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【ウィーン】移民と芸術──ウィーン世紀末から100年後に
丸山美佳(インディペンデント・キュレーター)
2019年04月15日号
今年2019年は「日本オーストリア友好150周年」に関連して、クリムトやウィーン世紀末の展覧会が日本でも開催されるという。ウィーン世紀末と呼ばれるのは、まだオーストリアがオーストリア=ハンガリー二重帝国であった時代である。それ以降、第一次世界大戦を経て1918年に帝国は崩壊し、1938年にヒトラーの母国としてドイツナチス党に併合され、第二次世界大戦終結10年後の1955年になってやっとオーストリアは独立を迎える。日本と同じく、帝国主義からファシズム、そして戦後の資本主義と民主主義という激動の時代の変化のなかでの多くの死と喪失、そして断絶や忘却を伴ったオーストリアが辿った歴史は、現在のヨーロッパ全体の、そして世界的に「他者」に対して排他的になっている傾向と切っても切り離せない。
本稿では、ウィーン世紀末から100年後、私が拠点とするオーストリアの文化的かつ社会的文脈を背景に、現代の「移民」の状況と文化芸術の関係について描き出してみたい。
現在、ウィーンでは毎週木曜日の夕方から「ES IST WIEDER DONNERSTAG!(また木曜日がきた!)」というデモが行なわれている。2017年12月に政権についた保守右派の国民党(ÖVP)と元ナチスの流れを引継ぐ極右の自由党(FPÖ)の連立政権に対するものである。このデモは2000年に同連立政権が政権を握ったときにもすでに行なわれていたが、現連立政権が具体的に移民や女性、性的少数者への支援の削減や、労働時間の延長、大学授業料の引き上げ、最低賃金の引下げなどの案を出すなかで、2018年10月から再び始まり、毎週のデモのテーマを変えながら続けられている。
2015年以降の難民の増加とともに要塞としての側面を強めてきたEUと、右極化の先陣を切ったオーストリアでは外国人に対する締め付けが強化されているのは事実だが、難民と移民を取り巻く問題は常に存在していたのであって、いきなりここ数年で出てきたものではない。例えば、2000年の連立政権は戦後初の極右政党の政権入りであったため、欧州では動揺が走った出来事である。それに合わせてウィーン芸術週間(Wiener Festwochen)の一環としてドイツ人映画監督・舞台演出家のクリストフ・シュリンゲンジーフは、アートプロジェクトとして外国人排斥を目指す極右政権の方針とレトリック、当時話題となっていたリアリティ番組「ビッグ・ブラザー」のフォーマットを借用した『外国人よ、出て行け! 』(2000)を行なった。一週間にわたりウィーンの中心地にある国立歌劇場の真横に設置され、「AUSLÄNDER RAUS!(外国人よ、出て行け!)」と掲げられたコンテナハウスの中には12人の亡命希望者が滞在した。その様子は24時間ネットで中継されるとともに、毎日、視聴者の投票によって彼らのうち1人が国外追放されることになっており、実際にコンテナから連れ出されていたため、物議を醸した。見世物小屋のようなコンテナハウスの周りでは人々が激しく感情を剥き出しに争い、デモ隊が出て暴力沙汰になるなどしてウィーン市民の憤激を招き、当時からすでに「移民」への感情的な軋轢は見られた 。
アートワールドにおける移民排斥とそのカウンター
とはいえ、「移民」ひとつの単語に潜む社会的な制限や経験は、その人がどんな出自、そしてどんな身体を持っているかによってまったく異なってくる。例えばアフリカ系、南米系、アジア系、中東系、東欧系なのか。また、アジアのなかでも日本や中国なのか、あるいはフィリピンやベトナムなのか。それぞれが持つパスポートが約束してくれるほかに(国籍)
