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【コーチン】コチ=ムジリス・ビエンナーレ2018と南アジアにひろがる芸術祭

黒岩朋子(キュレーター)

2019年03月01日号

インド南部のケーララ州コーチン(コチ)のアーティストが主体となり、2012年に始まったコチ=ムジリス・ビエンナーレ(KMB: Kochi-Muziris Biennale)が今年で4回目となった。インド初のビエンナーレの成り立ちは前に書いたので詳細は省くが、現代美術と縁がない場所で州政府や美術関係者、地元の住民を巻き込んで盛り上げ、2016年には観客動員数60万人に到達。いまではKMB財団の傘下で全国の美術大学から選抜した学生のビエンナーレほか、複数の企画が並走する。世界の美術シーンにおいては、知名度が年々上昇し、昨年12月には国際ビエンナーレ協会(IBA: International Biennial Association)総会のホスト地となるなど存在感をみせる。
KMBの誕生後に新たに生まれた南アジアの国際美術展の紹介とともに、2019年3月29日まで開催のKMB 2018についてレポートする。


ソン・ドン《水の寺院》2018
[courtesy: Kochi-Muziris Biennale 2018]

南アジアの国際芸術展の夜明け

中央政府主導のインド・トリエンナーレ(1968-2005)のあとに登場したKMBの成功は、インド美術業界に国際芸術展の波を引き起こした。東部ビハール州ではブッタガヤ・ビエンナーレ(2016-)、西部ゴア州では、古典から現代にいたる工芸、美術、舞踏、そして食までを網羅する各年開催のセレンディピティ・アート・フェスティバル(2016-)ほか、オルタナティブな活動では、北東部アッサム州のデザイヤー・マシーン・コレクティブによるアセンブリー・オブ・デザイヤー(2018-)などがある。2月22日からは初のキュレーター制のもと南部タミルナード州でチェンナイ・フォト・ビエンナーレ(2016-)が始まった。指揮をとるのは隣州バンガロール在住の写真家、プシュパマラ.N。今冬開催のプネ・ビエンナーレ(2012-)はデリーのアートスペース、コージのキュレトリアル・チームが担当。そのほか、現代陶芸作家6名によるインディアン・セラミックス・トリエンナーレ(2018-)はブルー・ポッタリーが有名な西部ラージャスターン州のジャイプルに誕生した。



プリヤ・スンダルヴァリ《開花ー花のなかで、佇む》2018
[courtesy: INDIAN CERAMICS TRIENNALE]

このような流れのなかに共通するのは、国内アーティストが主体的にビエンナーレの運営やキュレーションに参画することだ。また、KMBの創設者たちと同様に、都市で活動するアーティストが故郷で国際展を立ち上げることも少なくない。ジャガンナート・パンダがコ・キュレーターを務める東部のブヴァネーシュワール・アート・トレイル(2018-)、コンテンポラリー・ダンサーのスルジット・ノングメイカパム率いる北東部のアーツ・アンド・インパール(2019)などがある。

ビエンナーレは国内で増加の一途をたどるが、そこは、ヒンディー語に加え21の公用語が飛び交う13億人の国。日本の8倍以上の土地で、地域発の国際展はそれぞれの言語、文化に宗教、人種構成のもとで独自の発展を遂げている。

近隣諸国では、バングラデシュのダッカ・アート・サミット(2012-)、ネパールのカトマンズ・ビエンナーレ(2018-)、パキスタンのカラチ・ビエンナーレ(2017-)とラホール・ビエンナーレ(2018-)、スリランカのコロンボ・スコープ(2013-)などがあり、南アジア全体が国際芸術祭の黎明期を迎えている。

初の女性キュレーター

KMB 2018のキュレーターのアニタ・ドゥべ(1958-)はデリー在住の女性アーティスト。日本では、第一回横浜トリエンナーレ(2001)に参加経験がある。過去3回は、ムンバイ在住のケーララ州出身者か近隣南部が出自の男性アーティスト。女性に決まり話題となった。ドゥベは短命に終わったケーララ州アーティストの美術運動、通称「ケーララ・ラディカル・グループ」(1987-1989)の唯一の州外メンバーで、同運動のマニフェスト「Question & Dialogue」(1987)の執筆者。南インドに縁があるアーティストが指名されるのは今回も同様のようだ。



アニタ・ドゥべ
[courtesy: Kochi-Muziris Biennale 2018]

