フォーカス

【ロサンゼルス】Surnormal/シュールノーマル:新しい生活様式

キオ・グリフィス(ヴィジュアル・サウンド・アーティスト、キュレーター、デザイナー、ライター)

2020年08月01日号

まるで漆黒のカメラオブスキュラに吸い込まれてしまったようだ。ブラックホールならず、ホワイトホールの白昼夢に投げ出された私たちにはその光源であるピンホールを見ることはできない。アルバート・ハモンドの名曲 ★1 の通り、雲ひとつないロサンゼルスの眩しい青さとは対照的に、私たちの脳内時計と心の空間はすでに言いようのない何かに感染していた。

波乱の大厄年

コロナ禍で活性化したブラウン運動 ★2 に揉まれ、一時停止を繰り返し、乗り継ぎ便を待つよりほかはない。Dwell Timeという列車乗換えの時間を表現した言葉がある。ウイルス襲来によってアメリカ国民が、この時空間の表裏を徘徊する間に社会のメカニズムは変容し、当初のショックから程なく政府や知事からの緊急事態宣言による自粛要請。自由人には耐えられない監禁生活、さらに定かでない情報源から湧いてくる不可解な情報、晴らそうにも晴らせない鬱憤。

一見、数字の神秘性を秘めていそうな2020は、それらが孕んでいた運勢が炸裂したかのような波乱の大厄年となった。21世紀直前のレトロな時代に多種多様に想像された未来はすでに乗り越してしまい、いままさに終着駅にでもたどり着いたのだろうか。ここからはSF小説や映画の枠から外れたテラ・インコグニータ ★3 だ。開拓し尽くされ、欲望にまみれて隙間なく蓄積された社会構造に空いた穴のようだ。それはソーシャル・ディスタンスから始まり、「反ファシスト」のアクティヴィストたちによる人種差別や警察の道義に反した取り締まりに対するプロテスト運動、そしてホワイトハウスの参道に大きく書かれたBlack Lives Matterのメッセージが繰り広げる次なるフロンティアに到達したのだ。

現在のパンデミックがアメリカ本土に上陸した頃、私は東京から招いたキュレーターの四方幸子氏のカリフォルニア大学サンタバーバラ校での講演とロサンゼルスでのリサーチを終え、彼女が滞在するサンノゼ近郊のレジデンシーへと車を走らせていた。つい今しがた耳にした大学理事長からの緊急事態宣言によるキャンパス閉鎖の報がどこか宙に浮いたまま、雨の国道101号線を北上していた。突然、前方を走行中の大型トラックが危険な蛇行を繰り返し、隣の車線に滑り込んで横転しつつ防音壁に直撃し、その反動で飛び跳ねて無重力化した風景が、数秒であったが、しかしものすごく長い時間のようにも感じられた。シネプレックスでしか体験できないようなCG加工の光景が生々しく目前に落下してきたのだ。通り越す横目に見えた運転手は眼光を開いたまま気を失っていた。加速するなか、それ以上の確認は許されなかった。咎める気持ちを残しつつバックミラーに映り込む赤灯の群れを案じ見た。


レジデンシー開始早々のロックダウン

キュレーターの四方氏を推薦したモンタルヴォ・アート・センターは、ローリー・アンダーソンや、キム・ゴードンなどミュージシャンを対象にしたスタジオ提供を目的に設立されたレジデンシーだが、近年では、現代アート、小説家、パフォーミング・アーツ、コメディアン、キュレーターなどへとその門戸を広げてきた。

サンノゼ市郊外の山麓にあるこの施設は昔の開拓者の屋敷跡地だ。四方氏と施設に到着したのは夕暮れで、関係者やレジデンシーのディレクターのケリーさんも交えての晩餐が始まるところだった。オーブン焼きのピザを窯から出したところで、ケリーはレジデンシーのこれからの予定を神妙に我々に伝えた。それはカリフォルニアのニューサム知事によるロックダウンの宣言と不要不急な外出の制限などに関する説明だった。つまり我々はここにたどり着いたのもつかの間、早々にここから退去せねばならないということだった。

「これが最後の晩餐だぁ、また次までの!」。ワイングラスを掲げながらL.A.のパフォーマンス・アーティストのラファ・エスパルザ(rafa esparza)が爽快な笑顔で雰囲気を一変させた。BIPOC(黒人・先住民・有色人種)やLGBTQIA+(性的ダイバーシティあるいはマイノリティ)のアーティストの先端に立つ彼は、自身の身体をベースにパフォーマンスを繰り広げ、植民地主義、移民、人種差別から派生するトラウマやジェントリフィケーションなどをテーマに取り上げてきた。2019年秋には、ホワイトハウス前に設置したイオニア式の柱の中から自身が脱出するパフォーマンス作品『バスト:不滅の柱(bust: indestructible columns)』を演じた。また、アメリカ首都圏の白人至上主義に言及したり、トランプ政権による移民親子分離、拘置センター内の虐待など人権蹂躙を訴える作品をホイットニー・ビエンナーレなどで発表している。メキシコの日干し煉瓦「アドベ」を素材として有名になった彼は、このレジデンシーで5月に予定していた個展のインスタレーション用に1500個のレンガを作成しに来ていた。アドベ職人の父や叔父の作業姿からヒントを得て、労働とアートメーキングの接点を問い続けている。

rafa esparza, bust: indestructible columns, 2019, performance still. The Ellipse, Washington D.C., and Performance Space New York. Photo: Natalia Mantini, courtesy of the artist and Commonwealth and Council, Los Angeles.

