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コロナ禍とともに歩むアート──ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW─光の破片をつかまえる」

黒岩朋子(キュレーター)

2020年06月15日号

パンデミック宣言後にビエンナーレ、トリエンナーレ級の国際展をこぎつけた都市は、私の知りうる限りベルリンぐらいで、いち早くコロナを制したものの第二波が到来した韓国では、今秋からの光州ビエンナーレが来年に延期された。今年の横浜はどうなるのだろうと思っているひとも多いのではないだろうか。このような状況下でキュレーションを敢行するアーティスティック・ディレクターのラクス・メディア・コレクティヴ(Raqs Media Collective 以下、ラクス)の紹介と、きたるヨコハマトリエンナーレ2020についてメールインタビューを行なった★1。本稿では、彼らのこれまでの活動とあわせてその内容を紹介したい。


ラクス・メディア・コレクティヴ
[撮影:加藤甫 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会]

ラクス・メディア・コレクティヴについて

2001年から始まったヨコハマトリエンナーレ(以下、ヨコトリ)は、3年ごとに開催する現代美術の国際展として日本で20年近く親しまれてきた。第7回となる今年はアーティスティック・ディレクターに初の海外のキュレーターを迎えて開催する。本展の指揮を執るのは、インドのニューデリー(以下、デリー)を拠点にするラクス・メディア・コレクティヴ。デリー南部のジャミア・ミリア・イスラミア大学大学院でドキュメンタリー映像について学んでいた、モニカ・ナルラ(Monica Narula)、ジーベシュ・バグチ(Jeebesh Bagchi)、シュッダブラタ・セーングプタ(Shuddhabrata Sengupta)の3名が卒業後の1992年に結成したグループだ。以後、作品制作、展示企画、編集、執筆、講演など、ひとつの枠に収まらない横断的な制作活動を国内外で展開している。

アーティストとしてオクウィ・エンヴェゾーがキュレーションしたドクメンタ11(2002)のほか、ヴェネチア・ビエンナーレ(2003、2005)、イスタンブールビエンナーレ(2007)などの参加がある。日本では、岐阜おおがきビエンナーレ2006、森美術館の「チャロ!インディア:インド美術の新時代」展(2008-09)、奥能登国際芸術祭2017のほか、キュレーターとしても活躍中で、マニフェスタ7(2008)、上海ビエンナーレ(2016-17)など、各国の国際展を手掛けている。



Manifesta 7展示風景 Piratbyran (The Bureau of Piracy)(2008)
[Courtesy of Manifesta Foundation]


これだけ大活躍中の彼らなのだが、日本では思いのほか知られていない。その理由は、非欧米圏の現代美術の活動がここ十年間で大きく躍進し、世界の美術界の台風の目(それも複数の目だ)となっていることが日本でコンスタントに紹介されていないこと、また、ラクスが美術を越えてインドや西欧の思想、歴史、科学、現代社会事情などを広く参照した作品やキュレーションを行なってきたためかと考えられる。本展がその世界の動きを実感できるまたとない機会となるだろうし、本稿を通じてラクスがどのような取り組みをしてきたのかを知ることで、今年のトリエンナーレに対する理解が深められるのではないかと思う。



上海ビエンナーレ展示風景(2016-17)
[Courtesy of Power Station of Art]



ヨコハマトリエンナーレ2020が本邦初のキュレーションとなるわけだが、パンデミックに巻き込まれて、新しい生活様式のもとでコロナとの共存が避けられない状況だ。ラクスが住むインドは、3月24日にナレンドラ・モディ首相が緊急事態宣言をした翌日から、全土が一斉に完全封鎖されて外出禁止となった。この原稿を執筆している時点でのデリーは、ロックダウン5.0のさなかで、生活必需品の購入などを除いては一歩も外に出られない(現在は一部緩和) 。ラクスは、日本の新型コロナウイルス感染症に対する冷静で抑制がきいた対応から多くのことを学んだようだ。ヨコハマトリエンナーレ組織委員会との対話のなかで、「ヨコトリのキーワードでもある自分自身と友人や見知らぬ他人どちらも含む他者へのケアの組み合わせを、新しく得た経験値によって本展でどうひもとくかを考えるようになった」と語る。

