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インドネシアの若手建築家AbodayのFLIRT(ゆうわく)

本間久美子

2014年03月01日号

実践家の力を呼び覚ます

 経済の中心地ジャカルタは、建築という枠組みにおいても圧倒的な速度・密度・発信力を備えており、それゆえに、インドネシア建築界の表舞台は、いつでもジャカルタの建築家たちで占められてきた。もちろん、それは、業界を牽引している彼らの並々ならぬ努力と情熱があるからこそであり、フロンティアの役割を進んで引き受け、先へと突き抜けるための強度をもったコミュニティを形成・育成し(例えば、若手建築家たちが非営利で制作しているオンラインマガジン「jongArsitek!」など)、時に自覚的なメディアパフォーマンスをしてきた彼らを、ただ利己的とみなすことなど到底できない。業界全体を見渡す、広い視野に立ったうえでの振舞いであることは、長年近くで見ているが、やはり明らかだ。
 では、地方から始めたAbodayの意図は何か。それはおそらく、メディアの発達に反比例して自らは一歩下がってしまった実践家の力を呼び覚ますことではないだろうか。


写真6:ジャカルタ一の目抜き通りに面したメゾネットタイプのコンドミニアム《Senopati Suites》
写真7:2階から1階にかけてのスロープが楽しい《Play House》。レディメイドではなくオーダーメイドだからこそ、遊び心を形にできる[出典:『FAME FORTUNE FLIRT』]

 Abodayのメンバーは、第一にプラクティスの人である。別の言い方をすれば、ビジネスの人である。ビジネスとしての建築行為のなかにこそ彼らの思想はあるのであって、どんなに洗練されたアートインスタレーションも華やかなメディアパフォーマンスも、Abodayにとっては、建築の実践を超えるものではない。したがって、彼らはジャカルタの建築家でありながら、意図的に、普段はさほど表舞台に顔を出さない。
 一方、地方の建築家とは、こうした意味において、まさに第一級の実践家である。Abodayは、実践家として自ら発信する側に回ることで、建築家なるものの発信力を問い、地方と中心の格差を切り崩そうとした。メディアに登場するジャカルタの建築家に憧れる者、あるいはそれに対して萎縮する者を指して、実践の建築家と呼ぶのではない。Abodayはそのことを指摘し、実践家本来の主体性を喚起したのではなかったか。
 『FAME FORTUNE FLIRT』の出版にあたって、Abodayは、印刷から流通に至るまでイニシアチブを取り続けた。インドネシアの建築専門出版社として有名なImaji(インドネシア語・英語のバイリンガル建築誌『ARCHINESIA』等も出している)のオファーを断り、すべてを自らアレンジした。既存のメディアに依存しないことで、新たな可能性を自由に模索した。そのこだわりは、200部限定で用意された特別版にもよく表われている。表紙の「F」の字が部屋の模型になっており、2センチ大の人形が付いている。特別版一冊の値段は約1万円。ジャカルタの最低賃金が約2万円/月であることから、これがいかに高価なものかは想像いただけると思うが、アリー曰く、ジャカルタに限っては高いものほどよく売れた。経済格差の著しいインドネシアでは、極めて安価なものか、あるいは特別に高価なものが売れる。こうしたところにも、この国のいまが映し出されている。

インドネシアのアイデンティティ

 さて、Abodayの作品のなかから、最新のものをひとつ紹介しよう。2013年10月、ジャカルタ中心部にオープンした《ARTOTEL》は、インドネシアの若き現代アート作家に注目し、彼らのデザインをふんだんに取り入れた新しい都市型ホテルである。ホテルのファサードを覆うのは、インドネシアのグラフィティ・アーティストDarbotzの作品。つまり、インドネシアの建築家Abodayと、インドネシアのアーティストDarbotzが組むことで生まれたアート+ホテル作品だ。名立たる5つ星ホテルが林立するエリアに近接しながらも、西洋的なオーセンティシティや、オリエンタリズムたっぷりの既存の価値観を爽快に裏切り、異彩を放っている。


写真8:《ARTOTEL》正面。ロビーや各部屋にもアーティストの作品が盛り込まれている[筆者撮影]
写真9:グラフィティ・アーティストのDarbotz。《ARTOTEL》はジャカルタのほか、スラバヤとバリにも展開中[出典:『FAME FORTUNE FLIRT』]

 実のところ、数年前までのインドネシア建築界は、「Tempo Doeloe(古き良き時代=具体的には、20世紀初頭のオランダ植民地時代)」★1を取り戻そうという動きが強く、いわばレトロスペクティブな傾向に支配されていた。めまぐるしく発展する都市のなかにあって、しかし、進むべき方向が見えてこない。近年のインドネシアが抱えていたある種の不安が、植民地であった過去を美化し、被支配者としての記憶を自ら書き換えることで得られる束の間の安寧を求めたのかもしれない。
 そんな捻じれた後ろ向きの欲望が、いまようやく、健やかさを取り戻しつつある。現在進行形で活躍している国内のアーティストに目を向け、国内の建築家とコラボレーションさせることで資本市場へ切り込んでいく(《ARTOTEL》のほかに、カフェの《Potato Head Jakarta》や複合文化施設の《Komunitas Salihara》など、こうした例は年々増えている)。アートとビジネスを内資の力で盛り上げる。このような自立性、発想の前向きさこそ、長きにわたる自国アイデンティティの模索に終止符を打ち、新たなインドネシアへの脱皮の契機となるのではないだろうか。いまのインドネシアを動かしているのは、圧倒的な好奇心と吸収力が織りなす成長への強力なエネルギーである。それはイデオロギーの類であるよりも、Abodayの示すところの実践力であり、経済の速度に見合った軽やかな飛翔力なのではないだろうか。

★1──Tempo Doeloe、すなわち「古き良き時代」という言葉は、もともとは、植民地時代の東インドをノスタルジックに回想するオランダ人によって生み出された、オランダ人を表現主体とするものである。それは、想像力によって東インドを美化すると同時に、植民地社会のヒエラルキーを無化し、そのようにして捏造した固有のユートピアに、主体的なアイデンティティを創造することを特徴としている。したがって、被支配者であったインドネシア人が「古き良き時代」の再建を訴えるのは、奇妙な記憶のすり替えでしかないのだが、アイデンティティなるものへの強い欲求という点においては、オランダ人によるそれと共通する部分があるのかもしれない。

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