フォーカス

わたしたちのビエンナーレ
──コチ=ムジリス・ビエンナーレが示すアートのかたち

黒岩朋子(キュレーター)

2017年01月15日号

 アラビア海に面した南インドのケーララ州。その主要都市であるコーチンは、首都から3000キロ近く南下した風光明媚なところにある。同市はコーチ、コチともよばれる観光地で知られるが、同地で南アジア最大の国際展が開かれるまでは、美術関係者にとって耳慣れない地名であった。数回の開催で、その存在が国内外に浸透しつつある、コチ=ムジリス・ビエンナーレ(Kochi-Muziris Biennale: KMB)についてレポートする。

 2012年に始まったコチ=ムジリス・ビエンナーレは、12月12日から3月末の間に隔年開催されるインド初の国際ビエンナーレ。第1回展は23か国から89名、第2回展は30か国94名のアーティスト作品が展示された。それぞれ40万人と50万人が来場して大きな成功を収めている。昨年12月12日からは、第3回展が開催中だ。


メイン会場のひとつアスピンウォール・ハウス
Photo Courtesy:Kochi-Muziris Biennale 2016

 主な会場が集まるフォート・コーチンは旧市街にある小さな港町。海辺ではチャイニーズ・フィッシングネットといわれる昔ながらの敷網漁法を目にすることができる。紀元前から胡椒をはじめとする香辛料交易で栄えたおかげで異国の宗教もいち早く伝来した。街にはインド最古の教会、シナゴーク、マスジッドが現存し、今でもユダヤ人が数家族住んでいる場所でもある。1498年にポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが、同州のカリカット上陸を果たして大航海時代の幕が開けたのち、海岸一帯はオランダ、イギリスと欧州列強の植民地支配をうけた。その名残は英国の商館だったメイン会場のアスピン・ウォールをはじめ、会場の至るところにみられる。新たな会場であるコッタプーラム要塞は、「コチ=ムジリス」の由来にあたる場所。14世紀に洪水で消滅した古都ムジリスの跡地とされる。都市消滅のあと、貿易港の役割がコーチンへ引き継がれたことから、文化の継承の意味合いも込めてビエンナーレの名となった。

 前回展で当時のテイト・モダン館長のクリス・デルコンに「未来の美術館の見取り図」、オクウィ・エンヴェゾーに「世界のキュレーターやアーティストが目指す地」と評された本ビエンナーレ。美術関係者を魅了するのはなぜか。そのヒントは街中のスローガン「わたしたちのビエンナーレ(It’s Our Biennale)」にある。

アーティストたちのビエンナーレ

 本ビエンナーレは初回から一貫してアーティスト主導による国際展である点に特徴がある。2010年にムンバイで活動していたアーティスト、ボース・クリシュナマチャリとリヤス・コムに、ケーララ州の文部大臣が地域文化振興の相談を持ち掛けたのが始まりだ。当時は国内唯一の国際展インド・トリエンナーレが2005年から休止中で、自国のアートシーンを自らでなんとかしたい気持ちがあったのだろう。二人は州の協力のもと、ビエンナーレの開催を提案して財団創設と初回のキュレーションを共同担当した。現在は財団ディレクターと事務総長として、毎回のビエンナーレを支えている。第2回展のジティッシュ・カッラトと今回のスダルシャン・シェッティは、いずれも、海外のビエンナーレやトリエンナーレに参加経験があり、国内では国立近代美術館で個展が開かれるアーティストだ。初回展を含め、国際展をキュレーションするのは全員初めてであった。


第3回展のキュレーター Sudarshan Shetty
Photo:AJ Joji
Photo Courtesy:Kochi-Muziris Biennale 2016

