フォーカス

台北ビエンナーレ 2014

岩切澪(アートライター、台湾現代美術研究)

2014年11月01日号

 台北ビエンナーレ2014 (以下TB14) が開幕して一ヶ月余りが経った。筆者も数回足を運び、作品一つひとつの展示の機微は楽しんだが、正直、この展覧会をうまくレビューするのは難しいと感じている。それは、たいへん刺激的ではあるが、非常にスケールの大きな展覧会コンセプトとそれぞれの作品との繋がりが、やや心もとない気がしてしまうこと。それからこれは今に始まったことではないが、展覧会の内容とは別に、これが台北で行われる意義について、どうしても考えてしまうからだ。

 「関係性の美学」で知られるフランス出身のニコラ・ブリオーがTB14のキュレーターを務めることが発表されたのは昨年11月。歴代キュレーターらで構成される審査員によって展示案が審査された前回とは異なり、推薦者による候補者リストが出た時点での、館による直接招待だったという。12月には講演会が開かれ、展覧会の骨子となる短いテキストが発表された。

「関係性の美学」の新しい局面

 ブリオーのキュレーションのひとつのマイルストーンとなった概念「アントロポセン(人新世)」(anthropocene、中国語では人類世)とは、地球環境が人類の営為に大きく影響されるようになった時代を指す。人間の活動の規模が加速度を上げて増大することによって、気候変動や森林伐採、土壌汚染などが進み、私たちの生態環境が脅かされている。この議題設定自体は非常に今日的であり、どんな展覧会になるのか、大いに興味をそそられた。ただこの時、彼がここ「台北」という土地で何をしようとしているのか、という点については、残念ながらそれほど触れられなかった。

 アートレビューアジア誌におけるインタビュー(英語)でも、インタビュアーはまず、台北でのキュレーションが地域性を備えたものになるのかについて尋ねている。それに対しブリオーは、はっきりと回答はせず、映画監督の例を挙げながら、いろんなタイプのキュレーターがいることを暗示している。そして、2011年のアテネ・ビエンナーレでの仕事がギリシャの土地や歴史、社会状況と非常に密着していたことを振り返った上で、台北は「アナザーワールド」であるが、もちろん台北の作家たちもリストに入れたし、主体の概念をめぐる西洋とアジアの哲学の対話を促すつもりだと答えている。しかしこの対話は、ブリオー自身が具体的に提案するというよりは、彼がアートフォーラム中国版でのインタビュー(簡体中国語)で触れているように、昨今の西洋現代哲学における老荘思想の影響のことを指すようであり、この展覧会のために用意されたあらゆるテキストをひもといてみても、アート界におけるアニミズムの流行についてのくだりにその片鱗が見えるだけで、それ以上の関連は見いだせない。
 ではブリオーがこの展覧会でやりたかったことは何かというと、今の時代に合った新しい「関係性の美学」の射程の追求ではないかと思われる。90年代初頭に生まれた関係性の美学が「人間中心的」(anthropocentric) と批判されてきたことを受け入れた上で、まずブリオーは、人間と物との差異を切り崩す昨今の思潮「思弁的実在論」(Speculative realism) を引き合いに出している。しかし、前出のアートレビューアジアのインタビューでの「アートは純粋に、人間の領域内での活動( interhuman activity) だ」という言葉に確認できるように、ブリオーは思弁的実在論に疑いを差し挟もうともしており、言ってみれば「人間中心的」でしかあり得ないアートのひとつの特質に焦点を当てようとしているのだと思われる。

思弁的実在論と作品のつながり

 展示について具体的に見ていこう。今回の展示は美術館内のみを使い、合計52組の参加アーティストの作品を、1階から3階まで分けて展示している。過去の台北ビエンナーレでも毎回スペクタクルな大型作品の展示場となってきた美術館エントランスの吹き抜けロビーには、ブラジルのOPAVIVARA! の、お茶とハンモックのインスタレーションが展示されている。ブラジル固有の二つの文化と説明されるが、お茶は台湾の文化でもあり、異文化が出会う場所ともなっている。 展示室までの通路には、デニムシャツの製造ラインを通して、グローバル社会における労働について問いかける、地元の若手作家黄博志(ホァン・ボージィ)の作品が展示されている。中庭を挟んで逆側の通路には、同じく地元の中堅作家彭泓智(ポン・ホンジィ)が、ねじ曲がった大型フェリーの彫刻を3Dプリンターで拡大コピーするという作品《大洪水—ノアの箱船》(2014) を展示している。工場がスタッフごと美術館の中に移動してきた形で、絶え間なく動く3Dプリンターの列の横に、出来上がった彫刻の一部が山と積まれている。これも労働(あるいは徒労)についてのもので、社会批判を含んだ諧謔性で知られる彭らしい作品だと思う。


Hung-Chih Peng The Deluge- Noah's Ark
彭泓智《大洪水—ノアの箱船》
Courtesy of Taipei Fine Arts Museum