オープニング時は、大規模集会やイベントは控えることになるとのことだ。そのかわりに、関心が高まるオンライン上の人々に対して一連のアクションを始動させると同時に、横浜の会場で感染症対策を講じながら★2幅広い領域のアートを展示する計画だという。現代美術の場で横浜の会場とオンライン上の人々が交わる瞬間が起きるともくろむ。

ラクスはさらに、「緊急状況が更に悪化した際の対応や新しい生活様式は、現代美術の展示において、その複雑な仕組みの内側にある、留意すべきことや展示とその実行のプロセスを更新させるだろう」と感じている。「これは美術展にとって転換期を迎えた瞬間であり、現在なされている検討と提案には長期的な可能性が秘められている」とみる。

ここで、改めてラクスについて詳しい説明をしたいと思う。「RAQS」とは、アラビア語、ペルシア語、ウルドゥー語にルーツをもつ言葉だ。イスラム教の一派、スーフィーの修行僧が、音楽と歌にあわせて体をコマのように旋回しながら思索にふける舞いのなかでの恍惚状態を指している。この南アジアや西アジア・中東が語源の名称からは、日本人はなかなか思い描けないインド以西の地図が浮かび上がる。インドのイスラム教徒の人口は1億人を軽く超えること、インドがイスラムの王朝の下で栄えた時代には、ペルシア語が宮廷の公用語だったこと、ウルドゥー語は、インドでは公用語のひとつで、口語はヒンディー語に似ているが文語はアラビア文字を起原にペルシアを経てインドで誕生したこと。ウルドゥー語の名を冠した、反骨精神たくましい大学で学んだ彼らならではの名称は、複数の言語と文化、人種に揉まれて育まれたインドの多様性を映しだす。

2001年には、非西欧の政治的、倫理的な流れをインドの視点で読み解く、南アジア有数の社会・人文科学の研究機関国立発展途上社会研究センター(Centre for the Study of Developing Societies :CSDS)の外郭団体サライ・プログラムを共同設立。「集う場、家」を意味する言葉のとおり、同機関で10年のあいだ大学院生から研究者まで幅広い専門分野の人々と共同で都市空間や文化についての研究およびその実践を重ねた。そのひとつに、2002年のドクメンタ11で公開された、インターネットの黎明期に彼らが開発した《OPUS(Open Platform for Unilimited Signified)》★3がある。誰でも画像、サウンド、ビデオ、テキストなどの素材をアップロードし、そのソースを共有し、改変してあらたな作品を作り、発表、コメントすることができる。このオンライン・プラットフォームの仕組みは、著作権やアイデンティティをある程度保持しつつ、そのソースを自由に利用できる、当時はまだ珍しかったネット上の文化のデジタル・コモンズの先駆けともいえるものであった。2013年まで編集を手掛けた『サライ・リーダー』シリーズでは、デリーという都市空間をベースに、多様な執筆者による論考、写真、イラスト、詩から構成される発行物がウェブ上でも公開され、新たな知が集う場となっていた。これらの活動がラクスの創作活動の基盤をつくり、キュレーションへつながっていく。



《OPUS》 (2002)

刷新しつづけるふるまい──キネティック・コンテンプレーション

ラクスのコレクティヴの活動の指針を表わす造語「動的熟考/キネティック・コンテンプレーション」★4は、前述のスーフィーが旋回しながら思索する姿から想を得ている。可変性に富み、流動的な世界のただなかで、修行僧の旋回舞踊のように思索し続けるキネティックな活動。それはサライのときから一貫しており、例えば、「INSERT2014(インサート2014)」展では、デリーで使用されてこなかった文化施設を再考する国際展が開催された。時間の概念をかたどったとされるドーム型の建築マーティ・ガルと大学構内の施設では、展覧会タイトルを意味する「差し込み」が、現代美術作品を通して随所で行なわれ、既存のインフラとアートが双方向に介入できる可能性を追求した。展覧会と同名の冊子では、各作家のインタビューや対話などのテキストとテキストの間に、アーティスト、建築家や詩人、アクティヴィストなどから募ったデリー各所の休眠している公共文化施設のクリエイティヴな活用案が差し込まれた。



