2019年10月01日号
次回10月15日更新予定

フォーカス

【ハノイ】芸術はなぜ必要か──ベトナムから考える

遠藤水城(Vincom Center for Contemporary Art [VCCA] 芸術監督)

2019年06月01日号

2010年、アーカス・プロジェクトのディレクターを辞し、東京から関西に拠点を移した。東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)の設立と運営に携わる一方、インディペンデント・キュレーターとして「曽根裕|Perfect Moment」展(東京オペラシティアート ギャラリー、2011)、国東半島芸術祭「希望の原理」展(2014)、「裏声で歌へ」展(小山市立車屋美術館、2016)、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト(2016)などを手がけてきた。そんな折、まったく突然の招聘が舞い込んだ。ハノイに新しくできるアートセンターのディレクター職に就かないか、というものだった。以前、フィリピンやインドネシアに長く滞在した経験があるため、抵抗感はそれほどなく、むしろ好奇心と期待を胸に快諾した。以来2年が経つ。これを機会に、自身の現況やベトナムのアート状況について書いてみたい★1

メガモールの中のアートセンター

僕が芸術監督として勤務しているのはビンコム現代芸術センター(Vincom Center for Contemporary Art/以下VCCA)という名称のアートセンターである。ハノイ南部にあるビンコム・メガモール・ロイヤルシティというショッピングセンターの一部(4000平米)を占めている★2



VCCA入り口部分。奥にお化け屋敷とフードコートが見える
[提供:ビンコム現代芸術センター]


母体となっているのは、成長著しいベトナム経済の中でもほかを圧するスケールを有する、ベトナム随一の巨大複合企業ビン・グループである。この企業は、明確に新興中流層をターゲットとすることで成長してきた。彼らのライフスタイルに沿ったものを提供する、というよりもライフスタイルそのものを構築してきたといったほうが正しい(ロイヤルシティ全体は、ショッピングモールのみならずマンション、病院、学校、運動場、プールなどからなるゲーテッドシティである)。ビン・グループはほかにも、リゾートホテル、動物園、水族館、遊園地、携帯電話など多岐にわたって事業展開しており、昨年には自動車会社VinFastも設立している★3。 病院や学校のクオリティはハノイ随一と言われており、本来であれば公的機関=共産党が担うべき部分を営利活動の一貫として取り込んでいる。2017年にVCCAが誕生したのは、このような文脈においてである。

芸術監督といっても、僕以外にアートの専門家がいるわけではない。僕の下に小まめに働いてくれる会社の人間が1名いるのみである。現時点ではコレクション機能を持たないため、展覧会を企画するのがつねに僕だけということになるはずだが、実際は会社の要請やベトナム美術連盟(Vietnam Fine Arts Association)からの干渉などが随時やってくるため、スケジュールは頻繁に変わり、企画は流れ、あるいは1カ月で急に展覧会を用意しなければならないなどの不条理に晒されてきており、これまでのところ、僕自身がキュレーションしたと言える展覧会は三つのみである(さわひらきによる個展「Fragments」、パリ在住のTran Thu Vanによる個展「Dear Bicycle」およびハノイ在住の画家Ha Manh Thangによる個展「Ellipses」)★4



さわひらき「Fragments」展 会場風景 2018
[提供:ビンコム現代芸術センター]



Tran Thu Van「Dear Bicycle」展 会場風景 2018-2019
[提供:ビンコム現代芸術センター]



Ha Manh Thang 「Eclipses」展 会場風景 2018-2019
[提供:ビンコム現代芸術センター]