 1階展示室の最初の作品は、インガ・スヴァラ・トルスドッティル&呉山専(ウー・シャンジュアン)による、『世界人権宣言』の条文で遊んだ《物権宣言》(1994) である。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である…」という有名な条文ひとつひとつの「人間」を「物」に置き換え、形容詞なども大幅に書き換えたテキストが新しい視点を提供すると同時に、それを作り、見る人間の主体がなくてはこういった視点自体が成り立たないことも示唆する。それは、アートがアートである所以とも通じ、興味深い。(ただ、作家の希望により中国語訳が掲示されていなかったのは残念に感じた。地元の観客は書かれているのが英語だとわかると、さっと移動してしまう人が多かった) 1階にはほかに、ヘアピースや電球などで構成された韓国のヤン・ヘギュによるインスタレーション《メディシン・マン達》(2010) や、海岸に打ち寄せられた人工物と鉱物が自然現象により合体した塊を展示する、台湾の若手作家呉権倫(ウー・チュェンルン)などが続く。また、工藤哲巳の現代文明批判的で不吉なイメージや、ベルギーのピーター・バッゲンハウトによる異臭を放つ工業廃棄物で出来た埃まみれの工業廃棄物の彫刻などが、アントロポセンの功罪とそれが美術として展示されることの拮抗状態を示しており、重く響いた。


Inga Svala Thórsdóttir & Wu Shanzhuan Thing’s Right(S) Declaration
インガ・スヴァラ・トルスドッティル&呉山専《物権宣言》
Courtesy of the artists and Taipei Fine Arts Museum

 2階では、スラシ・クソンウォンと島袋道浩の作品が人気を博していた。2000年展にも参加していたクソンウォンは、TB14では、金のネックレスが12本隠された毛糸の山を展示した。その中で、観客はネックレスを探したり、思い思いに座り込んでおしゃべりしたり、休憩したりしているが、そこには台湾のかつての金鉱山の石も展示され、人間の黄金を求める欲望に、歴史と地理というふたつの座標が加えられている。島袋道浩の《カメ先生》(2011-2014) では、生きたケヅメリクガメが展示室で飼われている。亀は天井からつり下げられたライトの下でじっとしているか、隅の方に作られた家に引っ込んでいるかどちらかだ。プレスツアー時の島袋のトークの半分は、ここが亀にとってどれほどいい環境か、ライトの下がいかに温泉のように気持ちよいか、ということを説明するのに費やされていたが、翌日のラウンドテーブルの質疑応答時にも、観客から亀の環境に対する苦言が出ていた。島袋の作品の基本的なコンセプトは、亀のあり方が人間にとっての参考になるのではないかというものだが、アジアの亜熱帯〜温帯気候で生まれ育った観客にとって、アフリカの砂漠出身の亀が心地よいと感じる環境がとても快適には見えないことから出てくる摩擦が、非常に興味深く感じた。またそれは、身土不二的なある意味生身の反応が、ユニバーサルな思弁を費やした展覧会や美術のコンセプトから はみ出る一瞬でもあった。


Shimabuku My Teacher Tortoisen 島袋道浩《カメ先生》
Courtesy of the artist & Air de Paris & ParisWilkinson, London and Taipei Fine Arts Museum
Photo: Peter White


 3階では機械やコンピューターに影響される人間と物の関係についての作品が数多く展示されており、ミカ・ロッテンバーグによる作品《お椀とボールと魂と穴(Bowls Balls Souls Holes)》による映像と空間デザインを組み合わせた作品が、とてもよくテーマに符合していたように思う。映像の中で延々と続く不条理な徒労は、一階の彭作品とも通じる。作品は展示室の中で入れ籠状になった箱の中で鑑賞するようになっており、否が応でも身体性を強く意識させる装置が、面白く感じられた。3階ではほかに、台湾先住民族出身の張恩満(ジャン・エンマン)が、失われつつある先住民の狩猟文化と国家・法律との関係についての作品を展示していて、強く印象に残ったが、テーマとの繋がりはやや薄く感じた。


Mika Rottenberg Bowls Balls Souls Holes (AV)
ミカ・ロッテンバーグ《お椀とボールと魂と穴》
Courtesy of the artist, Andrea Rosen Gallery Inc., New York and Taipei Fine Arts Museum

ビエンナーレの形式と台北という地域の必然

 全体を振り返ってみると、図書館に喩えられもした前回に比べ、アーカイブ的作品や映像作品が少なく、物を介して思考を促す、ある意味とても古典的な展覧会であるように思われる。ハンモックで寝たり、金のネックレス探しをしたり、亀に会えたりということで一般の観客にも人気があるようだ。だが、台北でこの展覧会が行われた決定的な理由を見いだすことはやはり難しいように思う。ローカルな文脈に目配りをした作品が少ないということだけではない。土地固有の歴史や美術の文脈を踏まえた上での、今この時点で台湾の観客が見るべきものについて熟慮された痕跡を見いだせなかったということだ。台北市立美術館のチーフキュレーター、ジョー・シャオは、TBはより国際的な大きな舞台へと羽ばたくことと、地元のアートシーンに貢献することのジレンマに悩んできた、と話すが、これにしてもアート界に対する言及にとどまる。地元キュレーターが従属性を強いられているとの批判が続いたダブルキュレーター制をようやく廃し、前回から単独キュレーター制になったTBだが、西洋有名キュレーターが活躍する無色透明なプラットフォームとしての役割を果たすことが、本当の意味での台北発のユニバーサルな問題提起となり、台湾やアジアの現代アート、ひいてはこの地域の文化全体にとっての幇助になるのか。そもそも地域固有性を排除したグローバル・スタンダードの問題提起というものは有効なのか……議論は尽きることがない。

台北ビエンナーレ2014 激烈加速度 The Great Acceleration

会期:2014年9月13 日(土)〜2015年1月4日(月)
会場:台北市立美術館
台北市中山區中山北路三段181號