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「つくる」ことに向きあう場を美術館のなかに
──府中市美術館「公開制作の20年 メイド・イン・フチュウ」

白坂由里(アートライター)

2021年02月15日号

あるひとつの部屋に、作家がやってきて、作品をつくり、来館者と交流し、また次の作家にバトンを渡すように去っていく。東京都の多摩地域中部に位置する府中市美術館、その一角に開館時から常設されている公開制作室で継続されてきた営みだ。20年で79組約100名にのぼる公開制作プログラムを振り返る企画展「公開制作の20年 メイド・イン・フチュウ」を紹介しながら、美術館における公開制作の意義を考える。

プロセスの公開が作家にも来館者にも発見をもたらす

第1回の日比野克彦から篠原有司男、青木野枝、横尾忠則らを経て、第79回の三沢厚彦まで世代も表現も多様な作家が名を連ねる。公開制作プログラムから生まれた約60作品を中心に、記録映像・写真・資料などをまとめた展覧会「公開制作の20年 メイド・イン・フチュウ」が企画展示室全体を使って開かれている。絵画・彫刻などから協働型のプロジェクトまで、この20年の美術表現の変化も垣間見える。併せて公開制作室では、第80回のL PACK.(小田桐奨と中嶋哲矢によるアート・ユニット)が制作を続けている。



「メイド・イン・フチュウ」会場風景(2021)三沢厚彦とゲスト作家が制作した作品の展示風景 [撮影:若林勇人]


前面がガラス張りの公開制作室が、美術館の建築時から構想されたことは全国的に見ても先駆的なことだった。学芸員の山村仁志(現・東京都美術館)が中心となりプランをあたためて実現したという。府中市美術館では、2階に「完成作品を鑑賞する場」として常設展示室と企画展示室が設けられ(有料)、1階に「訪れた人々が主体的に学び創造する場」としてワークショップルームと市民ギャラリーと公開制作室が設けられている(無料)。公開制作室は、現代の作家を小規模ながらフットワークよく紹介し、制作現場と出会う来館者に何かしらの発見をもたらすことをねらいとしている。

開館の2年半前から美術館設立準備室に入った学芸員 神山亮子は、山村の異動後も基本プランを受け継ぎながら、現場にその都度対応しながら同僚とともに公開制作室を運営してきた。今回の「メイド・イン・フチュウ」展も企画している。「来館者が見ているなかで制作し、コミュニケーションをとっていただく必要がありますので、作家には最初の頃は制作依頼を断られることもありましたし、期間中に緊張や気遣いで制作が滞ってしまう方もいらっしゃいました。作家の不安を払拭するため、制作過程を公開することによって、作家にとってもそれまでのものの捉え方やつくり方を壊して新しい何かを生み出すような実りある時間になるよう、話し合いをしながら依頼しています」。



大谷有花 公開制作「キミドリの部屋」(2003)


最初は年に6本だったが、予算の減少ともう少し丁寧にやりたいという理由から、次第に年に4本になり、この約10年は年に3本で定着している。初期の2カ月程度の期間では完成せずに終わることもあったが、約3〜4カ月に延びてからは「制作」と「展示」に期間を分けられるようになった。なお、最初の頃は制作に必要なものは美術館で購入していたが、現在では基本的には委託契約を交わして材料費を渡し、作家が用意することになっている。人手が必要な場合は、作家が助手を連れてくることもあれば、ボランティアに声をかけることもある。



篠原有司男 屋外も使い、「ボクシング・ペインティング」の制作実演も行なった(2001)


作家が公開制作のありようを変えていく

「メイド・イン・フチュウ」展を見ると、公開制作室の使い方が作家によって変化していったことがわかる。最初の頃には作品や展示の完成度へのこだわりが見られるが、次第に、結果はどうなるかわからない実験的なことに挑む作家が現われてくる。2000年の開館時には、すでに参加型やプロセスを重視する作家の活動が広がり始めていたなかで、ひとりで制作するスタイルの作家も、公開制作のような形で社会に向き合うことを求められる流れにあったといえる。例えば、2002年11月〜2003年1月の企画展「第1回 府中市ビエンナーレ ダブル・リアリティ」★1にも同時参加となった眞島竜男は、小展覧会とパーティーという形式を借りた連動企画「ダブル・ポジティブ2」を実施。自らのほかに5人の作家を招き、鑑賞者をも巻き込んでいった。



