フォーカス
【韓国】アーカイブとしての映画祭の可能性──ソウル実験映画祭(EXiS)レポート
阪本裕文(映像研究/稚内北星学園大学情報メディア学部情報メディア学科教授)
2018年09月15日号
2018年7月12日から19日にかけて、韓国にてソウル実験映画祭(Experimental Film And Video Festival In Seoul|EXiS)が開催された。今回、筆者はEXiSに参加したので、ここでは実際に観たプログラムや、アーカイブと映画祭について考えたことをレポートしたい。
EXiSについて
EXiSは今年で15回目の開催となり、国際的な実験映画のシーンにおいても存在感のあるイベントとなっている。上映会場は、デジタルメディアシティにある韓国映画の保存・研究を行なう公共機関である韓国映像資料院(Korean Film Archive)と、景福宮の近隣にある私立美術館であるアート・ソンジェ・センター(Art Sonje Center)、そして映像作家のコミュニティによって運営されているフィルムラボ、スペース・セル(Space Cell)である(正確にはスペース・セルが移転前に使用していた場所での上映)。
映画祭のプログラムは、世界各国の最新の実験映画やビデオアートを集めたコンペティション[EX-Now]を中心として、テーマに基づいた特集上映である[EX-Choice][EX-Retro]などで構成されるが、そのなかでも特筆すべきは、研究者・キュレーターらのプレゼンテーションや特別プログラムの上映が行なわれる[Film Curatorship]であろう。
こういった映画祭でシンポジウムが行なわれる機会は多々あるが、この[Film Curatorship]は、シンポジウムなどでの議論以前の前提として、研究者・キュレーターの研究成果や問題意識を共有し合う場を確保するという意義を持っているといえる。もちろん、学会でのアカデミックな研究発表も同様の役割を担うものであるが、EXiSでは映画祭という現場ゆえに、実作と言説、あるいは作家と研究者・キュレーターの有機的な相互関係が実現されていたように思えた(世界の実験映画祭については、アートワード「映画祭+シンポジウム(実験映画)」の西川智也氏の解説に詳しい)。
特集上映と[Film Curatorship]
次に[EX-Choice][EX-Retro]などの特集上映や、[Film Curatorship]でのプレゼンテーションのうち、印象深かったものについて言及したい([EX-Now]は残念ながらほとんど観られなかったが、本年の最高賞はリーン・シーファート(Lynne Siefert)の『The Open Window』(2017)であったとのこと)。
まず、[EX-Choice]のなかでも、ロンドンの実験映画作家の組織であったロンドン・フィルムメーカーズ・コーポラティヴ(LFMC)の解散直前に当たる1990年から1998年の作品をプログラミングした「The Last Days: London Film Makers Co-op」が興味深かった。LFMCの作家たちが制作した作品群は、フィルムの自家現像を駆使したコンセプチュアルな構造的=物質主義的映画によって知られている。過去にも「Shoot Shoot Shoot」と題された、LFMCの代表作を集めたプログラムが国際的に巡回したことがあったが、LFMCの最後のメンバーでもあったグレッグ・ポープ(Greg Pope)が今回のために組んだ本プログラムは、ひとつの映画運動の終わりを作品を通して検証するという批評性を備えていた。
ほかにも[EX-Choice]の枠内では映画監督・映像作家である松本俊夫の初期の前衛記録映画が取り上げられたほか、[EX-Retro]ではグラフィックデザイナーであり映像作品も手がける田名網敬一、アメリカの実験アニメーション作家であるロバート・ブリア、同じくアメリカの実験映画作家であるスタン・ブラッケージが取り上げられていた。特に、移転する前のスペース・セルが使っていたある書店の地下室で深夜まで行なわれた、ブラッケージの4時間以上に及ぶ大作『Art of Vision』(1965)の上映は、豪奢な韓国映像資料院での上映とはまた違う、小規模だがハードコアな上映会に特有の雰囲気込みで面白い経験となった。
[Film Curatorship]では松本俊夫の『つぶれかかった右眼のために』(1968)のフィルム上映が行なわれるのに併せて、筆者は「Toshio Matsumoto and Postwar Japan Moving Image」と題して戦後日本の映像芸術の歴史と松本の関係についてのプレゼンテーションを行なった。社会的背景まで含めて戦後日本のアヴァンギャルド芸術や実験映画を韓国で紹介できたのは幸いだったと思う。
