フォーカス
いま、ブラジルは世界に向けてアートを発信する
高橋ジョー(イベント・プロデューサー)
2016年08月01日号
オリンピック、パラリンピック開催で沸くリオ・デ・ジャネイロ。活況のなかにあるブラジルの現代アートの現在とスポーツの祭典にからんだ文化プロジェクトについて伝える。
ニテロイ──ゴミからアートが生まれる
グアナバラ湾の西岸にはリオ・デ・ジャネイロ、東岸にはニテロイ。オスカー・ニーマイヤー設計の「ニテロイ現代美術館」は空飛ぶ円盤のような形状で、グアナバラ湾を見下ろすニテロイの丘の斜面に建てられた劇的な建築物であり、ブラジルのランドマークのひとつとされている。2016年5月のルイ・ヴィトン「クルーズ・コレクション」は、同美術館の開館20周年に合わせ、大規模な改修工事を終えての初の再開事業であった。このショーはルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクター、ニコラ・ジェスキエール監修のもと行なわれた。
そのニテロイ市に在住する写真家アメリカ・クペロはリオ・デ・ジャネイロ連邦大学のヴィジュアルアートの博士でもある。昨年末に40年間倉庫で眠っていた百数体の人形との遭遇をテーマにインスタレーション展を実施、注目を浴びた。廃棄物になる寸前に静かにレスキューを求める人形からの呟きをアメリカは優しく受け止め、時間の経過を失った眠れる美女たちに新たな生を与えることにした。ゴミになるはずだった人形の服を縫い直し、花を飾り、新しい環境の中で人形にもう一度の人生を再現した。ノスタルジーやいたわりを超えたアートは写真というフィルターを通じて空想と現実が一体化する魅力的な次元を構築できることを証明し、使い捨て文化を批判する作品でもあった。
廃棄物をアートにして有名になったヴィック・ムニーズはニューヨークを拠点に活動する。リオ・デ・ジャネイロ郊外にある世界最大のごみ処理場を舞台にしたドキュメンタリー『ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡』(2011年アカデミー賞ノミネート)で世界的に知られるようになった。この映画ではムニーズが制作したリサイクル可能な素材を拾い集める人々の巨大ポートレイトを主題にしている。ムニーズはこの作品を世界的有名なオークションで販売し、売上をごみ処理場で働く人々に全額寄付した。
リオ──「明日の博物館」と売れっ子アーティスト
ニテロイの向こう岸のリオ・デ・ジャネイロでは、「明日の博物館」が港の再開発事業の一環として建てられた。それはまさに未来を指している建築物である。ニテロイの近代主義とリオ・デ・ジャネイロの未来への眼差しがグアナバラ湾でクロスする。「明日の博物館」は先端的な科学館であり、未来を構築するための環境保護意識、共生とサスティナビリティを尊重する科学促進といったテーマを追求する。リオ・デ・ジャネイロ市役所港エリア再開発事業「ポルト・マラヴィーリャ」(素晴らしき港)の最も注目すべき事業である。3万5千平米の敷地内に建築面積1万5千平米の建物はリオ旧市街の新しいスポットとなってきている。スペイン人建築家サンティアゴ・カラトラバの設計で、「水面に浮く船、鳥あるいは植物」のイメージから生まれたという。カラトラバはアルゼンチンの首都ブエノスアイレス市の再開発事業でリバー・フロント・プロムードなどの新しいスポットを設計した建築家として著名である。
2000年代初期のブラジルは経済成長の波に乗り、BRICsのリーダー的ステータスを確保したが、近年においてはその元気が薄れてきている。しかし、現代アートに関しては今までになかったブームが到来している。ヨーロッパ、アメリカでのオークションでは、ブラジルの現代アートの価値が高まり、ブラジル人アーティストとして最高落札額を獲得したアドリアナ・ヴァレジョンや今や世界的アーティストであるトゥンガ、エルネスト・ネトがブラジル美術を世界に放つ。