、何色の肌なのか(人種)、どんな家庭に生まれたのか(階級)、そして宗教や性別、性的指向など、歴史的な背景も含めて多数の差異が絡まった「移民」の扱いを一般化することはできない。1924年に制作された映画『ユダヤ人のいない街(The City Without Jews)』の欠損場面が2015年に発見され、昨年それを元にした展覧会「Die Stadt Ohne Juden Muslime Flüchtlinge Ausländer(ユダヤ人とムスリムと難民と外国人がいない街)」が、ウィーンの映画館METRO Kinokulturhausで開催された。展覧会は映画とともに、芸術作品やマスメディア、街中の落書き、オンラインで繰り広げられるヘイトスピーチの分析とアーカイヴ資料で構成されている。オーストリア社会における差別と排斥の対象となってきたグループは、ユダヤ人に始まりトルコ系移民、黒人、難民、ムスリムといった推移を経ながらも「外国人一般」という「他者」であり、社会と経済状況によっては歓迎する場合もあるが、状況が変われば敵として排除の対象となることを鮮やかに描き出していた。その排斥の力は、社会のあらゆる場所に表出しており、そのイメージの反復は単なるジョークでは片付けられないところまできている 。
現実の問題としての排除や差別を生み出す社会的構造は、芸術-アカデミックな環境においても反復されている。例えば、2018年11月、アーティストのカナ・ビリア=マイアー(Cana Bilir-Meier)は、ミュンヘン小劇場で行なわれたドイツ政治の右極化に関するパブリックディスカッションにおいて、世界的キュレーターのカスパー・ケーニッヒが作家個人だけでなく、トルコ系移民に向けて不快な人種差別発言を行なったという内容をFacebookに投稿したWe are sick of it」が発表された。
。ドイツと同様にオーストリアは第二次世界大戦後、国を立て直すための労働力としてトルコや旧ユーゴスラビア諸国から多くの出稼ぎ労働者(ガストアルバイター=ゲスト労働者)を受け入れてきている。トルコ系移民の多くはガストアルバイターとしてやってきた人が多く、ビリア=マイアーは特にドイツやオーストリアにおけるガストアルバイターに対するゼノフォビア(外国人嫌い)や人種差別、あるいはその移民たちの間での争いを作品として扱ってきている。彼らは国内の他の住民に比べて貧しい者が多く、また収入や高等教育への進学率の差異が大きく開いたまま差別や分離が残っている 。さらに最近は、ガストアルバイターとして雇ってきた人々を、オーストリアでは「用無し」として国外追放をしようとする動きもある。ケーニッヒによる人種差別発言は、アートワールドにおいても大きなニュースとなったが、オーストリアの移民系アーティストの間では瞬く間に共有され、声明「私たちはアートワールドにうんざりしている。アートワールドとはつまり、移民や人種差別、植民地主義を「批判的」に論じている一方で、差別を生み出しているのだ。人々は私たちに話しかけるけれど、私たちの物事の見方や声は無視される。私たちの批判がその組織/人の日常的な実践に干渉しない限りは歓迎されているけれど、それは彼らのイメージを向上させるためである。
イギリス-オーストラリア系のクィア理論家のサラ・アフメッドが指摘するように、リベラルとされている高等教育機関においては、多様性を推進する取り組みは一方で組織的な人種差別を隠蔽することにつながる
。つまり、「移民」を積極的に含むということは、アートワールドとしての正しい身振りを示すための飾りに過ぎない場合もあり、それは新たな「白人主義」を作りあげるのにすぎないのである。これは移民だけでなく、あらゆるマイノリティーに対しても起こりうる。そのため、声明が“Migrant/Black/Indigenous/Lesbian/Queer/Trans* Artists of Color”と複数のセクシュアリティをもつ有色人アーティストのコレクティヴとして書かれているのは、先述したように、これらの移民=非市民として歴史的に扱われてきた主体性は、他のあらゆる差別の対象が抱える排除の構造と完全には切り離して考えることはできないからである。コロニアリティのクリティクス
同じヨーロッパ内においてもいまだに西と東の格差が残されているように、東欧系移民のイメージは長らく性産業や清掃員として従事する女性であった(背景は違うが一部のアジア系移民もこの系統に入る)。現在はイギリスの脱退が話題となっているEUであるが、ベルリンの壁崩壊以降も2004年までは、オーストリアはEUと東欧諸国を分ける文字通りのボーダーラインであった。セルビアのアーティストであるタニア・オーストイッチ(Tanja Ostojić)のプロジェクト《Looking for a Husband with a EU Passport》(2000-2005)では、髪を剃り裸になり、軍隊的な丸坊主と無表情でありながらも女性の身体を性の商品として対象化した自身のイメージを作り出した。