フォーカス
【上海】陸揚と喩紅──2人の作家をとおして見る中国の多面性
小野田光(美術ライター)
2019年09月01日号
アジアの現代美術マーケットの中心地のひとつである上海で開催されていた、2人の女性アーティストによる個展について、中国在住の小野田光氏に寄稿いただいた。年代も作風もまったく異なる2人の作品をとおして、中国の変貌の加速そのものも見えてくるようだ。(artscape編集部)
陸揚──デジタルを味方に
8月初旬、夏真っ盛りのM50は、週末とはいえ閑散としていた。上海中心部の北西に位置するM50は、1930年代から90年代まで続いた毛織物工場の建屋に2000年代の初め頃からアーティストがアトリエを構えたり、ギャラリーが集まるなどして国内外で注目を集めるようになったアートスポットだ。その後、美術関係者や愛好家のみならず観光客も訪れるようになると飲食店やファッション・雑貨関係のショップなども入居するようになり、上海を代表する観光スポットのひとつとして定着した。ただ、M50は対外的には上海のアートシーンに欠かせない存在にまで成長したものの、その過程で、知名度の上昇に伴なう家賃の高騰によって、多くのアーティストがアトリエを引き払わざるを得なくなったことも事実だ。
©Lu Yang
さて、冒頭の話に戻るが、週末にふらりと訪れたM50で、どんな展覧会が行なわれているかと入り口近くの壁に貼られた数々の展覧会告知を見ていると、ひときわ異彩を放つ極彩色のポスターに目を奪われた。そのポスターに導かれて訪れたCc基金会&芸術中心で行なわれていたのが、陸揚の個展「器世界の騎士のゲームの世界(器世界骑士的游戏世界)」だ。陸揚は日本でもグループ展
に参加したり、個展 を開催したりしているので、ご存じの方も多いかもしれない。カエルの死骸を用いた作品や、自身をコンピュータ内に画像として取り込み脳や神経、内臓、死などのイメージと合成した3DCG作品、子宮を擬人化したゲーム作品など、生物学などの要素とサブカルチャーが入り混じったインパクトの強い作風で知られる作家だ。本展は、熊本市現代美術館や日本のクリエーターらとコラボレートした「器世界の騎士(器世界の騎士シリーズ第1部)」
と「器世界の大冒険(器世界の騎士シリーズ第2部、新作)」、そしてインスタレーションからなる 。会場に足を踏み入れると、目に飛び込んできたのは、コンパクトな空間の中、銀色の壁に囲まれて中央に鎮座する銀色の宇宙船のようなインスタレーション作品。隅にはゲーム機とVR用のモニターが、壁には複数のスクリーンが取り付けられている。アニメの主題歌風の日本語楽曲や映像作品のセリフがゴチャ混ぜとなって鼓膜を震わせるなか、スクリーンやゲーム機に映し出される特撮映像やゲーム、アイドル風のキャラクターなど日本のサブカルコンテンツてんこ盛りの陸揚の作品を眺めていたら、日本のゲームセンターにでも迷い込んだような錯覚に陥ってしまった。作家は1984年に上海で生まれ、日本のアニメが大流行した時期に子供時代を過ごしたと聞けば、納得できる作風だろう。そんな陸揚が扱うテーマは死や宗教、肉体や精神の苦痛という普遍的で重いものだ。だが、デジタル世代の作家らしく、自らがよく理解する日本のサブカルやデジタルコンテンツと自身のテーマを融合させることにより、アートという枠だけにとらわれない、より多くの人の目をも惹き付けることに成功している。
会場ではVR作品で彼女の創り出す地獄の世界も体験することができる。「ちょっと怖いかもしれません」と言うスタッフの注意を聞いて日本の夏の風物詩、肝試しを期待してVRに身を委ねてみると、そこは恐怖心など生まれようもない、極彩色のまぎれもない陸揚の地獄世界だった。
喩紅──キャンバスと歩んだ30年
今回、もうひとつ紹介したいのは、喩紅の個展『娑婆之境』。筆者が中国美術に関わりを持つようになった2000年頃にはすでに中国美術界で名の知れた画家だった喩紅の、30年に渡る創作を振り返る回顧展だ。
「娑婆とは仏教用語のひとつで、仏教では宇宙には大千世界があるとしています。それはたくさんの世界で、娑婆はその中のひとつの世界に過ぎず、私達がいま生活するこの世界のことです。そこにはさまざまな焦燥、奮闘、困惑があり、それは私達が直面しなければならない現実の生活なのです」
