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【パリ】70年の歴史を俯瞰する初の大回顧展「Christian Dior──Couturier du Rêve」

栗栖智美

2017年10月01日号

 この夏、フランスで最も話題となった展覧会と言えば、「Christian Dior──Couturier du Rêve」展であろう。ファッション関係者だけでなく、幅広いジャンルの老若男女、さまざまな国の人々が、このフランスのオートクチュールを代表するメゾンの大回顧展に訪れている。筆者もまた、ヴァカンスでパリが閑散としているはずの平日に、前売り券を持っているにもかかわらず、パリ装飾芸術美術館前のリヴォリ通りの長蛇の列に並ぶはめになった。その行列が、入場のセキュリティのためではなく、その後のすべての展示室においても続くとは、予想外であった。2018年1月まで続くこの展覧会にこれから訪れる方にも役立つよう、本展についていくつかのポイントをレポートしてみたい。

図1 真っ白なドレスが15mの天井まで展示された部屋[以下、すべて筆者撮影]

Christian Diorブランドのすべてのクリエーションを俯瞰

 クリスチャン・ディオールの名前を知らない人はあまりいないだろう。服飾ブランドであり、バッグ、宝飾品、コスメ、香水と、Diorの名を冠したアイテムは、デパートや雑誌などあちこちで見かける。ただ、これらのアイテムを展開する企業の創始者クリスチャン・ディオールについては、あまり知られていないのではないか。

 30年前の1987年に、パリ装飾芸術美術館でChristian Diorの展示が行なわれたことがある。そのときは、創始者であるクリスチャン・ディオールが活躍した1947年から1957年までの10年間にクローズアップした、彼ひとりの回顧展であった。
 今回のパリ装飾芸術美術館で開催中の「Christian Dior──Couturier du Rêve」展は、メゾン創設70周年を記念してクリスチャン・ディオールによるメゾン創設後から現代まで続く、Christian Diorブランドのクリエーションすべてを俯瞰する初の大回顧展である。300点あまりの衣装や服飾品をはじめ、100点以上のイラストやクロッキー、手書きの手紙、写真、映像、調度品、絵画、オブジェなどを展示し、館内の展示室のほとんどを使った大規模な展示はフランスで話題となっている。

 展示は、クリスチャン・ディオール自身の人生と、Christian Diorに込められた彼のエスプリをさまざまなテーマに絞り、テーマごとの服飾作品や美術作品を展示するというもの。さらに、彼がつくり上げたメゾンChristian Diorを引き継いだ6名の後継者の作品にもクローズアップしている。世界のオートクチュールの代名詞ともなったChristian Diorは、どのようにつくられ、どのようにしてその地位を維持しているのか、世界中に散らばる服飾作品や芸術作品をパリに集結して観ていく希有な機会でもある。

創始者、クリスチャン・ディオール


図2 クリスチャン・ディオールの肖像画

 クリスチャン・ディオールは1905年、ノルマンディー地方のグランヴィルという街で生まれる。裕福な家庭に育ち、5歳のときにパリへと転居、外交官になるためにパリ政治学院に進学した。しかし、政治活動はせず、興味のあった芸術を仕事とするため、父の資金を借りてパリ8区にギャラリーをオープンさせる。前衛芸術を愛し、パリの演劇に足繁く通った若きクリスチャン・ディオール。活躍している有名な芸術家の作品展示だけでなく、才能のある新人作家も世の中に送り出したという。親交のあった芸術家はジャコメッティやダリ、カルダー、レオノール・フィニ、ジャン・コクトーなどで、戦前の「ベル・エポック」を謳歌したアーティストたちが集うモンパルナスやモンマルトルのカフェに、クリスチャン・ディオールの顔も見られたのかもしれない。パリ政治学院ではもっぱら人脈づくりに勤しんだというから、そのコネクションで、力のあるギャラリストになれたのではないだろうか。しかし、不幸なことに世界恐慌で父の事業が暗転、ギャラリーは6年で閉廊となった。


