フォーカス
【ニューヨーク】彫像のリアリズムと実像、幻想の狭間で──ドナテッロからジェフ・クーンズまで
梁瀬薫(アート・プロデューサー、アート・ジャーナリスト)
2018年04月15日号
メトロポリタン美術館の分館メット・ブロイヤーで開催されている彫刻展が、春シーズンの展覧会で、とりわけ注目を集めている。企画はメトロポリタン美術館のヨーロッパ彫刻・装飾部門と近代・現代美術部門の2部門によるコラボである。14世紀の大理石や木彫のものから、フィギュア、蝋人形、人体模型なども含む現代までの西洋美術における彫像作品を通して、歴史や理論、時間と空間、社会と文化を比較し、人体の立体表現を検証する構成だ。展示作品は900点の候補作品から約120点が選出された。
本展では展覧会タイトルの、彫刻、色、ボディをキーワードに、テーマごとに異なる時代の作品を隣接させ、時空間を超えた思いがけないコンセプトが遭遇し、新しい解釈を引き出そうとしている。また、彫像における「色」の適用は重要な要素として捉えられている。色は皮膚や肉体を呼び覚まし、彫像に人種や文化、階級や性別を与えるのだ。さらに、人間の髪、骨、血などを使った作品や、人体をリアルに模倣した作品には、現実と理想、生命の刹那が表徴されている。
セクション:Presumption of White(白の想定)
西洋美術史では彫像は、ルネッサンス時代の大理石に見るような色味のないモノクロームな彫刻が理想とされ、支持されてきた。白は純粋で美しく、官能的で道徳的であるという西洋中心主義的な考えだ。ここでは、16世紀ポッジーニのバッカスや、誰もが見たことのある高貴なエルメス像など、磨かれた大理石の古典的作品群と、チャールズ・レイの直接床に立っている《アルミの少女》(2003)という、テクノロジーを駆使した大理石より光沢がある人体像や、現在、アート界で注目されているインド出身の女性アーティスト、バールティー・ケールによる石膏と木による中年の女性像作品《母》(2003)を並列させ、19世紀まで続いた西洋の美の定義と、その素材そして英雄や神の概念にメスを入れた。
またこの展示会場の入り口を飾っている、デュエイン・ハンソンの《ハウスペインター II》(1984) が「白」という意味を広げ、さらに浮き立てている。これは黒人が白い作業服で白いペンキを塗っているという今にも動き出しそうなリアルな作品だ。ハンソンが古代ギリシャのブロンズ彫刻家ポリュクレイトスが創造した《槍を担ぐ英雄ドリフォロス》をもとにしたもので、人種による経済的不平等を挑発しているのだ。
セクション:Chromatic Classicism(色彩的な古典主義)
17世紀エル・グレコはギリシャ神話の女神パンドラを、人間の女性ヌードとして制作している。つまり神話ではなく、生殖機能を持つ女性の実態を表現した画期的な彫刻だと言える。またマグリットのミロのヴィーナスのパロディのような色彩された作品は、西洋美学の常識を超えようとする行為だ。このセクションに展示されたジェフ・クーンズの《マイケル・ジャクソンとバブルス》(1988)は、古典的な神話と現代の伝説的なアイドルを比較した象徴的な作品だ。マイケル・ジャクソン(1958−2009)とペットのチンパンジーバブルスをマイセンによる伝統磁器の技術で金蘭豪華に表現し、あたかもピエタ像かキリストを抱くマリア像をポップカルチャーに持ち込んでいる。時代を超え、エジプトのファラオのようなメガスターの輝きを放つ。
セクション:Likeness(類似)
まずドナッテロによる、世紀の旗手であるニッコロ・ダ・ウッツァーノの彫像。死後のデスマスクから制作されたとされているこの彫刻は、彩色と豊かな表情が700年もの歳月を経てなお新鮮だ。彫刻の原理ともいえる物体の魂を芸術に昇華させる技法を啓示する。その新鮮さは、4.5リットルの自身の血液で作ったというマーク・クインの《自分》(1991)という作品に繋がる。生命の存続や死、人間の肉体をテーマとしているクインの生々しい頭像は芸術の域を超えた表現である。またロダンの《花子の仮面》(1911)は明治大正期にヨーロッパで名声を得た女優・太田ヒサの謎めいた彫刻が印象に残った。ロダンは古代のガラス鋳造技術を使い、微妙な色と光沢を放ち、遠くを見るような空虚な目が特徴的で、その唇には最後の息を吸うようなはかなさが見事に表現されている。
セクション:Desire for Life(生への欲望)
