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ファッション・ゆるぎない身体とゆらぐ身体——「山口小夜子 未来を着る人」展と「絶・絶命展」より

金森香(「シアタープロダクツ」コミュニケーション・ディレクター)

2015年05月15日号

「山口小夜子」のステレオタイプ

 山口小夜子さんのことを、わたしは実はほとんど知らなかった。例えばマイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーのように、子供の頃の記憶の風景にひっかかったアイコニックな存在で、なぜか生身の人間として捉えたことがあまりなかった。完全に「絵の中の女」であり、例えば山本寛斎やKENZOの総天然色や、ISSEI MIYAKE のジオメトリックな形、ヨウジヤマモトや勅使川原三郎のカラス色ジャポネスク、といった印象とともに、すっかり「完成されてしまった美」だった。
 しかし、今回、展覧会「山口小夜子 未来を着る人」を観て、山口小夜子という存在は、時代を呼吸しながらさまざまな潮流を生きた人間だったと再認識した(当然のことだけど)。そして、ファッション・服のもつパフォーマンス・身体芸術的側面に注目し、身を挺してそのことを表現していた人であったと、改めて意識した(今さらながら)。


「三宅一生『馬の手綱』を着た小夜子」 撮影:横須賀功光 1975年

「服の劇場性」とは

 ところでわたしは、「シアタープロダクツ」というファッションブランドを2001年より始めて、なんだかんだで14年がたつ。そもそも興味があった演劇というものに求めていた理想と妄想が、むしろ服が作り出すコミュニケーションの向こう側にあるのではないか? と、この仕事をする中で模索し続けてきた者である。とりわけ、当社デザイナーの武内昭との仕事を通して、「服という平面的な素材から発生した立体に人が袖を通すことで、そこに時間と空気が生まれ、建物なき劇場が作り出される」ということ。そしてそれが、そもそも等しく服に宿る普遍的な力だということを実感していった。そして、劇場がそこにあるなら、服を着ている人のそれぞれの生活と、服が呼び起こす物語や詩や動きの戯曲なきドラマが現れ、交り合いながら、詩情が現在の風景に生き始めると信じて、わたしなりの挑戦を続けている。
 もしかしたら、山口小夜子はこの「服の劇場性」を、ファッションの側から演劇の側に向けて自覚的に表現を押し広げていたのかもしれぬ。もちろん彼女にとっては、それは手段のひとつであり、目的ではなかっただろうけれど。など、勝手な親近感をもって、改めて尊敬するとともに、これまで、ファッション=トレンドよろしく、過去の現象として片付けてしまいそうになっていた自分にも気づいた。

山口小夜子の身体

 1970年代、山口小夜子の身体・容姿は、アジア人であること、モンゴロイドであることのコンプレックスを拡大し、それを受け入れ、権威的な欧米的モデル的身体像を凌駕したであろう。そして当時の多くの日本人をはじめとしたアジアのファッションデザイナーを勇気づけ、鼓舞したのに違いない。またそれは、おそらくさまざまな人の思いを具現化した奇跡の結果でもあっただろう。デビュー当時のファッション写真からは、待たれていた“先駆”を扱う手つきの興奮と躍動があり、その後の資生堂の広告群からは消費欲求と新しい人間像をつなぐ、確固たる時代の自信が感じられた。
 そして、ファッションの分野から表現をスタートさせた山口小夜子は、その熱き時代に集まっていた強烈かつ才能あふれる演劇人たちとの出会いを通じて身体能力を磨き、周囲もまた、彼女の力を引き出しながら、特有の身体=表現として完成させていったようである。もちろん、彼女自身が、人間の輪郭を超えた身体性に挑戦し、身体(と服)というものが時間と空間に対して描くイメージについて意識的であり、そのことを鍛錬によって高めていける探求の人であったからこそ、彼らとの呼応が可能であったのだろう。
 このようにして、ある時代に、ふっと人の形として現れた「山口小夜子」は、その輪郭をはっきりとさせながら、時代は過ぎるも、求道者の人格をもって、いまなお脈々と生きているようである。山川冬樹の映像作品では、彼女の身体は「道」となり、継承されているようにもみえた。また、生西康典の作品でも、彼女のアウラというようなものがあるのなら、それは電源を入れて作品を起動させれば、彼女のアウラとでもいうようなものがそっくりそのまま、そこに存在し、死も生も同じ地平であるような、そんな心地がした。
 そのような、時代も生死も越えて、媒体となったゆるぎない「山口小夜子」の身体は、称賛したいような、しかしもはやファッションではないようにも感じ、なぜか寂しくなった。死なないんだもの。