彼女はそのイメージを使ってオンライン上に広告を出し、実際にドイツ人アーティストと結婚してドイツに移り住むなど、EUかそうではないかによって異なる自身の状況そのものを作品化している。また、2005年にウィーンで開催されたEU会議に合わせて公共空間に展示された《Without title / After Coubet》(2004)は、街としての品性を汚すものとして検閲されている。この作品は、欧州連合旗の下着を履いた作家自身をギュスターヴ・クールベの《世界の起源》(1866)と同じ角度で撮影したものだ。クールベ版を19世紀の男性的眼差しだけでなく、女性の身体の最も私的な場所の所有という読みをするならば、オーストイッチの股に挟まれたEUは、生政治(バイオポリティクス)という社会的かつ経済的な均質的管理のもと、アートを含めた新自由主義と民主主義におけるジェンダーや私的所有、作品(としての身体)、政治的な権利といったメカニズムそのものを体現する。
とくに民主的な西欧が生み出すファシズム的傾向と資本主義的搾取がいかに東欧において実施されてきたかを長年分析してきたスロベニア出身のアーティスト・哲学者のマリーナ・グルジニッチ(彼女は私の指導教授でもある)は、映像作品《No War but Class War! 》(2009)において、西側のコロニアリティ(coloniality)に基づく 「新自由資本主義とは、愛想をつかすほど、社会的かつ政治的な差別と奴隷化、搾取に関して寛容である」としている
。 彼女はアフリカのポストコロニアル理論家のアキーユ・ンベンベのネクロポリティクス(死の政治学)の理論を用いて、死を生み出す権力に対して生が服従している状況を描きだしているが、難民を追い出す(死を作り出す)ことによって保たれているヨーロッパでの生政治は、その「市民権」を持つ者と、持たない者の差を作ることによって可能になっているのだ。コロニアリティは、植民地主義(colonialism)とは分けて考えられている概念であり、もともとモダニティ/コロニアリティ(Modernity / coloniality)
という切り離せないコインの両面を表した理論である。つまり、コロニアリティとはモダニティ(西欧だけでなくその枠組みを内面化したあらゆる世界)が抱える植民地主義の負の論理や構造であり、近代化のプロジェクトは資本主義的な組織化とともに、コントロールや服従、搾取をすでに内包しており、それが現代社会の経済や政治、知識生産といったあらゆる場面で機能しているということである。だからこそアカデミックな言説だけでなくアートにおける「移民」の問題は、西欧が外部へと向かった植民地主義や帝国主義に関わる文化一般を批判するポストコロニアル理論だけでなく、ここ20年の間に主に南米系理論家によって発展されてきたデコロニアル理論(decolonial)も重要な位置を占めている。なかでもアルゼンチンの理論家ワルター・ミグノーロ(Walter Mignolo)らは、現代的なコロニアリティから線引きをするためのデ-コロニアルな取り組みが必要であるとし、ポストコロニアリズムを超える論を展開しようとしている。これらの文脈は知識生産とその現場での教育と深く関わっているため、大学やアート教育と近い場所で実践が行われている。例えば、美術アカデミーで教鞭をとるグルジニッチのファインアートクラスのプロジェクトとして2013年にデコロニアル理論のアンソロジーUtopia of Alliances, Conditions of Impossibilities and the Vocabulary of Decoloniality(Löcker Verlag, 2013)が出版され、2016年には美術アカデミーと関わりのある黒人と有色人系のアーティストで構成された展覧会「Anti*Colonial Fantasies / Decolonial Strategies」がひとつのムーブメントとして注目されていた。また、記憶に新しいところだと、移民が複数のテーマのうちのひとつとして選ばれていた2017年のウィーン芸術週間では「Academy of Unlearning」という枠組みのなかで、毎週月曜日に無料の「ナイトスクルール」がアーティストとアクティビストによって開催されていた。そのゲスト講師陣たちはブラジルの先住民指導者から、アムステルダムの難民指導学校、マルクス主義フェミニストのシルビア・フェデリチなど、国際的なアーティストやパフォーマーらが多角的に移民とそれに関わる問題を扱っていた。