図3 1933年、ディオールのギャラリーにて開催された「シュールレアリスム展」で展示されたサルバトール・ダリの作品

ニュールックの誕生

 彼が描くデッサンを見た友人の誘いで、当時パリ・モード界で有名だったロベール・ピゲ、続いてリュシアン・ルロンのアトリエで修行する好機を得たディオールは、戦争が終わった1946年にオートクチュールのメゾンChristian Diorを創設する。最初の春夏コレクションで発表した作品が、Christian Diorの代名詞ともなる「ニュールックNew Look」である。これは、クラシック・バレエを彷彿とさせるデザインで、柔らかな肩のラインと、細く絞られたウェストからくるぶしまでふんわりと優雅に広がるスカートのラインとがつくりだす美しいシルエットを特徴とする。ハーパーズ・バザー誌の編集長がこのコロール(花冠)ラインの作品を「ニュールック」と評したことにより、この名が世界に知れ渡ることとなる。いま見ても、花のような有機的なフォルムやその曲線から美しさとエレガントさが感じられ、これぞDiorのシルエットと思うのだが、これを発表したのが最初のコレクションであり、戦後すぐであったことを考えると、より彼の革新性が強調される。というのも、戦後はまだ、布も配給制で洋服をつくること自体が贅沢であったにもかかわらず、1体の作品に40mもの布を使用したからだ。贅沢なドレープ使いで戦後の女性のエレガンスを提唱したスタイルは、当時の人々の度肝を抜いたに違いない。事実、ニュールックに反対する女性たちの激しい抗議運動が起きたそうだが、戦後の好景気がやってくると抗議運動もやみ、Christian Diorの人気はますます上がったのだという。ディオールの活躍もあり、パリは戦後、再びモードの都へと返り咲いたのだった。


図4 クリスチャン・ディオールのスタイルを代表するニュールック

花と香水


図5 黒い壁紙にシックな作品群を浮かび上がらせる前半の展示室の次は、自然をテーマにした牧歌的な展示室。明るく植物を模した装飾の中に作品が展示される。

 彼の作品は、シルエット、色、素材、装飾の細部にわたるまで、女性を美しくさせるための仕掛けが施されている。「女性のほかには、花こそが最も神聖なる創造物だ」と言うほど、彼の作品には自然からインスパイアされたものが多い。花のような可愛らしいピンクや清純な白、花弁のようなスカート、草原の空気を感じさせる軽快な素材、花や植物を模した装飾。ディオールのスタイルを花に例えることも多い。そもそも、最初のコレクションで彼が名づけたテーマは「コロール(花冠)」である。実は、彼が生まれ、ヴァカンスのたびに訪れたグランヴィルの庭がその創造の源になっている。母のマドレーヌはガーデニングに凝り、広大な庭には色とりどりの花が咲き乱れていたそうだ。印象派の画家のように、パリ郊外のミリー・ラ・フォレの庭園でデッサンを描くこともあり、Diorを継いだ歴代のアート・ディレクターもまた、彼が植えた花の種を現代的な花に変身させている。自然はChristian Diorの大きなテーマのひとつである。

 驚くことに、創設の翌年1947年にChristian Diorは香水部門を設けている。衣服で表現できない「花の香り」を補うためだ。香水は、ドレスに最後の一筆を入れて、完成させるためのものだという。香水のないドレスは未完成なのだそうだ。Christian Diorの最初の香水はバカラの瓶に詰められ、ローズ・ドゥ・メを基調にした香りで「Miss Dior」と名づけられた。この香水はニュールックのコレクション会場を燻らせたという。ニュールックの成功は、彼が語ったとおり、香りによって完成したのだ。
 香水部門は、「Miss Dior」のほか、20世紀後半を代表する調香師であるエドモンド・ルドニツカが手がけたすずらんを基調とした「Diorissimo」(1956)や、同調香師によるメゾン初の男性用香水「Eau sauvage」(1966)、ディオールが愛した南仏グラースのジャスミンやローズを使った「j’adore」(1999)など、香水史に残るエポックメイキングな香りを世に輩出してきた。香水を販売しているファッションブランドは多いが、お抱え調香師がいるメゾンはあまりない。Christian Diorが、香水というアイテムを衣服と同じくらい重要なものと捉えているのがわかる。


図6 1947年12月17日に発売開始された、バカラの白い瓶に入った香水には、「Christian Dior初めての香水Miss Dior」と書かれたカードが添えられている。