いま現在は、ベトナム戦争時にホーチミン・ルート★5を行軍した画家たちによるスケッチや水彩★6、および戦後にその記憶を画題とした絵画など、およそ190点からなる「Memories of Truong Son Trail」展を開催している。これも僕自身のキュレーションではなく、会社から持ち込まれ、そこに複数の個人や共産党軍部なども絡むことで、結果として公的なプロパガンダに沿いつつも、非常に複雑な内容になっている。当初は、こういったコントロールの効かない展覧会に対して、僕は怒り、嘆き、呆れていた。芸術監督として、つねにクオリティを求め、それに評価が伴ってくるのが当然だと考えていたし、譲れない部分に多々踏み込まれるのも面白くなかった。しかし昨年あたりから、すべてを受け入れつつ、起こっている事態をよく観察し、介入すべき部分に介入する、という態度を身に付けつつある。妥協だろうか? しかし、ベトナム社会の複雑なルールを理解するには、この応用力と忍耐が必要だと今では確信している★7



Nguyen Duc Du Maintaining camouflage for combat 1972
[提供:ビンコム現代芸術センター]



Hoang Dinh Tai Repairing artillery 14LG5 of Repair Station D56 BT 44 Armory Unit 1970
[提供:ビンコム現代芸術センター]



Dao Duc CO MY-VINH GIANG-VINH LINH wounded soldier station 1968
[提供:ビンコム現代芸術センター]



Chu Thao The young soldier 1973
[提供:ビンコム現代芸術センター]


VCCAの展覧会はつねに入場無料である。1日300人から2000人が来場している。買い物ついでにふらりと寄る家族や、興味本位でやってくる若者が多い。現代美術に馴染みのない来場者に向けた内容を意識せざるを得ない。空調管理、輸送保険、ガードマンへの指導、スポットライトの設置、キャプションの統一などからここでの仕事が始まったことを思い起こせば、僕は、ここハノイで、基本中の基本のキュレーションをやり直している状態である。日本ではまったく役に立たなかった難波祐子氏による『現代美術キュレーター・ハンドブック』(青弓社、2015)が、最近はつねに机の上にある(ものすごい便利……)。自分で言うのも少々恥ずかしいが、日本では、実験性と新奇性を是とし、「インディペンデント」な技術のなかに新しいキュレーター像を探っていたわけだが、そういったものはまったく必要とされていない。逆に言えば、基本かつ王道から始められる。それは実際のところ、とても幸福なことだと思い始めている。

「国際的」な「現代美術」の「ベトナム人」アーティストたち

話を変えるが、国際的に有名なベトナム人アーティストで名前が挙げられるJun Nguyen Hatsushiba(ジュン・グエン=ハツシバ)、Dinh Q. Le(ディン・Q・レ)、Tiffany Chung(ティファニー・チュン)は、現在ベトナムに住んでいない。ハツシバは東京生まれで、その後アメリカへ移住。ディン・Q・レとチュンはベトナム生まれだが、幼少期に両親とともにアメリカに移住している。いずれもベトナム戦争及びその後の共産党支配といった歴史的背景があってのディアスポラである。

彼らがベトナムを代表しているように見えるのは、ベトナムに帰国・滞在し、現地のアートシーンに多かれ少なかれ影響力を持っていた時期があり、その時期と国際的なアートシーンの多文化主義的潮流が重なっていたからである。例えば、僕が個展を開いたTran Thu Vanも、共産党による粛清から逃れるべく、両親とともにフランスに渡り、パリで教育を受けた。彼女は前回のヴェネツィア・ビエンナーレに参加するまでに至っている(なので本来はThu Van Tran [トゥ・ヴァン・トラン]と表記すべきなのかもしれない)。しかし、「ベトナム人作家枠」には、おそらく入っていない。あるいは、Danh Voはどうだろう。彼はベトナム生まれであり、幼少期に粗末な船に乗ってデンマークに亡命している。 日本ではヤン・ヴォーと表記されているが、これはベトナム南部の読み方である(ダンではないし、標準ベトナム語読みのヅァンでもない)。つまり、彼が背負っているのは、国家を単位とした地域性ではなく、より局所的な(であるがゆえに普遍的とも言える)「移民性」である。そして彼は、昨年、グッゲンハイム美術館で個展をするなど、言うまでもなく、れっきとしたトップ・アーティストである。