INSERT (2014)
[Photo: Umang Bhattacharya]




INSERT (2014)
[Photo: Umang Bhattacharya]


デリー隣州のグルガーオン(グルグラム)にある個人コレクターが設立したデヴィ・アート財団のスペース(現在は閉館)と『サライ・リーダー』の共同企画では、「Sarai Reader 09」(2012-13)を企画。オープンスタジオのような空間から始まり、アーティストや、ミュージシャン、ライター、映像作家、アクティヴィストは、全館の展示室で持ち寄った企画や作品を9か月かけて作り続けた。その変遷を「エピソード」の名で3期に分けて展示。そして、『サライ・リーダー』の最終刊が、本展と隣接するプラットフォームとして用意され、展示と出版が互いに影響を与えながらその内容を発展させた。



Sarai Reader 09 展示風景(2012)
[筆者撮影]



Sarai Reader 09 展示風景(2012)
[筆者撮影]


このような試みは、現在デリーとコルカタのドイツ文化会館を会場にした「Five Million Incidents(500万の出来事)」でも、認められる(現在はコロナ禍のため休館)。公募で募ったアーティスト、ミュージシャン、アニメーター、ライターなどが企画する展覧会やイベントが、一年間入れ替わりながら活動することが日常の延長線上にあるアートとなっていく。このように、ラクスは源泉となる素材を次の素材へと変容させ、重ねてゆき、彼らがアイテナリー(行程)と呼ぶ、思考の経路ともいうべき道筋を蛇行しながら展覧会の全容を紡ぎ出す。



Five Million Incidents (2020)
[Photo: Annette Jacob, Courtesy of Max Muellar Bhavan, New Delhi]




Five Million Incidents (2020)
[Photo: Annette Jacob, Courtesy of Max Muellar Bhavan, New Delhi]

ヨコハマンナーレ2020を起動する『ソースブック』の存在

今回、ラクスはヨコハマトリエンナーレ2020においてコンピューターのソースコードがプログラムを動かす言語であるように、本展を始動させるための『ソースブック』を用意した。 横浜の寿町の日雇い労働者、西川紀光の哲学的な思想、1912年に日本人との国際結婚で来日したベンガル人女性ホリプロバ・モッリクの回想録、メディア・アーティストで哲学者のスヴェトラーナ・ボイムによる友情についての考察、16世紀に南インドを治めていたビージャープル王国のスルタン、アリー・アーディル・シャーの美しい挿図が付いたペルシア語の占星術百科事典、生物学者下村脩博士の生い立ちから2008年にノーベル化学賞を受賞するまでの物語という、時代も場所も背景も異なる人々による5冊の書物からの文章がソースとして抜粋されている。



『ソースブック』


一瞥するとなんとも謎めいたセレクションであるが、ラクスは、この人知れず埋もれてきたテキストのなかを自由に巡りながら、ソースとソースのあいだに横たわる社会や文化の動きに目を向ける旅に我々を誘う。約70組のアーティストはソースから発せられるキーワードを受けて思考を巡らせた世界観をトリエンナーレの作品のなかで披露する。そのうち7割以上が非欧米圏、半数以上がミレニアル世代のアーティストだ。これら現代美術の活動にみる複数の中心の存在も本展では見どころのひとつとなる。

毒性とケア

なかでも、複数のソースが絡み合いながら生成された『ソースブック』に出てくる「ケア」と「毒性」という言葉は、まるでパンデミックの到来をあらかじめ知っていたかのようだ。そのことを訊ねてみると、実は、毒性とケア、または毒性を伴うケアの問題は以前からずっと彼らの脳裏にあったらしい。彼らはインドの文明遺産とよばれる都市化や工業化は、大気汚染や水質汚染、ボパールでおきた世界最大規模の化学工場の事故★5など毒性問題を避けてきたという前提のうえに成り立っており、廃貨政策★6やロックダウンのような当局による強制的な禁止と移民や下位カーストに属する弱者の追放という残酷さを伴う毒性の管理が存在しているからだと考えている。その結果、インドは平等主義の展望が埋没する格差を招いたとみる。さらに、ケアの問題は、われわれの周囲や内部の毒性の存在にまず目を向ける必要をここ数年感じていて、そのことを作品制作や執筆★7のなかで取り上げてきたという。