、とインタヴューで語る喩紅は、これまで一貫して人間性、人はこの社会や世界でどのように成長し生存するのか、ということをテーマとしてきた。そのため彼女が描く作品の対象は自身を含めた家族や身近な友人が多い。本展は、友人らのポートレイト、作家の人生を辿るVR作品、作家と娘の成長を記録したシリーズ作品などから構成されている。それらによって、喩紅自身や彼女に近しい人々の成長・変化を提示してみせているとともに、彼女たちを取り巻く中国社会の変化をもあぶり出してみせている。喩紅は、文化大革命の真っ只中に幼少期を過ごし、中国美術界の最高学府である中央美術学院で学んだ学生時代には「85美術新潮」
といった美術運動が全国的な広がりを見せるなど、激動の時代を経験している。学生時代の彼女は、教室の中では1950年代の旧ソ連社会主義リアリズムの絵画技法を学びつつ、教室の外では前衛的な思想と表現に感化された芸術家や教師などと交流していた 。そのような環境に身を置きながらも、文革の頃の記憶の影響から大げさなものや概念的なものを拒絶する傾向にあった彼女は、結局は新しい潮流には乗らずに大学院まで進み、現在も教授として中央美術学院に留まっている。そんな喩紅の人生を作品から垣間見れるのが「目撃成長」のシリーズだ。アルバムから各時代の写真を選び、それをそのまま絵画に変換した作品を右側に、その左側には写真が撮られた同じ年に出版された雑誌や画報の記事のコピーを配置した。1967年、祖母に抱かれた1歳の喩紅から始まり、12歳の時の家族写真、学生時代の宿舎でのワンカット、結婚(夫は同じく著名な画家の劉小東[リウ・シャオドン])、妊娠、出産、娘の大学卒業など、昨年までの喩紅のごく私的な成長と変化の記録を作品とし、鑑賞者と共有している。一方の鑑賞者は、作家の人生の記録を共有すると同時に、それぞれの絵画に添えられている当時の中国社会を反映した画報や新聞記事を目にすることで、自身の個人的な記憶が呼び覚まされる。このように「目撃成長」シリーズは、作家と鑑賞者の対話が可能となる作品だ。
また、喩紅の友人たちを描いたポートレイトは1988年から描かれ始めたシリーズだが、今回は新たな取り組みとして、過去にポートレイトのモデルとなった10人に彼らの人生についてのインタヴューを行ない、彼らの口から語られた彼らの人生をイメージしたポートレイトを制作している。10人のモデルの新旧のポートレイトは並べて展示され、インタヴュービデオも作品として見ることができる。これにより、喩紅がインタヴューによって彼らへの理解をどう深め、それをどうキャンバスの上に表現したか、鑑賞者は喩紅の思考を追体験できるような構成になっている。
上述のシリーズ作品とはやや趣が異なる作品群にも言及しておきたい。本展の最初のエリアに展示されていたのは、高さが7メートルを超す『天上人間(Heaven on Earth)』や幅18メートルの『雲端(On the Clouds)』といった巨大な作品群だ。これらは、娑婆の漢訳「忍土」(苦しみを耐え忍ぶ場所)から、逆境のなかで人類はいかに生存するかというテーマを導き出し、宗教や哲学を手がかりに、現代のさまざまな問題を寓話的な巨大な絵画として再現したもの。その大きさだけをとっても一見の価値はあるが、巨大な作品にちりばめられたモチーフを読み解く面白さもあり、印象深い作品だ。
今回紹介した2人のアーティストは奇しくもともに女性だった。しかし、1984年の上海に生まれた陸揚と1966年の西安に生まれた喩紅は、18歳という年齢差以上に、2人を取り巻いてきた中国社会の環境はひとつの国とは思えないほど激変しており、その相違は2人の作品からダイレクトに感じ取ることができる。
過去の数十年のみならず、いま現在もグローバル化は進み、中国社会はものすごいスピードで変化している。この14億近い人口を抱える中国の、さまざまなバックグランドや考えを持ったアーティストを紹介することが、多面的に中国を理解する一助になれればと思う。
器世界の騎士のゲームの世界(器世界骑士的游戏世界 Game World Material World Knight)
会期:2019年7月5日(金)〜9月8日(日)
会場:Cc基金会&芸術中心
上海市普陀区莫干山路50号 M50創意園区15号楼101室
喩紅:娑婆之境(The World of Saha)
会期:2019年3月9日(土)〜5月5日(日)
会場:龍美術館西岸館
上海市徐匯区龍騰大道3398号