若手と地方のビエンナーレ

 二つ目は若手と地方のアーティストに国際展への可能性を開いた点にある。力があっても機会がなければ日の目を浴びぬのはどこも同じ。前回展はケーララ州出身のマドゥスダァナンがヴェニス・ビエンナーレ、ウンニクリシュナン・Cがシャルジャ・ビエンナーレに選ばれたほか、本展経由で福岡アジア美術トリエンナーレ、あいちトリエンナーレや瀬戸内トリエンナーレなどに紹介されたアーティストもいる。財団直轄の関連プログラムでは、FICA財団(Foundation For Indian Contemporary Art)の支援の下で、若手の育成と教育を視野にいれたスチューデント・ビエンナーレが第2回展から開催されている。今回は選抜15名の若手キュレーターが全国55校の美大生を一年かけて調査、465名の作品展を市内各所で開催。同地で自主企画展を開催する地方のアーティストたちもいるなど、ビエンナーレ全体を活気づかせている。

観客と地元民のビエンナーレ

 三つ目は地元での盛り上がりだ。いまや同州でビエンナーレを知らぬものはいない。平日は近隣からバスに乗った子供たちが課外授業で、週末はよそゆきの服装で家族連れがやってくる。共産主義を支持する国内唯一の州であり、識字率が9割の高い教育水準が関係してか、英語と州の公用語マラヤーラム語が併記された作品解説文を丁寧に読む人が多い。過去に作品の前で清掃婦が議論するところに遭遇したこともある。現代美術と観客の距離がとても近いのだ。ビエンナーレが街全体に受け入れられているのが感じられる。オープニング当日は招待客も含めてすべての人が無料で鑑賞でき、夕刻からはケーララ伝統の太鼓の生演奏で一緒になって開会式を楽しむ。今年は、開催1週目ですでに3万人が来場しているという。毎度訪問のたびにホテルやレストランの改装や開業がみられるなど、地元経済への貢献もめざましい。



コチ=ムジリス・ビエンナーレ 2016

 本展タイトル「Forming in the pupil of an eye」は、暗がりで瞑想していた女賢者の瞳に内と外の世界が集まり、光輝く眼差しを通して訪ねてきた若者に幾重もの多様な万物と可能性を示したという、インドの古い話から想を得ている。世界のありようを示唆した話は、文学や演劇、風刺画、建築や音楽などの芸術表現者を招いて、リアリティの多重性や表現の領域を越えた新たな可能性を空間内に切り開こうとする、本ビエンナーレの根底をなしている。今回は31か国、97作家、日本からは笹本晃、毛利悠子、山本高之が参加。12会場で展示された約112作品のうち57作品が新作だ。

 詩人で作家のアレシュ・シュテゲル《Pyramid of Exiled Poets(亡命詩人たちのピラミッド)》は、メイン会場中庭に登場した外壁が牛糞で覆われたピラミッド。内部はヤシの葉などでできた迷路のように薄暗い細道が延々と広がる。恐る恐る中へ進むと、楊煉、ベルトルト・ブレヒト、ダンテ・アリギエーリほか、亡命詩人の詩を朗読する声に迎え入れられる。ほかにもカトリーナ・ネイブルガとアンドリス・エジリティス《Will-o'-the Wisp》など、現地素材をうまく利用したサイト・スペシフィックな作品が多い。ヤシの葉に覆われたドーム状の作品は伝統的な素材と技法に手を加え、内部にインドに伝わるチル・バッティ(怪火)の伝説にヒントを得て制作された、奇跡について話すグルや霊媒師らの映像が流れる。東北の民話と原発に向き合う福島をつなぐ山本高之《窯神のいわれ》は横たわる自身の像の臍から金の粒が毎日ランダムに一粒飛びだす偶然性をはらんだ作品。

Aleš Šteger 《The Pyramid of Exiled Poet》
Photo Courtesy:Kochi-Muziris Biennale 2016

Katrina Neiburga and Andris Eglitis 《Will-o‘-the Wisp》
Photo Courtesy:Kochi-Muziris Biennale 2016

 カミーユ・ノーメントと毛利悠子の作品は、展示室の目の前に広がる海、横切る船の汽笛の音など、日々の環境と共鳴するサウンド・インスタレーション。ノーメントの《Prime》では、ベンチと低音がわずかに共振し、観客が座ると振動を感じることができる。イベントでは、カスタマイズされたグラス・ハーモニカを指で奏でて、震えるグラス音が女性の低く唸る声と一体となり波打つように変化するようすを披露した。初の国際展参加の毛利は、かつて実験室だったタイル張りの部屋で《Calls》と《鬼火》を展示。インドの日用品と展示環境の予期せぬ変化をも取り込んだ、これまでの活動の集大成ともいえる意欲作。