ベトナム在住のアーティストはどうか。国際的なアートシーンで紹介されるのは、ハノイでは Nha San Collective(ニャサン・コレクティヴ)ならびに DocLab周辺、ホーチミンでは San Artならびに The Factory Contemporary Arts Centre周辺で活動するアーティストに限定されている。欧米留学経験があり、英語でのコミュニケーションをとることができ、国際交流基金、ゲーテ・インスティチュート、ランスティテュート・フランセ、ブリティッシュ・カウンシル、オランダ大使館、デンマーク大使館などから助成金を受けることができ、海外から調査にきたキュレーターにも対応可能である。現代美術「らしく」見えるのはこのレイヤーである。つまり、現代美術というカテゴリーの制度規定性、もっと言ってよければ階級規定性は明らかである。

一方でまったく紹介されないレイヤーもある。ベトナム美術連盟には数千人規模のアーティストが在籍している。共産党の外郭機関といってよく、かつての社会現実主義やプロパガンダの影響を保持しつつ、そこに作家性を加え、アート市場での商品性をも求めていく、という塩梅になっている。日本を主として例えるならば、かつての日本アンデパンダン展が日展になった状態なのだが、よく考えると、日本が革命に失敗しただけであって、捻れているのは日本である。ところで僕は、無視できないリアリティを美術連盟に感じている。社会正義の堅持ならびに人民との直接連帯という「お題目」が形式化されている。その正当性も矛盾も。

さらに言えば、こういったレイヤーから零れ落ちていく無数の、愛すべきアーティストたちがいる。

ディアスポラとドメスティックとのはざまで

総じて、ベトナムのアートシーンを一般化すると、必然的に軋轢が発生する。ディアスポラ作家たちに対して、ベトナム生まれベトナム在住の作家たちが「文化の搾取」と批判することは可能だし、同じプレーヤーばかりが海外に紹介される現状を共産主義的な作家たちが資本主義による堕落と呼ぶことも可能だし、もちろん美術連盟の旧態依然とした団体性を非難することも可能だ。

実際のところ、もっと細かいレイヤーがたくさんある。VCCA で芸術監督をやっていて、つくづく思うのは、僕自身の価値判断が、こういった分断を加速させたり、燃料投下にもなりかねないという危うさである。国外からぷらっとやってきて、アーティストをピックアップするだけならどんなにか楽だろう。あるいは展覧会の「強さ」のみを主張できるのであれば、悩むことはない。しかし、それは現実的に難しく、またそうではないやり方があるのかもしれないと思い始めている。僕自身が首尾一貫したキュレーションなるものに飽きてきているのもあるかもしれない。おそらく、別の方策を探った方が鉱脈は深い。

僕は、芸術の必要性、必然性の基礎となるものについて考えたいのだ。この社会主義国のなかで、アウトサイダーとして「先進性」を導入することが、高度な資本主義の擁護になりうるという構造にも無自覚ではいられない。そうではなく、「後進性」と判断されがちな状況そのものに、まだ成就していない革命の萌芽を見出し、そこから芸術が可能となる条件を再設定すること。それには、まずは、聞く態度、受け入れる態度が必要であり、複合性の中で、それを減ずることのないキュレーションを模索しなければならない。

受動的、かつ、であるがゆえに、変容可能性に対して応用力があるキュレーション。切断ではなく縫合。コンセプトなど二の次である。自分の価値判断など、簡単に手放せる。そんなことよりも、価値を共有する条件の生成と「共にあること」の方が重要なのだ。小田実もソンタグも近藤紘一も、あるいは杉良太郎★8だって、みんなそうやってベトナムをキュレーションしてきた。