トランスナショナルを生きる
一方で、過去の植民地的な関係性を強く持たない国の背景を持つアーティストに対しては、歴史的に無関係であるために無知であったり、過去の想像の域を出なかったりと、文化的かつ人種的な偏見がいまだに多く見られる。しかし、こういった偏見のコードを逆に盾に取り、芸術だけでなく文化一般のアプロプリエーションを別の角度から幅広く手がけるアーティストもいる
。グラーツのクンストハウスで開催されている中国系オーストリア人アーティストのジュン・ヤンの個展「Der Künstler, das Werk und die Ausstellung(アーティスト、作品、展覧会)」は、個展という形式を取りながらも、実際は14人のアーティスト、デザイナー、イラストレーター、キュレーターのグループ展である。展示されているのは、ヤン本人の作品だけでなく、パフォーマーとして登場する映像作品やヤンのインスタレーション内で撮影をした作家の作品、共同制作した作家の作品など、アーティスト像や作品の概観というよりはむしろ、多面的な角度から展覧会を構成する複数の役割を照らし出すようなものである。同時に、タイトルが示すように、アートワールドのお決まりの形式では把握できないダイナミクスと、その役割がいかに変化に富んでいるのかを見せていた展覧会である。その役割や役割に付随するアイデンティティの流動的なあり方は、文化とその文化の担い手である者たちの流動性をも示唆する。中国に生まれ、1970年代にオーストリアに移住したヤンと彼の家族は、オーストリアにおける最初の中国系移民グループにあたり、レストラン業を営むことによってオーストリア社会へと入っていった。現在はウィーン/台北/横浜を拠点とし、その場所が持つ空間や文脈によって自身の立場が変化することを身を以て体現している。同時に、ヤンはアーティストとしての作品制作だけでなく、実際に中華レストランra’mienを2002年にウィーンにオープンさせるなど、芸術の分野を超えて活動をしてきている。そのような自身が持つ移民の物語と、中国的/オーストリア的/日本的なものが混在し、文化の流動的な在り方を現代的な美学へと更新する取り組みは、実際にレストランのコンセプトやデザインにも適用されており、移民や他者を取り巻く問題に対して違う角度からアプローチしていっているように見える
。しかしながら、私自身も日本人の身体を持ってオーストリアで活動する移民として日々切実に感じることは、どういった形にせよ「移民」という問題に接続することの難しさである。ひとつには上述したような南米やアフリカ系の理論家やアーティストがネットワークをひろげながら各々のコンテキストを作っているのに比べると、東アジアはいまだに文脈が形成されていないことがあげられる
。一方では、私自身も(短期的であれ長期的であれ)移民という立場でありながらも、排除や差別を生み出す白人主義やコロニアリティに加担したり、搾取されたり、内面化するという可能性が大いにあるからである。また、「他者」の排斥がますます進む状況であったとしても、私たちは異なるバックグラウンドを持った人たちと必ず出会うのであり、その身体を通した経験のなかで培われる生きた知識とともに、過去に得た知識とその枠組みを一度捨てていく必要もある。「ウィーン世紀末」から100年以上経ったウィーンの現在は、おそらく当時コスモポリタンと呼ばれた以上に国際色豊かな場所であろう。しかし、移民や難民とそれを生み出す問題は、形や対象を変えながら居座り続けると同時に、より複雑さをともなっている。芸術もその変化に影響を受けながら続いているのであり、何が知識や価値(=アートの市民権)として認められるのかを追っていく必要があるだろう。(2019年4月24日、図版追加およびテキスト加筆修正)
Jun Yang: Der Künstler, das Werk und die Ausstellung
会期:2019年2月15日(金)〜5月19日(日)
会場:Kunsthaus Graz
Lendkai 18010 Graz, Austria