ラクスは日本でも同じく「放射線」の歴史とも呼べるような毒性とケアの存在を感じているという。「少なくとも20世紀以降の歴史は、ある意味で放射線の歴史ともいえ、日本においては、そのことがより明確なのだ」として、ヨコトリではこの問題について人々と有意義な会話が始められると期待を寄せる。

そして、『ソースブック』のキーワードが今日の世相を図らずも映し出すのは、「このような事象が起きる前に、世界は何らかの形で迫りくる緊急性と共振しあっている。隠れた世界への直感的な感覚にとして人間の身体は一種のチューニングのようなものを起こしている」とみる。「(チューニングが)パンデミックのような非連続性のひとときを感知しようとすることで、未来を身近なものとし、無自覚に人間が行なう近代化の膨張とその問題を伝えている」と指摘する。

タイトルにみる光──有毒なものとの共生

タイトルとなった「afterglow」は、英文のなかで本来は夕焼けや残光、余光のほか、成功後の楽しい思い出や名残り、余韻といった意味合いで使われる。本展において、この言葉は、「光の間隔、輝くような期待、ゆらめく光の流れ、存在と生成の茂みの間を流れるエネルギー」を表わす。トリエンナーレ展覧会概要には、テーマを設けずソースから展覧会を組み立てるなかで、「何かを確定する力は弱くとも、泡のごとく生まれては消えるような生き生きとした興奮に満ちた名前」とされている。

ラクスにこの言葉を選んだ理由を詳しく訊くと、本展のキーワードのケアと毒性のいずれも排除せずにその交わりを的確に言い当てる表現を探すなかで、「afterglow」の響きとその意味合いがこの考えにエレガントに落ち着いたのだと教えてくれた。この言葉が、光の美と脅威が同居する放射線の発光と、友情と親密さにみる輝きの両方を連想させるという。「二つの意味を兼ね備えているこの言葉は、ある意味、互いの影ともいえる」ことに魅せられたという。この毒性とケアを照らす光については、「ソースの共有」のなかで以下のように語られている。



現代という時代のもつ毒性は、この亡霊のような光を育むことと出会わされなければならない。アーティストはこの光輝を、その美しさと危険性を感知しようとする。そのおかげで、私たちは常に身の回りで起きているあらゆるメルトダウンを見ることができ、これから生き抜くための──あるいは繁栄していくための方法を学べるようになるだろう。私たちは毒性と共存する生き方について考え始めなければならない。それを追放することは愚行だという自己認識に立たなければならないのだ。★8


アーティスト、観客、キュレーター間の継続的な相互交流の積み重ねが、この毒性との共存につながる発光体となるわけだが、ラクスが人々と共に作りあげ、明らかにしていくプロセスは、一過性の国際展であるトリエンナーレに必要なことと、その可能性を前景化するものだという。そうすることで、ラクスがこれまでの活動で行なってきた「ひとつの表現を別の表現へと変容させるトランス-クリエーションの言説が可能となるミリューと呼ぶアートの環境ができあがる」とする。「世界は複雑性と共犯する知恵と思考の茂みでできている」とするラクス。「ひとつの茂みから抜け出し、別の世界で知識と経験を広げるには、複数の知恵と思考がリレーを繰り返すようなアクションと多くの共感できる力強い作品が必要」だと語る。「afterglow」は、このことをまさにピタリと言い当てた言葉なのだ。

