フォーカス

フィルハーモニー・ドゥ・パリ初の展覧会「David Bowie is」展

栗栖智美

2015年04月01日号

 2013年にロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催され、開館以来最多の動員数を記録、前売り券が即完売し話題騒然となったイギリス人スター、デヴィッド・ボウイのフランス巡回展に行ってきた。
 会場は、パリ東北に位置するラ・ヴィレット公園内に1月オープンしたばかりのフィルハーモニー・ドゥ・パリ。ジャン・ヌーヴェル設計の巨大なコンサートホールは、未完成でまだところどころ工事中であったが、この新しくできた音楽の殿堂で開催される初の展覧会を一目見ようと会場はごった返していた。


羽ばたく鳥のモチーフを鱗のように重ねた外壁が特徴的なフィルハーモニー・ドゥ・パリ


ツイッターとインスタグラムでシェアされているデヴィッド・ボウイのメイクのポートレート
http://davidbowieis.philharmoniedeparis.fr/fr/davidbowieisme


 ロンドンでの展示と同様、こちらもセンハイザー社が全面協力して3Dサウンドシステムのオーディオガイドを作成。このヘッドホン式ガイドは、観客の動きと映像展示に合わせて、自然に音楽やインタビューが聞こえる仕組みになっており、個人のペースで自由に展示を見るのに役立っていた。普段の展覧会とは違いミュージシャンの回顧展とあって、ビデオクリップを見ながら小刻みに踊ったり、ヒットソングが聞こえると口ずさむ人がいたりと、この個人用ガイドのおかげで、それぞれのデヴィッド・ボウイを楽しんでいるのが印象的だった。
 また、MAKE UP FOR EVERの協賛で、来場者にボウイ風メイクをしてくれるイベントも行なわれ、ボウイに扮したファンの写真は、ツイッターやインスタグラムで次々にアップされている。
 青春時代をボウイと共に歩んだ年代も、ボウイを知らない若者たちも、アヴァンギャルドなカルチャーイコンであるデヴィッド・ボウイを追体験できるユニークな展覧会であった。



左=19歳のデヴィッド・ボウイ 1966年
Photographie de Roy Ainsworth
Courtesy of The David Bowie Archive Image © Victoria and Albert Museum
右=ジギー・スターダスト名義でグラムロックの金字塔となった頃 1973年
Photographie de Masayoshi Sukita © Sukita / The David Bowie Archive


 キュレーターがニューヨークのボウイ宅に半年通い、7万5千点の資料から選別した300のオブジェで構成された展覧会。手書きの歌詞や自筆のスケッチ、60体におよぶコスチューム、映像、写真、PV、舞台装飾などが並び、華やかな展示空間がつくられた。
 歌手デヴィッド・ボウイの誕生までを見ていく部屋では、彼が影響を受けたアメリカン・カルチャーの資料や、さまざまなバンドでの写真、金色の長髪だった初々しいボウイのテレビ収録映像などが集められている。1969年のアポロ11号の月面到着の際、BBCでテーマソングに採用されたのをきっかけに、スターへの階段をのぼる次の時代は、オプティカル・アートやレトロフューチャーの時代の雰囲気を味わいながら、オリジナルPVを見つつ展示室を一巡する。突如、赤毛の短髪にし、厚底ブーツとサイケな衣装を身にまとい、宇宙から来たミュージシャンという前代未聞の設定でスターダムにのし上がった、彼のドッペルゲンガーとも言えるジギー・スターダスト名義時代。このように、前半は年代順に展示室がつくられている。


アルバム『アラジン・セイン』のジャケット写真 1973年
Photographie de Brian Duffy
Photo Duffy © Duffy Archive & The David Bowie Archive


『ダイアモンド・ドッグ』ツアーの舞台装置の模型 1974年
デザイン: Jules Fisher & Mark Ravitz
Courtesy of The David Bowie Archive Image © Victoria and Albert Museum


 中盤以降は、テーマ別展示へと切り替わる。俳優としてのボウイの出演作品や、映画ポスターや小道具などを集めた映像展示室。世界的スターとなった最盛期の、彼を飾ったコスチューム、アルバムジャケットのアートワーク、舞台装飾の模型やコンセプト画、ビデオクリップやテレビ番組の映像など、ボウイの多才なクリエーションを讃えたメイン展示室。ドラッグ中毒により移住したベルリン時代、自筆の絵画や影響を受けたベルリンの文化、インタビュー映像などが展示された展示室。そしてオーディオガイドを返却した後に現われる、部屋を囲む巨大スクリーンで、臨場感溢れる大音響のライブ映像を鑑賞する展示室という構成だ。
 デヴィッド・ボウイという多才な人物の、俳優の部分、総合プロデューサーの側面、衣装コンセプト、創造力の根源など、自分の興味のあるところにクローズアップすることができるテーマ展示だった。