rafa esparza, Building: a Simulacrum of Power, 2014, performance still. The Bowtie Project, Clockshop, Los Angeles. Photo: Dylan Schwartz, courtesy of the artist and Commonwealth and Council, Los Angeles.

施設撤収の翌朝、ラファの制作を見学しに急坂を登りつめたところにある彼のスタジオを訪問した。アドベ煉瓦は何層にも積み上げられて、床と壁の側面は濡れた粘土、藁と動物の糞で塗り固められていた。「これから兄貴たちがトラックで迎えに来てくれるんだ。家族のサポートに恵まれて助かっているよ。この状況がいつまで続くのかはまったく見当がつかないけど、なんとかなるってことだけは信じているよ」。濃いコーヒーを飲みながら企画進行中のプロジェクトの話も聞くことができた。それは、全米80カ所の不法移民収容所に拉致されている移民児童たちの開放を呼びかけるための企画で、7月4日のアメリカ建国記念日に合わせ、首都圏からセスナ機の編隊飛行を機動させ、収容所の上空にプロテストメッセージをスカイテキスティングする壮大な企画だった。3月18日、曇り時々雨。

アドベ煉瓦を用いた作品制作が行なわれていたラファのスタジオ

In Plain Sight #XMAP. Artist rafa esparza's message, "La frontera nos cruzo," 「国境は我々を超えた」US-Mexico beach border. Photo: Carlos Moreno, courtesy of the artist and Commonwealth and Council, Los Angeles.


本来の意味での「アーティスト・イン・レジデンス」

ロックダウン生活80日目の回想で気がついたのは、これまでこれだけ長く自宅で過ごす機会がほとんどなかったということだ。苦い洒落になるが、これが本当の「アーティスト・イン・レジデンス」だと思った。加速し続けていた躍動感も急停止し、茫然不可測な日々が続き、平日なんだか週末なんだかの区別もなくなり、気がついたらそれが日常のリズムになっていた。基本、車が足だったので、近所のことには無知なまま生活をしていた。いまは、どこへも行く予定もなく、車も放置状態。交通のない風景は音も消え、頭のなかの耳鳴りが環境音にすり替わっていった。安息状態になった自然や小動物が街に忍び寄り、誘われるように散歩をする習慣がついてきた。普段はサーファー、スケートボードやビーチ・クルーザーで賑わっているサンタモニカ・ビーチも人が通った痕跡はなく、ただ風と潮の波動にまかせてできた優美な砂紋が浮き彫りになっていて、サハラ砂漠に見えてもおかしくない光景だった。

1872年にイギリスの資産家フィリアス・フォッグと共に『八十日間の世界一周』★4 の旅に出ていれば、いまごろ気球船から下ろされた縄梯子を降りてきたであろう。ポストコロニアルで、さらにポストシチュエーショナルな現代では、過剰に蓄積されたデータから割り出されたナビゲーションで人々はあらゆる方向に振り回され、一本の航路では成立しない。

週末のやって来ない時間が何週間も積み重なって、イベント命で生きてきた人々も理性の限界を噛み締めては、オルタナティブな社交方法をいろいろと駆使した。ロックダウン初期では、当然のようにリアルからヴァーチャル展示への移動運動が起こり、Instagram、Twitch、YouTube、Zoom、Hubs Mozilla、VR・AR環境など、映像、音、ライブストリーム、プレゼンテーションを駆使するプラットフォームがメジャーになり、従来の会場の客席からでは体験できない親密な臨場感や、コロナ前では踏み込むこと、覗くこともできなかったアーティストのスタジオやプライベートな生活空間に侵入するのがごく普通のことになった。PC、スマホのスクリーン越しでここまでユビキタスにパブリックとプライベートの境界線が薄くなってきているのも驚異だが、こうやって自宅から、それこそポール・マッカーシー、バーバラ・クルーガー、ジェニー・ホルツァー、マシュー・バーニー、カラ・ウォーカー、マーク・ブラッドフォード、キュレーターのオブリストらにライブ・アクセスができ、Q&Aのスクリーン・シェアによりホストとゲストと観客みんなが同じサイズの枠内でインターアクションを繰り広げるのだ。しかも無料。これが新しいデモクラシーなのか。