★1──ベトナムと日本の近年の状況をめぐって、まずは読者と以下の情報を最低限共有したい。
「かつて日本が受け入れた元ボートピープルたち、「難民鎖国」の今を憂う」(Newsweek 日本語版、2015年12月14日)  https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/12/post-4202.php
「追いつめられる留学生 ~ベトナム人犯罪“急増”の裏側で~」(NHK「クローズアップ現代+」、2017年12月5日)  https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4073/index.html
「日本の在留ベトナム人数29万1494人、国籍別3位に」(ベトジョー ベトナムニュース、2018年9月25日)  https://www.viet-jo.com/news/statistics/180925144342.html
★2──ここで想起したいのは、大規模商業施設内にある展覧会場という形態である。日本においてデパートが果たした(いまも果たしている)役割、その積極的展開としてのセゾン美術館や森美術館。あるいはマニラにおいてSMメガモール内のギャラリー群がかつて持っていた機能。非西欧圏におけるアートの受容/需要の商業的諸形態について。
★3──ちなみにサッカーアカデミーPVFも経営しており、元日本代表監督フィリップ・トルシエ氏がテクニカル・ディレクターに就任している。従って私が勤めるVCCAにトルシエ氏が訪ねてくる、という状況が発生している。
★4──こういった展覧会情報がホームページには反映されていない。僕から何度促してもあまり改善されない。その代わり国内向けのFacebookは頻繁に情報を更新しており、こちらがメイン広報となっている。よく考えると、国外へのアピールという点を除けば、合理的に考えてこの方が正しい。同時に、ベトナムにおけるFacebookの一般的な隆盛には危うさもある。容易に検閲の対象となるからだ。うまくない言い方かもしれないが、意識的にか無意識的にか、率先して検閲に身を晒す、つまりFacebook上で怪しいものではない、と表明することに皆が邁進しているのではないか、と感じられる。管理権力の相互作用がそこにはある。
★5──ベトナム戦争時、1959年から南北統一の1975年まで、北(ベトナム民主共和国)から中立国のラオス、カンボジアを抜けて南(ベトナム共和国)に至る、武器や物資を輸送する補給路として山中やジャングルのなかを切り開いて建設された道。当初は徒歩で移動したが、そのうち自転車、ホンダカブ、トラックへと移動手段が変わり、数百万人が移動した。アメリカ軍による空爆、病気や飢餓、野生の虎や熊に襲われるなどして多くの人命が失われた。
★6──ベトナム戦争時、画家による行軍体験のスケッチが大量に生産された。当時の共産党がプロパガンダとして目論んだものである。これは、高価なカメラに代わるものとして、つまり「報道写真」の代替案として構想されていた。粗悪な紙と黒絵具および筆ないしインクペンという極めて限られたメディウムからなっている。また、民意発揚的な要素を抽出する使命の濃淡により、さらには、ある種の「原-風景」をジャングルという自然や少数民族との交流に見出した画家たちの眼により、極めて複雑な要素を含んだ「戦争スケッチ」というカテゴリーが生成している。ベトナム美術史上の特異点として今後さらなる研究が待たれる。
★7──例えば前述したフットボールアカデミーの外国人コーチたちの多く(彼らはプレミアリーグやリーグ・アンなどから引き抜かれている)が、短期間でベトナムを去るのを僕は知っている。彼らと僕の境遇は似ている。何に耐え難かったのか、想像は容易である。「普通ならやめるわ、これ」というタイミングが何度もあった。しかし僕は半ば意地になって、この状況を引き受けようとしている。
★8──杉良太郎は外務省の日本ベトナム特別大使であり、2017年の時点で176人のベトナム人の里子がいる。日本語学校の運営、孤児の養護施設・盲学校への寄付などで、17億円以上の私財を投じている。

さわひらき「Fragments」

会期:2018年8月3日(金)〜10月7日(日)
会場:Vincom Center for Contemporary Art(VCCA)
(R3, floor B1 Vincom Megamall Royal City, 72A Nguyen Trai Street, Thanh Xuan District, Hanoi, Vietnam)

Tran Thu Van「Dear Bicycle」展Ha Manh Thang「Eclipses」展

会期:2018年12月14日(金)〜2019年2月10日(日)
会場:Vincom Center for Contemporary Art(VCCA)

Memories of Truong Son Trail

会期:2019年4月26日(金)〜5月26日(日)
会場:Vincom Center for Contemporary Art (VCCA)

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