 ロンドン展が始まる前は、巡回展の申し出があったのはサンパウロだけだったという。ヴィクトリア&アルバート美術館での成功により、巡回展が次々に決定。このパリ展は6都市目となる(ベルリン、トロント、シカゴ、サンパウロ、パリ、メルボルン、グローニンゲン)。これまで12カ国をコンサートで訪れたボウイ同様、回顧展もまた、世界中を回ることになった。
 ロンドン展を見逃したフランス人にとって、待ちに待った展覧会であり、あちこちのメディアも特集を組む熱狂ぶりだ。今回のパリ展では、舞台装置の展示にこだわり、テキストを多くし、年代順の展示法を採用しなかったことなど、フランス人の好みに合わせた、ロンドン展とは異なる展示だという。特に、ボウイがフランス語で歌う『ヒーロー』の限定レコードや、パリ郊外のシャトーでのレコーディング時の資料など、フランスのコーナーを特別に設けている。デヴィッド・ボウイが最初の海外ライブをしたのがパリだったことや、シャンソン歌手のジャック・ブレルのファンで、カバー曲「アムステルダム」をリリースするなど、ボウイはパリに特別な思い入れがあったようだ。
 また、展覧会以外のイベントは、パリ側のスタッフによるオリジナル企画。代表曲を交響曲にしたクラシックコンサート、初期のボウイのキャラクターに着想を得た有名演出家によるスペクタクル、デヴィッド・ボウイに関するシンポジウムや、ファンによる議論カフェ、ボウイの音素材を使って遊ぶ子どもアトリエなど、フィルハーモニー・パリという会場の施設を活かしたフランスならではのイベントが多数催されている。
 また、ロンドンでの展示終了後にキュレーターが進行役を務め、デヴィッド・ボウイ展を振り返る同名のドキュメンタリー映画は、パリでは2回のみの限定上映。展示が開始してすぐの1回目は逃してしまった人も多く、2回目であるパリ展示終了の翌日の上映は、チケットが入手困難になると早くも話題になっている。



デヴィッド・ボウイとウィリアム・バロウズの写真 1974年
Photographie de Terry O'Neill mise en couleur par David Bowie
Courtesy of The David Bowie Archive
Image © Victoria and Albert Museum


カットアップ技法でつくられたアルバム『ヒーローズ』のなかの
「ブラックアウト」の歌詞 1977年
Courtesy of The David Bowie Archive
Image © Victoria and Albert Museum


 この展覧会は、ギルバート&ジョージの有名な『リヴィング・スカルプチュア』の映像から始まるのが象徴的だ。これはミュージシャン、デヴィッド・ボウイの回顧展を見に来た人を困惑させていた。その映像は、特にデヴィッド・ボウイについて言及したものではないからだ。彼らのあいだにどんな関係があるのだろうか? この謎めいた導入部分は、足を進めていくとぼんやりとわかってくる。彼が交流し影響を受け、影響を与えたアーティストのなんと多いことか!
 例えばアンディ・ウォーホルのファクトリーで撮影された貴重な映像。ボウイは撮影されるのを嫌がり、ウォーホルも居心地が悪そうだ。本人に好まれなかったらしいが、『アンディ・ウォーホル』という歌を作曲し、映画『バスキア』でウォーホル役を演じたボウイ。交流はあったものの、お互いの才能が悪い化学反応を起こしたような、そんな微妙な雰囲気の映像に足を止める人も多かった。
 また、スターへの礎となった『スペース・オディティ』のアルバムやPVには、ヴィクトル・ヴァザルリのオプティカル・アートとスタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の影響が見て取れる。特にPVでは、カルト映画『バーバレラ』のような近未来感を見ることができる。
 さらに、歌舞伎を絶賛、ロンドン・コレクションにデビューしたばかりの山本寛斎による、衣服の概念を超越した衣装をツアーで着用したり、40年にわたり多くの写真を鋤田正義に依頼、尊敬する三島由紀夫のポートレートを自分で描きベッドルームに飾っていたなど、日本人アーティストへの愛も垣間見ることができる。
 ほかにも、ウィリアム・バロウズに倣い、文章を切り刻んで組み立てるカットアップ技法で歌詞を作成したり、50周年のコンサートではトニー・アウスラーとコラボレーション、人形の顔にボウイの映像を投影する作品を取り入れたりと、年代、国籍を超えたさまざまなジャンルのアーティストとの交流も、当展覧会でクローズアップされている。最後に化学の元素周期表に見立てた、ボウイが影響を受けたアーティストと、影響を与えたアーティストの表が、このことをよく表わしていた。
 この展覧会は、単にミュージシャンのデヴィッド・ボウイの軌跡を見るのではなく、アーティスティックな視点を自己のスタイルに吸収し、唯一無二の存在となったデヴィッド・ボウイという人物の展覧会なのだ。すべてがアートだと言うギルバート&ジョージのように、彼のキャリアそのものもアートだと言えるかもしれない。



山本寛斎デザインの『アラジン・セイン』ツアーの衣装 1973年
Photographie de Masayoshi Sukita
© Sukita / The David Bowie Archive


ビデオクリップ「Ashes to Ashes」でのデヴィッド・ボウイ 1980年
Photographie de Brian Duffy
Photo Duffy © Duffy Archive & The David Bowie Archive


 私はデヴィッド・ボウイについては、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』の美しい米軍兵のイメージくらいしかなかった。しかし、今回の展示を見て、型にはめられるのを嫌うかのように、スタイルを変化させ続けるデヴィッド・ボウイの先鋭的なキャリアが、2015年のいまでもまったく斬新にうつるのに驚かずにはいられなかった。耳を離れない独特な歌声、中性的でともすると人間離れしたエキセントリックな風貌、奇抜なコスチュームや舞台装置の映像を見て、彼の溢れ出るエネルギーやオリジナリティに目を見張るばかりだった。色あせない魅力は、変化を恐れなかったデヴィッド・ボウイの強い存在感にある。カルトでありながら世界的なポップスターであるデヴィッド・ボウイ。さまざまな雑誌で彼が「世界で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれている理由を、この展覧会で見つけることができるだろう。

「David Bowie is」展

会期:2015年3月3日(火)〜5月31日(日)
会場:PHILHARMONIE DE PARIS
221, avenue Jean-Jaurès 75019 Paris
http://davidbowieis.philharmoniedeparis.fr

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