2020年の「時間イメージ」

人間のアクセス距離が極端に縮む一方、物体としての作品とホワイトキューブとの距離感はさらに広がってしまい、それらには容易にアクセスできない状況だ。そんななか、5月には、ニューヨークとロサンゼルスのキュレーター・チームによって企画された大型野外グループ展「Drive-By-Art (Public Art in This Moment of Social Distancing)」が開催された。イーストコーストとウエストコーストの協力で実現したこの展示は前代未聞だ。参加作家はそれぞれの展示場所を自ら設定し、GPSに登録してガイドマップを作成した。設置もさまざま、ワイヤーフェンスに括り付けたり、廃墟ビルを調達したり、サイトスペシフィックに調整していた。ソーシャル・ディスタンスにともない展示観賞は車の座席からのみとされた。

フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが60年代に取り組んだポリティカル・フィルムで見られるタイトルカードの言葉の組み替え(例:Photographie=Fauxtographie, Analyse=Anal yse)★5 は視覚情報をオン・オフするネオンサインのようなものだったが、それは時空間をランダムに移動するイメージのタイムスタンプのような動作だった。現代哲学者ジル・ドゥルーズが80年代に著した『シネマ』シリーズで述べている「時間イメージ」★6 の概念も、認識と回想の触媒かもしれない。

ゴダールは、60年代のパリ学生運動やシチュアシオニストなどの影響で作風が大きく変化し、時空間の終始、伸縮、有無、消失、さらに消滅的感覚を論理から解放し、実験的な表現を試みた。67年作『ウィークエンド』★7 も、タイトル表記のない突発的な始まりで、出だしのタイトルカード、「Un Film Egaré Dans Le Cosmos(宇宙に迷い込んだ)」といった、不穏なメッセージからストーリーに入っていく。

今年2020年の「時間イメージ」と決定づけてもおかしくない、フェイスマスク。欧米メディアでは、去年の香港デモのレジスタンス的シンボルとして定義づけられ、そしてコロナ禍のリアクションではパンデミックからの防護として位置づけられ、さらにアメリカではこれを装着するのは民主党派の陰謀だと共和党派が訴え、その結果感染状況が泥沼にはまるほど間違ったレジスタンスが形成されてしまった。

ミネアポリスの警察官の不適切な拘束方法によって死亡させられたジョージ・フロイド氏が最後に言い残した「 I can't breathe(息ができない)」の語脈は、Black Lives Matterのデモ隊のマスクに転写され、プロテストの文脈を際限なく異化させてきている。陰謀=感染、自粛=自由、暴力=抵抗、不寛容=連帯。この矛盾感覚が結晶した「時間イメージ」などはさらに「イメージ・バリケード」と化し、かつてのデモやプロテスト運動では無益だった団結力が、今回は一連の持続した影響力で大きく飛び火している。他人と触れることが禁じられたこのシュールノーマル環境では、一般人がパフォーマーになり、SNS、VR、AR、またはXR(extended reality)といったすべてのヴァーチャル・プラットフォームを活用して新しい生活様式を編んでゆくであろう。

現在、私が研究で関わっている三島由紀夫の資料のなかにあった言葉をふと思い出した。今年は三島氏の没後50年であるが、生前に残した原稿にこのような一節があった。


「こんなふうに人間の意志と宿命とは、歴史において、喰うか喰われるかのドラマをいつも演じている。今まで数千年続いてきたように、1960年も、人間のこのドラマが続くことだけは確実であろう。ただ我々一人一人は、宿命を恐れるあまり、自分の意思を捨てる必要はないので、とにかく前に向かって歩き出せば良いに決まっている」★8


参考文献

★1──Albert Hammond. “It Never Rains In Southern California”, Mums, 1972, track 6. アルバート・ハモンド『カリフォルニアの青い空』(マムズ、1972)6曲目。

★2──Brown, Robert (1828). “A brief account of microscopical observations made in the months of June, July and August, 1827, on the particles contained in the pollen of plants; and on the general existence of active molecules in organic and inorganic bodies.” (PDF). Phil. Mag. 4: 161–173.
植物学者ロバート・ブラウンが、水の浸透圧で破裂した花粉から水中に流出し浮遊した微粒子を、顕微鏡下で観察中に発見し、論文「植物の花粉に含まれている微粒子について」で発表した。

★3──Terra Incognita. 古代ギリシャ地理学者プトレマイオスが称した未開地。

★4──Vernes, Jules (1873). “Le tour du monde en quatre-vingts jours,” Pierre-Jules Hetzel.

★5──Week-end. Directed by Jean-Luc Godard, Athos Films, December 29, 1967

★6──同上。

★7──同上。

★8──三島由紀夫『1960年はいかなる時代か』(中央公論社)