フォーカス
記録・再構成される土着性
多田麻美
2016年09月01日号
土着の文化に注目し、そこから創作のヒントを得よう、といった主張は、1980年代を始点のひとつとして、中国では一定の説得力を維持してきた。その流れは、欧米のさまざまなコンセプトの導入、そして恐らくはその反動としての伝統文化への回帰、特に水墨画や書への回帰という段階を経て、新たな環境のもと、あらためて多様な形で力を得つつあるように見える。今回はその動きの一端を追ってみたい。
個性ある個の集積
80年代、多くの作家が欧米の新しい思潮を貪欲に受け入れていくなかで、あえて中国土着の文化に目を向け、フォーク・アートにヒントを得ながら創作活動を続けた作家たちがいた。その代表格が切り絵の「小紅人」シリーズで知られる呂勝中だ。その呂に師事した多くの作家のなかでも、鄔建安は近年、特に注目されている作家のひとりだ。先日、そんな彼の新作を集めた展覧会、「万物:鄔建安近作展」が開かれた。
彼の多くの作品を特徴づける、伝統的な影絵人形と過去の文学的イメージの結合は今回も健在だった。だが新たな挑戦もあり、二つの大型作品は、いずれも、一つひとつ異なる個の集積が、ひとつの状態を形づくっていた。
そのひとつである《浅山》(2016)は、1,500個の古いレンガを床に並べたもので、各レンガの表面には、それぞれ深さの異なる傷跡が入っている。百個百様の個性をもつレンガたちは、もとは、なんらかの建築物の構成要素であったはずだが、もはや積み重ねることはできない。変わりゆく社会と、社会の構成要素としての個人の関係について、思考が促される作品だ。
一方、《大骨架》においても、全体を構成するのは貝類という単一の素材だが、それぞれ人の顔が書き込まれることで、個性をそなえたものとなっている。連ねられた貝たちは、お決まりのポーズを取っている孫悟空の骨格を構成し、その影が影絵のように、後ろの壁に映る仕掛けだ。解放後の中国で健全な文学に分類されてきたこともあって、西遊記の物語は、さまざまなジャンルで、いい意味でも悪い意味でも、バージョンを変えて繰り返し語られてきた。作品からは、そのような風潮のなかで、孫悟空の人物像が帯びるに至った、文化の象徴としての存在感と、それを継承し、反復する人たちの関係が浮かび上がってくる。生き物でありながら、物言わず、波に流されながら生きる貝。でも貝は、特定の人種というより、人類そのものの在り方を連想させる。貝そのものは広く存在する種のひとつに過ぎないが、それが同一の文化イメージを共有すれば、文化の共同体が形成される。
連環画の原画が集結
民間文化、大衆文化に素材を求める動きは、中国のアート界ではけっして新味のあるものではないが、社会のダイナミックな変化のなか、かつての「民間」的要素の多くは、急速に過去のものとなりつつあり、なかには消失が危惧されているものもある。そんななか、近年は民間・大衆文化の価値ある遺産を整理し、その価値を展示・普及させる動きも活発だ。
例えばこの夏、中国美術館では、大型の連環画コレクション展、「故事絵──中国美術館蔵連環画原作精品展」が行なわれた。ここでいう連環画とは、俗に「小人書」とも呼ばれている、いわば紙芝居風の絵本だ。体裁こそ子ども向けだが、内容的には大人でも十分に楽しめるものが多く、一部には収蔵価値もあるため、年齢を問わず広くファンを擁している。掌サイズのものが主流だが、大判のものもあり、内容も、古今東西の文学作品や童話から語り物文学、そして時代を反映した革命物まで多種多様だ。大衆への普及のしやすさから、過去の一時期においては、政治思想の宣伝の役割も担った。
何より、今回の展示で驚かされたのは、連環画の画風の多様さだ。いわゆるペン画から、水彩画(ガッシュ画含む)、木版画、水墨画、切り絵、さらにはたいへん手の込んだ細密画まであり、一枚一枚が独立した作品として十分成立するものも少なくない。これには恐らく、宣伝画としての連環画が重視されるなか、各ジャンルの優秀な作家が連環画の制作に従事するようになったこと、またその反面、個人の職業の選択肢が限られていた時代背景においては、作品を発表できるジャンルが、当面、連環画以外にない作家も少なくなかったからであろうと推測される。
さらに意外だったのは、連環画の役割が、国内外で生まれるさまざまな漫画やアニメに取って代わられた21世紀においても、新たな連環画作品が生まれていることだった。その清新な作風を支える力は、恐らくアニメ業界などでも近年、頭角を現わしつつある新しい世代のクリエイターたちのエネルギーとも、共振関係にある。
続いて同じ中国美術館で行なわれた、中国の少数民族の「背扇」の展覧会も、少数民族が赤ん坊を背負う時に用いる布、「背扇」に施された精緻な刺繍やパッチワークなどを洗練された手法で展示したもので、そのシンボリックで多彩な表現は、中国各地に眠るフォーク・アートの遺産の底力を強く感じさせた。
自然と農村を見つめ直す
一方、今年の春から夏にかけては、今日美術館でも、農村に目を向けた展覧会が開かれた。そのひとつが、著名画家、毛旭輝のもとで学んだ学生たちの作品を集めた「雲南種子」展だ。同展には、少数民族の部落を含む、雲南省や四川省の農村出身の1980年代生まれの作家たちが、実習の一環として彝族の一派の住む地元の山、圭山で描いた絵が集められた。圭山とは、その素朴な美しさによって雲南ゆかりの多くの作家たちにインスピレーションを与えてきた場だが、やはり農家の外壁にタイルが張られるなど、微妙な変化のなかにあるという。
同美術館では、気候等の条件の厳しさによって過疎化による消滅の危機にある中国西北部の村を記録し、村人たち一人ひとりの肖像画を連ねた柏林の「最後の村荘」展なども開かれた。
現在、中央美術学院の院長を務め、中国の美術界に大きな影響力をもつ范迪安氏は、この夏、アメリカのブルッキングス研究所でのシンポジウムでこう発言している。「中国の社会では常に巨大な変化が発生している。これは中国の現代アートの創作の重要なリソースである。それと同時に、西洋の文化や芸術も中国の現代アートに影響を与えている。このような背景こそあれ、中国の現代アート作家たちは伝統文化の遺伝子を忘れるべきではない。伝統文化の遺伝子を探し、伝統的なリソースの現代への転換をきちんと行なうべきだ」。これは正直なところ、「民族のものこそが、世界のものだ」と語った魯迅の主張の延長線上にあるもので、中国においては特に目新しい主張ではない。だが、母体となる農村が変質、解体、消滅の危機に晒されることで、農村で受け継がれてきた文化も変質・消滅の危機にあるいま、リソースそのものが今後もリソースであり続けること自体が、悲痛な願いになっている。
確かに、かつて中国の作家たちは、リアリズムを推奨する流れのなかで、多くの素材を土着の文化や風景から見出した。だが環境の変化のなかで、いまはそれらを見つめるまなざしそのものも多様化している。土着の文化と中国の現代アートのますます個性化、多元化していく関係は、今後も私たちにさまざまな発見をもたらしてくれることだろう。
鄔建安「万物:鄔建安近作展」展
「故事絵──中国美術館蔵連環画原作精品展」展
「情系寨郷──李恵貞捐贈西南少数民族背扇精品展」
「雲南種子」展
柏林「最後的村荘」展