Christian Diorを引き継いだ6名の後継者

 展示の後半部分は、クリスチャン・ディオール亡き後の6名のアート・ディレクターの世界観にクローズアップする。ディオールは、1957年、メゾン創設から10年後にイタリアの保養地で心臓発作のため亡くなった。52歳の若さである。
 そして、メゾンを継いだのは弱冠21歳の若きイヴ・サン=ローランだった。いまやモードの帝王と呼ばれているサン=ローランは、ディオールに出会ったときにもすでに才能を高く評価されていたという。彼の死後、先輩デザイナーを押しのけて主任デザイナーとなったサン=ローランは、台形のスカートを特徴とするトラペーズラインのコレクションを発表、「Christian Diorの名は守られた!」と翌日の新聞で喝采を浴びた。
 サン=ローランが徴兵制で退職した後は、30年にわたってマルク・ボアンが引き継ぎ、Christian Dior社に長期の安定をもたらした。彼のもと、Baby Dior、Dior hommeと子供用、男性用ラインがつくられ、1989年にジャンフランコ・フェレに交代する。建築家でもあったイタリア人の彼は、すでに特徴的な空間表現を施したデザインで、ヴェルサーチやアルマーニと並びミラノのモードを牽引していたが、同時にフランスのChristian Diorにて7年間アート・ディレクターを務める。


図7 去り際までセンセーショナルだったジョン・ガリアーノのChristian Dior作品

 次いでジョン・ガリアーノが就任し、15年間、彼特有の斬新さとディオールの伝統を折衷した作品をつくり続けるが不祥事で解任となる。
 その後、ミニマルなスタイルを特徴とするベルギー出身のラフ・シモンズが務め、2016年に現アート・ディレクターのマリア・グラツィア・キウリと交代した。彼女はChristian Dior初の女性アート・ディレクターである。
 Christian Dior の歴史70年を振り返る本展覧会だが、創始者であるクリスチャン・ディオールが活躍したのは最初のわずか10年。その後を6名の後継者がブランドの看板を背負って、世の中にChristian Diorとしての作品を送り続けてきた。ディオールが築き上げた女性のエレガンス像を見事に引き継ぎながらも、独自のスパイスを融合させて発展してきた歴史を垣間見ることができる。


図8 最後の展示室は、Nefの広大な空間に配されるドレスの数々

 この展覧会で最後に圧倒されるのは、パリ装飾芸術美術館のNefと呼ばれる高さ15m、465m2の面積を誇る空間いっぱいに、Christian Diorのドレスが展示されている大展示室だ。ハリウッドの映画スターや、世界のロイヤルプリンセスが身にまとったオートクチュールのドレスの数々。展覧会すべてがオートクチュールのドレスなのだが、Nefに集められた作品はとりわけパーティーでの華やかさを演出する、まばゆいばかりの繊細な装飾が施された豪華なものばかり。空間を埋め尽くす色とりどりの作品に、クリスチャン・ディオールが築き上げ、6人の後任者たちが守り続けたメゾンの卓越した創造の力を感じざるをえない。


図9 1984年に発表されたジャクソン・ポロックに着想を得たマーク・ボアンによるドレス

 ほかにも、ジャクソン・ポロックのドリッピングにインスパイアされた作品、セザンヌのアルルカンの絵画のような作品など、アーティストと交流の深かった創始者を彷彿させるアーティスティックな作品もChristian Diorのテーマのひとつであるし、ディオールが居住空間やアトリエに好んで配置したという新古典様式の家具や、マリー・アントワネット時代のパステルカラーや華奢な装飾を施したトリアノンというテーマの作品、戦後の広告写真やアート写真に写された美しいパリの風景と溶け込んだChristian Diorワールド、これまでに発表してきた作品を色別に展示し、ドレスやコートだけでなく靴や鞄や香水を配した展示室など、観客がじっくりと細部を見られるような展示方法で、たくさんの作品からChristian Diorのクリエーションを鑑賞することができる。

 筆者が訪れた日は、すべての展示室が黒山の人だかりで、なかなかゆっくり観ることができなかったが、展示は2018年1月まで開催されているのでもう一度、パリが生んだ、いまなお続く世界のオートクチュールメゾンの真髄を体感してこようと思う。これから行かれる方は是非、前売り券を買っておくことと、行列に備えて温かい格好で行かれることをおすすめする。

Christian Dior──Couturier du Rêve

会場:パリ装飾芸術美術館
   リヴォリ通り107番地 パリ1区
会期:2017年7月5日〜2018年1月7日
詳細(日本語):https://www.dior.com/couture/ja_jp/...
  (仏 語):https://www.dior.com/couture/fr_fr/la-maison-dior/expositions/christian-dior-couturier-du-reve

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