Camille Norment 《Prime》


毛利悠子 《Calls》

 ゲイリー・ヒル《Dream Stop》は、天井から垂れる円形の装置の前に立つと、31の円錐レンズを装着したビデオカメラとプロジェクターを通じて、万華鏡のように自己の姿が映し出だされる。天高の広い空間にあらゆる角度とサイズの異なるイメージが重なりあう様子は壮観だ。ナイザ・カーン《The Journey We Never Made(叶わぬ旅)》は、パキスタンのカラチ近郊にあるマノーラ島に関する作品。装飾が施されたダウ船などの模型は可愛らしい一方で、大航海の貿易や征服の歴史を物語る。リゾート地だがパキスタン海軍基地も抱える同島と、南インド海軍司令部があるコーチン。近年の両国の関係が個人に与える現実が作品にも重なる。

Gary Hill 《Dream Stop》
Photo Courtesy:Kochi-Muziris Biennale 2016

 会場内で同時多発的に開催されたパフォーマンスや演劇は大胆な舞台美術や演出方法もみられた。アナミカ・ハクサル《Compositions on Water(水の構図)》は不可触民(ダリット)の作家たちの文章をもとに、社会的弱者が生活用水の扱いで受ける差別や抑圧の様子を表現。背面から水が流れ、土の舞台では火を焚くなど臨場感たっぷりの演出が展示空間に広がった。笹本晃は穴の開いたコンクリートの床、鎖で吊り上げられた収納家具、壁、トランポリンなどを駆使した緊張感のある即興パフォーマンス《Random Memo Random》を披露。本作のコンセプト映像も別会場で展示している。

Anamika Haksar 《Compositions on Water》

 全会期中、展示空間をスタジオにする強者たちも何人かいる。ダニエル・ガリアーノ《Bad Trip India》は、インドで購入した土産物の絵画に、観客を含む人物や出来事などを一日一枚ずつ重ね描く。エリック・ファン・リースハウトは、開催中に訪れた観客やアート関係者、スタッフとビエンナーレについて対話を重ね、その様子を撮影して本展の潜在力と可能性を考察する《Public》を制作。プラニート・ソイは《Work Station》で、ココナッツの外皮の繊維で敷物やロープの原料となるケーララ州産のコイアにみる地元産業の労働と権力の構造を調査する。同時にペッパー・ハウス会場の中庭にコイア素材の彫刻《Cut Out Archive--Sculpture in Coir(切り抜かれたアーカイブ――コイア彫刻)》を展示。そのほか、C.バガナースも市内から会場にスタジオを移して、トレーシングペーパーに描いたセルフ・ポートレイトを何枚も重ねた《Secret Dialogue(密やかな対話)》を制作。

Praneet Soi 《Cut Out Archive--Sculpture in Coir》

C Bhagyanath 《Secret Dialogues》
Photo Courtesy:Kochi-Muziris Biennale 2016

 多彩な芸術表現者の個々の作品は、本流に流れ込む支流のように別々の方向からコーチンに集まり、想像力や多様性、歴史や伝統、自然など複数とかかわりながら緩やかにビエンナーレというひとつの大河を形成してゆくかのようだった。今回も一部未完のソフト・オープニングで始まったが、煩悩の数と同じ108日の間にどんな「未来の美術館の見取り図」が描かれるのだろうか。このインド的ともいえる進行形のビエンナーレを見守っていきたい。

Kochi-Muziris Biennale 2016

会期:2016年12月12日(月)〜2017年3月29日(水)
会場:Aspinwall House、Pepper House、Kashi Art Café、Cabral Yard、David Hall、Durbar Hallなど12か所
Kochi Biennale Foundation
1/1903, Kunnumpuram, Fort Kochi PO, Kerala 682001, India