美的感情と肉体的な欲望との間を表現した彫刻はひときわ魅惑的である。《ピグマリオンとガラテア》(1890頃)では、現実の女性に失望したギリシャ神話の彫刻家ピグマリオンが理想の女性ガラテアを彫刻作品にし、その完璧な女性像に恋をしてしまい、欲求が神聖な美的彫刻を、肉体的な人間の欲望に変えるというもので、愛を喚起する芸術の力の原点に回帰させる。アメリカ人作家ジョン・デ・アンドレアの《セルフポートレートと彫刻》(1980)やナンシー・グロスマンのS&M的なレザーで覆った彫刻《男性像》(1971)は人間のエロチックな欲望のテーマが顕著な作品だ。
セクション:Proxy Figures(形像の定義)
人間の最も本質的な形態と欲望は中世の時代から、精神を宿すというマリオネットや人形、比喩的な彫彫像、現代ではマネキンやフィギュアなどで表現されている。ハンス・ベルメールの人体の一部にフォーカスを当てた作品群は、デフォルメされた人体、ランダムに肉体を合体させた形状に生命を与え、精神を宿らせる。フィギュアと偶像の本質を再考させる。
セクション:Layered Realities(層になった現実)
衣服は、社会的、文化的な環境と身体的な存在を強調する鍵と成り得る。またファッションは特定の時代や職業、階級の違いを示す。宗教的な秘儀や迷信を推測することも可能だ。18世紀のスペインの彫刻家フアン・チャベズは彫像に闘牛士の服を用いて、シンボルやステータスを表わした。また南アフリカの作家メアリー・シバンデの黒人女性像は、今展で最も迫力に満ちた作品のひとつだ。
これはシバンデ自身がメイドとして扮した作品で、黒人女性が真っ白な靴、頭巾、エプロンが付いた、カーキ色の豪華なヴィクトリア様式のドレスに身を包み、彫刻の台座に飛び乗る瞬間を形取っている。ハイブリッドなドレスと存在感溢れる女性像からは、植民地とアパルトヘイトの問題を想起させ、それに続く現代社会の不平等を訴えているのである。
セクション:Figuring Flesh(肉体の考察)
「肉体」という用語はここでは身体の一部、組織の構造として考察された。すでにルネサンス時代には、人体解剖学の研究と写実主義が追求され、ミケランジェロは彫刻と絵画の分野で人体の表現に取り組んでいる。15世紀初頭には人体の写実的追求を重ね、素材にも大理石だけでなく、木、ブロンズ、テラコッタが使われるようになり、自由で多彩な造形表現が広がっていた。出血するキリストの体は信者に人間性と苦悩、罰という宗教的な教示を示すが、18世紀にはカラフルなワックスで皮膚の下の筋肉や内臓が解剖学的なサイエンスとして表現される。
ドロテア・タニングの《エマ》(1970)やサラ・ルーカスの断片化された身体には、これまでの肉体的なエロティシズムにおける男性の一方的な欲望が、20世紀には多くの女性アーティストにより、性と肉体の概念が解体され、むしろジェンダーを超越した抽象的な表現に移行していることを示唆している。
セクション:Between Life and Art(人生と芸術の狭間)
本展最後の展示室は、棺や、ベッドソファーに横たわるボディで占領されている。歴史に残る大理石の彫刻作品には無い、無生物として、時間を超越して存在し続けているという不思議な空気を漂わせる空間だ。1765年に制作され、89年にリメイクされた作品「眠れる美女」は息を呑むような一点だ。金糸を施した豪華なドレスをまとった、文字通りの眠れる美女であるが、見ると胸部が静かに動いており、まるで18世紀から眠りに落ちたまま、永遠に生き続けているようだ。
そして展覧会のフィナーレを飾るのは、ロン・ミュエクの「ベッドの老婆」(2000)と題された、ハイパーリアリズムを極める作品だ。胎児のような格好で毛布に包まり安らかに眠る白人老婆。視覚的には精密で、どこから見ても完璧な肉体だが、サイズが小さいためか不穏で不気味な感覚を与える。700年の彫刻史において、人類は視覚的に肉体に固執し、肉体を使って生命を探求し宗教や欲望や社会を表現してきた。生死が定かではない老婆は、いつしか目を開くのだろうか。人間の生と死が何かという問いに答えるために。
Like Life: Sculpture, Color, and the Body (1300–Now)
会期:2018年3月21日(水)〜7月22日(日)
会場:The Met Breuer, The Metropolitan Museum of Art
945 Madison Avenue, New York, NY 10021