ほかにも[Film Curatorship]の枠内では、ブリュッセルにあるボザール(BOZAR)のザビエル・ガルシア・バルドン(Xavier García Bardón)による、ヨーロッパの実験映画祭についての歴史研究をまとめた「Towards an Archeology of European Experimental Film Programming」のプレゼンテーションと、同じくザビエルがプログラミングした、アメリカの実験映画作家であるジャック・スミスの『Respectable Creatures』(1950〜66)やビデオアーティストである出光真子の初期フィルム作品『Inner Man』(1972)などのダンスをモチーフとする作品に、作者不詳のコンゴ共和国のダンス(Kwasa-Kwasa)のビデオを結びつけた批評的なプログラム「Kwasa-Kwasa Creatures」が印象に残った。
そして、おそらくEXiSに足を運ばなければ知る機会を得られなかったのは、韓国の軍事政権下における実験的な映画を取り上げたオ・ジュンホ(오준호、Oh Junho)による「Tracing The Rupture of The Avant-Garde Film Practices of The 1960s in Korea」のプレゼンテーションで示された事実だろう。韓国の著名な映画監督ユ・ヒョンモク(유현목、Yu Hyun-mok)は、1966年に『手(손、Hand)』と題されたわずか1分足らずの映画を監督した(この作品は、ユの一般的なフィルモグラフィーには含まれていない)。この作品を製作したシネポエム・フィルムクラブは、ユとチェ・イルス(최일수、Choi Il-soo)が結成した映画集団である。
オによると、彼らはフランスのシュルレアリスム映画や戦前日本の文学(特に詩人であり映画評論も手がけた北川冬彦)などに影響を受けながら、映画詩としての視覚的なオブジェによる表現に挑戦したのだという。この作品は1967年のモントリオール万国博覧会に出品されたが、オは2015年にケベックのシネマテークにてこの作品を発掘し、韓国映像資料院を通してフィルムを得たという。韓国における実験的な映画の試みがパク・チョンヒ政権の時代にあったこと、さらにその試みに日本からもたらされた言説も関係していたことに筆者は興奮を覚え、これまでにない視点からアジアの映像文化史を語ることも可能なのではないかという予感を抱いた。
アーカイブと映画祭
映画祭とは、最新の映画を集めて上映するだけの場所ではなく、過去の歴史の精緻な掘り起こしを行ない、その一方で現在において国際的な研究者・キュレーターのネットワークを構築し、映画の総体的な概念を新たに生成してゆく有機的な場所になりえるのではないか──。今回、EXiSを訪れて筆者はそのような考えを持った。それは例えるならば、アーカイブとしての機能を備えた映画祭の可能性である。
近年、さまざまな領域でアーカイブが議論され、実践的な取り組みが開始されている。映画についていえば、過去作品をフィルム原版から高解像度でスキャンして、パソコン上で修復や補正を施すことによって最新のデジタル上映環境に蘇らせるデジタル復元の技術が普及したことが、フィルムアーカイブの実践や、忘れられた映画遺産の掘り起こしを後押ししていることは間違いない。
日本国内の動きとしては、神戸映画資料館ではデジタル復元した作品の上映を含む神戸発掘映画祭が2017年より開催されているほか、国立映画アーカイブ(旧・東京国立近代美術館フィルムセンター)では発掘・復元した作品を上映する「発掘された映画たち」と題されたシリーズが定期的に継続されている。筆者が関わるNPO法人戦後映像芸術アーカイブも実験映画・個人映画などのデジタル復元とアーカイブ化を進めながら、上映素材の貸し出しに積極的に対応している。
今後は蓄積された成果を活かしながら、アーカイブと映画祭がもっと一体的に協働し、現在と過去を俯瞰しながら歴史を絶えず再生成してゆく方向に可能性が潜んでいるように思う。
EXiS 2018(終了しました)
会期:2018年7月12日〜7月19日
会場:韓国映像資料院(Korean Film Archive)ほか
400, WorldCupbuk-ro, Mapo-gu, Seoul, 03925 Korea