & Braus」展(1980、チューリヒ、シュトラウホフ市立ギャラリー現シュトラウホフ美術館)をキュレーションしたのがクリガーである。

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