ドゥベがKMB2018で唱えたテーマは「Possibilities for a Non Alienated Life(分け隔てのない生への可能性)」。就任直後から社会や美術のなかで取り残されてきた視点を積極的に展示で取り上げると明言した。そのひとつはジェンダーについてだ。本展では、30カ国93組の展示作家のうち半数が女性。マーサ・ロスラー、ゲリラ・ガールズ、ヴァリー・エクスポートなどの往年の欧米フェミニストやシリン・ネシャットなどの名が連なる。ところが、家父長制度が残る地で本テーマが掲げられるなか、思わぬできごとがビエンナーレの序章を飾ることになる。


インドに到来した#MeToo

世界を席巻した#MeTooの波は、インドでは時期を違えて2018年後半から顕著になった。その対象はエンターテイメント業界から政界、法曹界、ジャーナリズムまでと幅広く、クリエイティブ分野においては現代美術も例外ではない。そんななか、KMBの開催目前に匿名のセクハラ告発がインスタグラムで起きた。告発された美術関係者のなかにはKMBの共同創立者にして事務総長のリヤス・コムの名も。説明責任の声があがるなか、ドゥベはセクハラに対して毅然とした態度で臨むと応え、数日後にコムが辞任。彼がKMBのために心血を注いでいたのは美術業界では誰もが知るところなので現地の衝撃を思わずにいられない。激しい非難と真偽に懐疑的な両意見で割れた一方で、業界内のセクハラの存在自体の否定はあまりなかったように思えた。一連の出来事は、黙認されてきたであろう行為を問うきっかけをつくり、本展のテーマが期せずして動き始めたのだった。


対話を促すふたつの柱

展示は植民地時代の建造物を含む10会場。性差のみならず世界及び現代のインドに内在する様々な視座を提示する。会場のひとつ、カブラール・ヤードでは、外壁を透明な被膜にしたアナグラム・アーキテクツの仮設パビリオンが、連日のトークやフィルム上映を通して内と外をつなぐ開かれた空間を展開する。同敷地には、食を介した集いの場となる屋外インフラ・プロジェクト「食のアーカイブ」が併設。4名の女性シェフがインドの伝統米をつかった郷土料理を振る舞う。ドゥベは知識と意識を展示から、観客が互いの考えを集い語り合える場をパビリオンに求め、この二つをKMB2018の柱とした。



左:アナグラム・アーキテクツのパビリオン 右:「食のアーカイブ」プロジェクト

多様な視座が紡ぐ世界

メイン会場のアスピン・ウォールでは、ヤシの実の外皮を保管したかつての繊維倉庫にインドの伝統工芸を今日的な手法でとらえ直すプリヤ・ラヴィシュ・メヘラの作品がならぶ。かけはぎ技法をつかった布の作品や紙原料のパルプと小枝を織り藍染めしたタペストリーは、斬新な手法ゆえに長らく国内で評価が得られなかった。古びたケーララの機織機を弦楽器に変えたメキシコのタニア・カンディアニのほか、別棟には、フォーク・アートも取り上げた。インド先住民族画のひとつ、ゴンド画のドゥルガバーイ&シュバーシュ・ヴィヤムは壁画のモチーフを一つひとつ描いて切り抜いた合板をつかったインスタレーションを試みた。



左:プリヤ・ラヴィシュ・メヘラ 展示風景 右:ドゥルガーバーイ&シュバーシュ・ヴィヤム ゴンド画のインスタレーション 2018
[courtesy: Kochi-Muziris Biennale 2018]

また、展示では独学のアーティストを積極的に紹介。子供の頃の記憶、昔話など自身の体験を生命力あふれる筆使いで描くマドゥヴィー・パラック、リサイクル用品からスタイリッシュな「メガネ」を生みだすケニアのサイルス・カビル、インド社会の格差をモノクロ写真で捉える路上生活経験者のヴィッキー・ロイ、そしてコルカタの街路を走るオートリクシャからの眺めを刺繍にしたバビ・バスは運転手だった。変り種は美大に進むもアカデミズムを捨て、村で農業を営む画家のPR サティース。深夜に森を歩いた体験を八百万の神がひしめくような油絵にした。



アルーンクマール《か弱き警備員たち》2018

労働者の立場の弱さをとらえた作品も。アルーンクマールHGの《か弱き警備員たち》は、遺伝子組み換え種子が原因で田畑を手放して都市に来た出稼ぎ農民たちがモデル。見慣れた農耕用具が異形のインスタレーションに変貌するシャムバヴィーの《マーティ・マ(大地の母)》は、鎌が連なり波形のうねりと化して不穏な空気を漂わせる。ニリマ・シェイクの《サラーム・チェッチー(我らの妹に幸あれ)》は中東や大都市で働くケーララ州の看護婦たちが受ける仕打ちを細密画的表現とステンシルをつかい淡々と描く。マレーシアからは、版画と音楽を通し、労働や自然問題を問いかけるアーティスト・コレクティヴのパンクロック・スゥラップが、コチの住民と協働で日常から生まれる物語を版画にした。