眞島竜男 公開制作「ダブル・ポジティブ2・The Party」における、田中功起による《53人でトランプ(ババ抜き篇)》(2003)


また、2008年に公開制作を行なったO JUNは、これまでの自身のスタイルを壊したいという気持ちもあり、描くことそのものに立ち返るような期間にした。そのなかで、生きたモデルを水彩で描く日を設け、府中市在住の子ども2人が参加。「見ること」と「描くこと」について再考する機会となった。この公開制作がひとつの契機にもなり、2013年には府中市美術館で個展が開かれている。



左:O JUN 公開制作「眼の、前に」(2008)右:子どもをスケッチするO JUNと完成した作品《其の児- crown》、《此の児- camellia》(2008)


さらに、美術館を拠点に府中市の地史をつなげたいという提案も出てくる。なかでもmamoruは美術館近くに部屋を借りて公開制作室に通い、2回のパフォーマンスに仕上げた。府中市美術館のある旧陸軍燃料廠跡地とかつて軍需工場だった地とを結ぶ貨物鉄道などを調べ、宮本常一の文献から音の記述を拾い上げてパフォーマンスに仕立てた。土地にまつわる歴史や記憶をリサーチし、音で表現していくスタイルの兆しがここに見られる。



mamoru 公開制作「日常のための練習曲」(2012-13) 成果披露のパフォーマンスより


写真家の鷹野隆大は、府中市内を通る街道沿いを車で回りながら府中の風景を撮影し、公開制作室で現像を行なった。写真群にはいまでは失われた風景、いまでも残っている風景があり、美術館にとっても大きな意味を持つことから、2021年に府中市美術館に全点収蔵されることが予定されている。



鷹野隆大 公開制作「記録と記憶とあと何か」(2009)


また、最初の数年間は、年に1回海外から作家を招いていた。キューバの作家 サンドラ・ラモスは、市民を対象にワークショップも開催。日本の作家とはまた異なる方法や思考に触れる機会となった。



サンドラ・ラモスによる公開制作《難破船》(左)とワークショップ(右)(2003)


変わる来館者の反応

一方、来館者の反応はどうだっただろうか。公開制作室は隣接する公園から気軽に入れるため、展示作品がないアーティストのスタジオにいきなり出会ってしまうことになる。初期の頃は特に、現代美術に慣れていない来館者から「こんなことをやってどういう意味があるの?」といった反応が強く、特に抽象絵画やファウンドオブジェのインスタレーションなど、典型的な美術の型に収まらないものは、話をしても、俺にはわからないなあと率直に言われることもよくあったという。

しかし次第に、作家の動きを入口でそっと見ている人や話しかける人も出てくる。トークやワークショップを通じて理解を深めていくなかで、最近では「自分でも真似して家でつくってみたわ」といった声を聞くこともあったという。

そんななかで、教育普及担当の学芸員 武居利史は、地域の教育機関との連携事業をいくつか行なう。2019年に府中市出身の高嶋英男が市内の小学校で出張授業を行ない、生徒たちが美術館を訪問した「学校派遣事業」では、同時代を生きる作家がつくった作品としてさまざまな興味を抱いてくれたという。そのため毎年継続していこうとしていたが、昨年はコロナ禍で残念ながら中止に。図工の授業の減少など難しい側面もあるが、2021年度以降も状況を見ながら継続していく意向だ。

作家と話して考え方を知り、ものをつくる行為を見ることで、作品鑑賞が深まり、その人自身の仕事や生活などに応用されることもある。数値化できないこうした来館者へのフィードバックや事業評価をどう残していくかは課題となっている。



高嶋英男(左)が協働した学校派遣事業。授業を行なった小学生たちと美術館で再会した(2019)