トリエンナーレの非連続性を刷新する「エピソード」の開催

この「茂み」を転々とする活動のなかで展覧会と並走する「エピソード」と呼ばれるプログラムがある。ラクスはトリエンナーレを3年に1度の国際展ではなく、次のトリエンナーレまで継続して思考する機会と捉えている。昨年11月末のプレイベントで披露された「エピソード00 ソースの共有」では、一部のトリエンナーレ参加アーティストのパフォーマンスとラクスによるレクチャー・パフォーマンス「ソースの共有」が発表された。そこではアナログテレビのホワイトノイズに宇宙誕生のきっかけとなったビッグバンに光の名残りを見出し、光は毒と治癒の両方の作用の働きがあると説くなど、ひとつのソースが別のソースを呼び寄せながら9つの短い詩的な文章がゆるやかにつながれる。そこに登場するのは、本展のキーワードとなる「独学」「発光」「友情」「ケア」「毒性」であり、それらの根底にはさまざまなかたちの光のありようが流れている。

当初はそのあと、海外で回を重ねながら、7月の横浜に「エピソード」をつなぐ予定であったが、計画を変更せざるを得なくなっている。現在について質問すると、「エピソード」は、そもそも活気に満ちたアクションと想像力に富んだ表現プレイを伴う冒険として考えられているという。横浜だけでなく香港とヨハネスブルグでも行なわれる。これらの会場はアーティスト、キュレーターなどの多くの共同企画者、参加者によるプロセスの現場になり、トリエンナーレ期間中に一連の密度の濃いイベントが催される予定とされる。「エピソード」のいくつかは、三人の若手キュレーター/アーティストのランティアン・シィエ(Latian Xie)、ミシェル・ウォン(Michelle Wong)、カベロ・マラッツィ(Kabelo Malatsie)によって企画される。そこでは、イメージ、アイデアとその場所換えは素早く行なわれ、互いのソースからイベントを構築し合い、分散と密集の組み合わせが試みられる予定だった。今後は日程の再調整とオンライン経由のアクションと横浜の展示会場の動きを組み合わせて仕切り直すそうだ。


ヨコハマトリエンナーレ2020 プレイベント「エピソード00 ソースの共有」
イシャム・ベラダ パフォーマンス『Présage(予兆)』
[撮影:加藤甫 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会]

トランス-ローカルの重要性

外出自粛以降は、日本でも通常の展覧会制作や運営の見直しが迫られ、急激にネットが第二の展示空間に台頭してきた。そのなかで、ヨコトリは横浜のオンサイトとオンラインサイトの二つの場を駆使して始まることになる。その一方で、「GAFAのような巨大インターネット企業の台頭と美術館、大型ギャラリー、大学のオンライン化に対する関心の高まりが結びつくとき、アートの語られ方、認知の様式、評価がそれらの企業によってリードされることにつながる」と懸念も示した。「ビエンナーレやトリエンナーレのような、とがった視点で作られる展覧会においては、これに対抗する基準を考える必要がある」と指摘、また「複数の(ローカル性を保ちながらグローバルな特性をもつ)トランス-ローカルから生まれる注目すべき出来事を刷新しつづけなければならない」と考える。現在、この状況に対応する時間がほとんどとれないそうだが、この議論を高めるために、何らかの方法と可能性を示したいとした。


[撮影:田中雄一郎 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会]

ヨコトリを貫く流動性

ラクスは、ヨコトリを貫くこの流動性について、昨年アテネで深海に潜るダイバーと作品を制作したときのことを話してくれた。「ダイバーは、未知だがその特性がある程度分かる世界のなかで、潜る可能性を考えます。未知と既知の間によこたわる、予想外の俊敏な動作。それが用心深さを必要とする深海においてのリアリティなのです。頭はフル回転で体は緊張している。そんなとき、目の前の世界とそのときの気持ちを共有したい、愛する人たちを生き生きとさせたいという欲求が生じます。このアテネでの体験は、トリエンナーレの仕事をするときの感覚と似ています。トリエンナーレとは、重力を忘れ、捕えがたい、姿かたちを変え続ける世界を楽しむダイビングへの誘いなのです」

この流動性の感覚を言葉で表わすのはとても困難ながら、「ソースの共有」の最後を飾る、ベンガル語の(内在的な流れとあまねく広がる感覚を表わす)医学書用語「antashira(オントシラ)」の態度で「この流動性」に臨みたいとした。同文のなかで、この翻訳不能の単語は、次のような一文で締めくくられている。