パンクロック・スゥラップの地元住民を交えた版画ワークショップ



ニリマ・シェイク《サラーム・チェッチー(我らの妹に幸あれ)》

社会や歴史のなかで埋もれた声に静かに寄り添うのは、シルパ・グプタの《ゆえに、あなたのことばに、私はあわせられない─100の囚われの詩人たち》。体制に抵抗して投獄された詩人たちの100篇の詩が異なる言語と声音で詠みあげられ、スピーカーに見立てたマイクから流れるおのおのの声は暗がりのなかで響きあう。南アフリカのスー・ウィリアムズソンの《大西洋航路からの便り》は、大航海時代に奴隷貿易で運ばれた人々の名が綴られたボトルと貿易船の記録から歴史の波間に消えた無名の生を引き揚げる。



左:シルパ・グプタ《ゆえに、あなたのことばに、私はあわせられない─100の囚われの詩人たち》
右:スー・ウィリアムズソン《大西洋航路からの便り》


メキシコのモニカ・メイヤーの《クローズ・ライン(洗濯ロープ)》とカメルーンのバルテレミ・トグォーの《頭上の水》は、ケーララ州を昨年襲った百年に一度の洪水を取り上げた。アーティストからの問いに地元民がカードやはがきに記す短い言葉や絵にハッとさせられる。メイヤーは同様のアプローチでインドの#Me Tooについて言及。トグォは《レクイエムー新世界秩序》で、性被害などの同州の社会問題を指すキーワードをヤシの木製の大型スタンプに刻んだ 。



左:パルテレミ・トグォー《頭上の水》 右:モニカ・メイヤー《クローズ・ライン(洗濯ロープ)》


昨年まで157年間続いた同性愛行為を禁ずる刑法377やカースト制度など、インドの慣習や憲法による抑圧は、最下層階級(ダリット)のアーティスト、ヴィヌ VVの《大声》ほか、民衆に惨殺されたトランスジェンダーに捧げたアールヤクリシュナン《スイートマリア・プロジェクト》、LGBTカップルの写真と映像を展示したスニール・グプタ+チャラヤン・シン《異議と願い》、両性具有ヒジュラをモデルにしたテジャール・シャーから伺い知ることができる。



アールヤクリシュナン《スイートマリア・プロジェクト》


思想信条の違いを越えて


ネイサン・コーリー《信条を越えた場所》
[courtesy: Kochi-Muziris Biennale 2018]


日が暮れると英国のネイサン・コーリーによる《信条を越えた場所》の文字が灯る。9.11後も衝突が絶えぬ人間同士に語らう場を提案した本作は、自国第一主義に直面する今日の世にも響く。今回ドゥベは、印パの領有問題で紛争が絶えないジャンムー・カシミール州で、アーティストたちが数年前から構想を練るも実現の目途がつかないスリナガル・ビエンナーレを企画ごとコチに招いた。イスラーム教徒の装いの男女が戸口で入場者の身体チェックを行うパフォーマンスでは、無言の振る舞いが現地の緊迫した日常を伝えている。



スリナガル・ビエンナーレのパフォーマンス風景



オープニング期間中にはゲリラ・ガールズが80年代から継続中の覆面レクチャー・パフォーマンスを披露。米国の美術業界の性差を含むあらゆる差別に鋭く切り込むアクティビストたちのあとに、インドの若手が壇上に踊り出る一幕も見られた。彼等は前日にスボード・グプタが新たにセクハラを告発されたのを受け、緊急集会を開いたインド美術業界の男女の有志一同。会場でアート全体の性差別への意識改革を訴える声明文をKMBに対して記名で読み上げた。満場の観客の支持のもとパビリオンは今日の課題を共有する生きた場と化していった。



ゲリラ・ガールズによるレクチャー・パフォーマンス


第4回は試練のスタートとなったが、分け隔てのない生の可能性は議論を尽くすことを厭わぬ観客の手に委ねられている。小さな対話の積み重ねを糧にインドのアートシーンの今後の展開に注目していきたい。




街中に貼られたコチ=ムジリス・ビエンナーレ2018のポスター


★──The Kerala Radicals or The Kerala Radical Group (The Indian Radical Painters and Sculptors Association)

Kochi-Muziris Biennale 2018

会期:2018年12月12日(水)〜2019年3月29日(金)
会場:Aspinwall House、Anand Warehouse、Cabral Yard、David Hall、Durbar Hall、Kashi Art Café、Kashi Town House、MAP Project Space、Pepper House、TKM Warehouseなど10か所
Kochi Biennale Foundation
1/1903, Kunnumpuram, Fort Kochi PO, Kerala 682001, India

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