動的な時間、生産的で創造的な行為が起こる場に

さて、コロナ禍の対応に追われた2020年はどうだったのだろうか。春に公開制作が予定されていた児玉幸子は、家が近いこともあり、休館中の美術館に通い、ライトアートなどの制作を続けた。ウェブサイトでの発信やYouTubeによる実況中継も敢行。「作家はどのような状況でも制作していくし、そういう場が美術館にあることが大切だと強く思いました」と神山は語る。



児玉幸子 公開制作「脈動 溶けるリズム」(2020)


秋には、三沢厚彦が5人の作家をゲストとして招き、合間に自身の彫刻・絵画制作も行なった★2。三沢がO JUN、衣川明子、伊藤誠、小林孝亘に声をかけ、神山は狩野哲郎を提案し、材料は三沢が用意した。他者との接触が難しい時期に、作風の異なる二人が同じ空間で集中して作業し、最後に三沢が相手の塑像と肖像画を制作した。



三沢厚彦、衣川明子をゲストに迎えての公開制作 2020年10月4日 [撮影:柳場大]


現在制作中のL PACK.は、「公開制作プログラムの20年」を素材として「アイビス・ア・カッフ」という架空の作家のスタジオをつくりあげる。「L PACK.の主体性は控えめに、匿名の集合体のアーティストが登場してくるものになります。過去20年の展覧会にふっと風を吹かせてくれるような役割を期待して依頼しました」と神山は話す。



L PACK. 公開制作「アイビス・ア・カッフのアトリエ」(2020)


「メイド・イン・フチュウ」展もアーカイブに留まらず、前沢知子が「私の作品を聞かせてください」という鑑賞者の言葉を集めるワークショップを2020年度版として再構成したり、大小島真木が企画展示室内で前回の公開制作時の作品を進化させたりと、現在進行形の20年になっている。併せて、ウェブ上でも展覧会を補完するようなライブ映像、過去のアーカイブの配信も行なっている。



大小島真木は2017-18年に制作した《万物の眠り、大地の血管》を企画展示室で公開制作し、拡張した。2020年12月5-6日


神山は近年、ニューヨークで、ガラス張りの公開制作室を持つ美術館(ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザインシュガーヒル・チルドレンズミュージアム・オブ・アート・アンド・ストーリーテリング)をリサーチした。「そこで制作していた作家も、人が来るなかでも集中してつくる技を見つけたなどと話していて、同じような現場で起きていることが聞けて大きな収穫だった」という。「完成した作品は時間が静止したものと受け止められがちですが、その場にできかけの作品があったり道具が置かれていたりすると、どんな人が関わったのかなど状況も想像され、時間がちょっと巻き戻ったような、動的な時間が感じられます。静的な美術館のなかに、そうした生産的で創造的な行為が起こる場をつくる。それが、美術館のなかに公開制作室がある意義なのではないかと考えるようになりました」。


日本で公開制作室を常設する美術館はほとんどないが、2020年の千葉市美術館リニューアル時に常設された「つくりかけラボ」もこの流れにあると思う。アーティストが滞在制作し、来館者と関わりながらインスタレーションを制作するのだが、必ずしも完成を目指さない「途中の状況」をあえて公開している。

コロナ禍以降、不確定要素にどう対応していくかが問われているなかで、公開制作にはヒントが潜在しているようにも思う。それを社会に応用していくには、迷いややり直しを含めて話せる機会も必要ではないだろうか。府中市美術館には今年も4月半ばから81番目の作家がやってくる。引き続き活動に注目したい。


★1──南雄介「第1回府中ビエンナーレ ダブル・リアリティ──両義的な空間とイリュージョンの7人/傾く小屋 美術家たちの証言since 9.11」(artscape「お奨め展覧会」2002年)https://artscape.jp/artscape/view/recommend/0212/minami/minami.html
★2──三沢厚彦「府中の森のアニマルルーム」https://made-in-fuchu.com/misawa/

府中市美術館開館20周年記念 メイド・イン・フチュウ 公開制作の20年

会期:2020年12月5日(土)〜2021年2月28日(日)
会場:府中市美術館(東京都府中市浅間町1-3 都立府中の森公園内)
展覧会公式サイト:https://made-in-fuchu.com

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