オントシラは、私たちの内在的であまねく広がる力であり、私たちすべての間を流れていく。その流れにつれて、私たちは、個々の生のミクロコスモス(小宇宙)と、この惑星というつながりあった生命と、宇宙というマクロコスモス(大宇宙)の関係を作り直すのだ。

発光しつづけるトリエンナーレ

『ソースブック』、展覧会、「エピソード」、オンライン、キーワード、タイトル……いくつもの要素が互いを引き寄せ、取り込みながら、層の厚い別のソースに変容する。絶え間なく生成を続け複雑に絡みあう複合体としてのトリエンナーレには、展覧会の開催方法にとどまらず、その取り組み方について多くの示唆に富んだ試みがラクスによって仕掛けられている。コロナ禍のなかで、奇しくもあらわになった毒性との共存は、いまや世界のどこにいても考えずにはいられないだろう。「AFTERGLOW─光の破片をつかまえる」は一言で表わせるような単純な構成ではないが、だからこそいくつものアイテナリーが観客の前に開かれている。物理的、社会的な力を複雑に絡み合わせるラクスを選んだヨコトリの意図について考えてみると、これまでの祝祭的な国際展のありかたから、観客がアートとじっくり向き合う場を作ろうとしているように思われる。トリエンナーレからの一石は、コロナ禍と期せずに相まって、本来のアート鑑賞に再考を促す一例になるだろう。これだけの規模と内容の国際展を家からほとんど一歩も出られない環境で粛々と準備をすすめるラクスの来日が期間中に叶うことを願いつつ、7月17日から始まる本展を心待ちにしたい。


★1──本原稿を執筆するにあたり、ラクスに以下の質問を送った。
・現在のパンデミック下でのキュレーションについて
・afterglowをタイトルに選んだ理由・今日のコロナ禍と『ソースブック』について。特にキーワードの毒性とケアは今日の揺らぐ社会を反映しているように思うこと。この偶然をどう思うか
・イベント「エピソード」について海外でも開催予定だったが、現在はどのように進めていくつもりか
・トリエンナーレのなかの流動性をどう表現するか
★2──2020/06/03横浜トリエンナーレプレスリリースでは、開催にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策は(公財)日本博物館協会のガイドラインに沿って十分な安全対策を講じる、とある。
日時指定予約チケットの導入による入場制限/来場者のマスク着用、手洗い・消毒、入場時の検温/会場内の消毒、換気、対人距離の確保/スタッフのマスク着用や検温の徹底
★3──Universes in Universeの《OPUS》の紹介記事http://universes-in-universe.de/car/documenta/11/halle/e-raqs-2.htm
★4──カリフォルニア大学バークレー校でのシュッダブラタ・セーングプタによる講義「Kinetic Contemplation」(2018年11月7日)についての記事https://arts.berkeley.edu/kinetic-contemplation-raqs-media-collective-in-medias-res-with-shuddhabrata-sengupta/
★5──「『ボパールの悲劇』から30年 大事故の後遺症、今もなお」(日本経済新聞、2014年12月11日付)https://www.nikkei.com/article/DGXKZO80764820Q4A211C1FFE000/
★6──「インドの廃貨宣言」(コトバンク)https://kotobank.jp/word/インドの廃貨宣言-1748161/
★7──Raqs Media Collective "The Equal Division of Toxicity"(Livemint、2018年8月29日)https://www.livemint.com/Leisure/JuxEvOeT79uyhy5q75DRbI/Raqs-Media-Collective-dreams-of-an-equal-division-of-toxicit.html
★8──ヨコハマトリエンナーレ2020「ソース ソースの共有」https://www.yokohamatriennale.jp/2020/concept/source/sharing-our-sources/

ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW─光の破片をつかまえる」

会期:2020年7月17日(金)~10月11日(日)
休館日:毎週木曜日(7/23、8/13、10/8を除く)
会場:横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1)、プロット48(横浜市西区みなとみらい4-3-1)
参加アーティスト:https://www.yokohamatriennale.jp/2020/artist/
主催:横浜市、(公財)横浜市芸術文化振興財団、NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会

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