近年のブラジル美術のブランド化が著しく伸びているが、中でもリオ・デ・ジャネイロ出身のベアトリス・ミリャーゼスは最も成功している一例といえるであろう。2001年作の「マジシャン」はニューヨーク・サザビースでUS$ 1,049,000で落札され、ブラジル現代アート市場で最高記録の販売となった。色鮮やかで華やかなパターンは一見装飾的にも見えるが、繊細なコラージュ的な構図は立体的でさえある。どの作品の制作にもかなりの労力が必要で、年間10点完成させるには相当の努力が必要だとミリャーゼスは語る。ミリャーゼスは2008年のブラジル日本人移民100周年の年に東京都現代美術館で行われた「ネオ・トロピカリア―ブラジルの想像力」展で入口のガラス面に巨大な壁画を発表したことで日本でもお馴染み。ミリャーゼスはグラフィティ・アートの発展とは反対方向に、絵画から商業空間、ロンドンの地下鉄プラットフォームへと、更にはパブリック・アートとして都市景観にも登場するようになった。ミリャーゼスの作品がこれほど世界的に評価される理由のひとつは、ブラジル特有の大胆な色彩表現、トロピカルな植物に庶民的なモチーフなど、いわゆる世界が求めるブラジルのイメージを素直に表わしているからであろう。
ストリートから世界へ羽ばたく
リオ・デ・ジャネイロやサンパウロでは、都市景観が野外ギャラリーのような機能を持っている。市はグラフィティ・アートを促進するために、公共の場を提供するばかりでなく、制作に資金援助をするほどの意気込みを見せる。路上に住む社会的弱者に少しでも表現の喜びを与えようとする行為でもあり、多くの作品には社会批判的なメッセージも見られる。最近の傾向では、商店街もそれに合わせて、グラフィティ・アートを意識的に導入するようになってきた。本来ならば野外アートであったものが、レストランや有名ブランドの店内にも現われるようになってきたことはここ数年のこと。ユーモラスなファンタジー絵画で壁を塗りつぶす双子オス・ジェメオスはブラジルの路上から、世界に羽ばたくアーティストとなった。
2016年リオ・デ・ジャネイロ五輪の公式ポスターのデザイナーの一人にグラフィティ作家エドゥアルド・コブラが選ばれるほど、このジャンルはポピュラーになった。彼はこのオリンピックイヤーに駐日ブラジル大使館の正面壁をリオ・デ・ジャネイロとブラジル音楽をテーマにしたグラフィック・アートを制作した。ボサノバの生みの親である二人の巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビン(1927-1994)と詩人で外交官でもあったヴィニシウス・ヂ・モライス(1913-1980)をオマージュする壁画が静かな北青山の一角を飾る。
近年においては、グラフィティ・アートが壁から飛び出し、プロダクト・デザインにも起用され一人歩きするようになってきた。チチ・フリークの仕事がいい例である。オリンピックイヤーめがけて、人気スニーカーブランド「オニツカタイガー」は新商品を開発、チチが大阪滞在中に制作した絵画作品を採用した。「日本で描いた絵だが、心はブラジルに向いていた」と語るチチ自身も、ブラジルと日本が交差して生まれたアーティストである。キャッチーなトロピカルカラーとホットなブラジルを表現しているということから、アシックスジャパンからも絶賛されたそうだ。この作品は2011年に描かれたが、未だに何故か未公開であった。スニーカーとともに作品自体もリオ・デ・ジャネイロのホームグラウン・ギャラリーで、オリンピック期間中に初のお披露目となる。
バラエティに富む文化の祭典
毎年開催されている国際写真展「フォトリオ2016」は、オリンピック・パラリンピック選手の身体と精神をテーマに写真家グスタボ・マリェイロスの視点を紹介している。リオ・デ・ジャネイロ市主催事業で、選手のスポーツと日常が一体化した瞬間をファインダーに収めた作品集をオリンピック会期中に一般公開している。
一方、ブラジル連邦政府文化省は公募プログラム「アート・モニュメント・ブラジル2016・オリンピック2016」を発表し、全国から集まった281件の応募作品の中から23件を推薦、制作への資金援助を行なう。選ばれた企画はすべて「スポーツとアートの接点」を追及するもので、年内に完成させることが義務づけられている。選ばれた企画のジャンルは、モニュメント(彫刻)制作から短編映像作品までと幅広い。
また、リオ・デ・ジャネイロ市は独自にオリンピック会期中に実施される舞台芸術(演劇、ダンス、サーカス、音楽)事業25件に各7万ドルの資金援助を提供することにした。競技場以外に劇場や美術館では文化的な香りが漂うリオ・デ・ジャネイロである。