生西康典+掛川康典「H.I.S Landscape」(「六本木クロッシング」出品作品、森美術館)2004年

「絶・絶命展」 生まれながらにして瀕死

 先日、ファッション的身体や、そのゆらぎについて考える機会があった。パルコミュージアムで開催された「絶・絶命展〜ファッションとの遭遇」である。
 会場では幾つもの若手デザイナーによるさまざまな展示エリアがあり、そこで自在にインスタレーション表現を行なっている。その展示エリアに、時間帯によって、それぞれ生きた人間がマネキンとして現れるのを客が見る、という仕組みのプレゼンテーションだ。その様子は実に不安定で、誤解を恐れずに言えば、美とも醜ともつかぬ弱々しい身体が露呈していた。見たいような、目を覆いたいような衝動に襲われる、見世物小屋の感覚である。誰がモデルか観客かもよくわからないカオティックな状態で、質もまちまちであったが、そんなことは割とどうでもよく、ファッションをとおして何かを表現したいという欲求が勢いとなって渦巻いていた。会場のなかをうろうろと見ていたなかで、この展覧会全体を企画している2名のデザイナーのうちの一人、坂部三樹郎(mikio sakabe)のエリアの人間が、特に印象に残っている。銀色に輝く閉ざされた世界に浮かび上がる腐女子的な女性像の表現。もう立つこともできない、あるいはする気もない、背骨をまっすぐにしてウォーキングするという美学からいえば、もはやただのぐったりした姿勢の人間。消費喚起装置としての「あこがれ」の眼差しを退けるような姿勢が逆にしたたかさを感じさせる。常に彼の提示する人間像には、我々日本人がいま直面する身体に対する批評的問いかけと積極的な興味が表現されており、美の概念を押し広げる意志がある。現在的なファンタジーがフィジカルと出会った結果の人間像に、未来が生まれるときの頼りなさと美しさがあり、その崖っぷちの危うさは「きわめてファッショナブルな人体」を思わせ、過去になる前に死んでしまいそうな疾走感と儚さがある。目も合わせないナードな体は二次元(アニメ、マンガ、ゲームなどの)への妄想を纏っているのか。フリフリのガーリーな衣服を着て横たわり、自己完結しているようにみえるが、彼女はその身体から逃れることはできず、オーディエンスとの間に「劇場」が生まれてしまうことを拒否できない。観る側は、観るべきではない身体を観ているような居心地の悪さを感じると同時に、それが自分の身体の属性なのかもしれないとハッとする。


「絶・絶命展〜ファッションとの遭遇」展 mikio sakabe作品エリア 2015年 写真撮影:湯浅亨

誰のものでもない自分=美をつくる

 ところで、巷のファッション業界では等身大(風)モデルたちに対しての羨望を喚起するようなプロモーション=「あこがれ」から消費を創出しようという陳腐な導線(ステマ)ばかりが目につくのが実際である。自分の生活や自分の身体を、他人との比較でそこに足りないものを埋めていくばかり。
 衣類は安く手軽に手に入るようになって、コモディティとしての服はバリエーションも増え、身近なアイコンをモデルに、デイリーな消費欲求をこまめに満タンにすることもできるようになったような気がする。
 自分の人生を生きている(〜やがて死んでゆく)という皮膚感覚をもって、いま認識されていない「新しい生き方」を許容する未来を身を挺して描きあげるような行為や、装うことで「内面」や「理想の甲冑」を探し、自分を表現すること(その「自分」とは多層的であったり「変身欲求」も含まれるかも知れないが)、自分たちにしか切り開けない「身体と装いの凄み」に挑戦することは、もう流行らなくなったように感じる。服に変わる何かがその役割を果たしているともいわれている。
 しかし問題は、その媒体がなんであれ、わたしたちが自分の皮膚に、何を「装い」「纏い」、美の基準に対してあくなき挑戦をし、他者と、自分の内側と、どんなコミュニケーションを作り出していけるのか、ですよね。
 目線を高く、遠くにやりなさい、と、小夜子さん・ザ・インモータルが言った気がした。


「山口小夜子 未来を着る人」展招待券 デザイン:松本弦人

山口小夜子 未来を着る人

会期:2015年4月11日(土)~6月28日(日)
会場:東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1/Tel.03-5245-4111(代表)

絶・絶命展〜ファッションとの遭遇

会期:2015年3月19日(土)~3月30日(月)
会場:パルコミュージアム
東京都渋谷区宇田川町15-1/Tel.03-3477-5873

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