フォーカス
【ソウル】独立系デザインスタジオがデザイン産業を変える
セオ・ヒョジョン(メディア・アーティスト、Samsung Art and Design Institute [SADI] 教授)
2022年02月01日号
IT化による旧メディアから新メディアへの移行の状況など、日本と似たメディア環境である韓国では、若いデザイナーたちはどのように自らの制作や発表の場をつくり出しているのだろうか。 また、彼らの活動を支える教育や支援、政策にはどのようなものがあるのか。ソウルを拠点にメディアアートやデザインの作品制作と教育に携わるセオ・ヒョジョン氏にレポートしていただく。(artscape編集部)
独立系デザインスタジオ全盛時代
韓国のグラフィックデザインは若いデザイナーたちの独立系デザインスタジオによって大きく変化してきている。彼らは企業クライアントの依頼仕事を超え、社会とカルチュラルシーンのなかで自分のクリエイティビティを自由に発揮する手段としてのデザイン業を行なっている。経済不況でデザイン産業が萎縮したことで発生した就職難という外的要因もあったが、デザイン専攻学生たちは以前よりもレベルの高いデザイン教育を受け、インターネットを通じて世界の多様なデザインにリアルタイムで触れることができるようになった。それによって高まった自分のなかでの基準と現実のギャップはあるのだが、そこで妥協するのではなく、自らの新しい道を開拓することを選んだのだ。彼らは既存のデザイン主流とは異なる新しいデザイン路線をつくっている。2021年に京都dddギャラリーで展覧会
を開催したSulki&Minの登場が、若いデザイナーたちにこのような活動の可能性を見せたと考えられる。また、自主的に活動し始めたデザイナーたちは自らクリエイター中心の小さな生態系をつくり始めている。クラウドファンディングを行なって、リトルプレスを制作・販売したり、オンライン流通でさらにオフラインブックマーケットを開いたりもした。2009年本屋YOUR-MINDが始めた「Unlimited Edition」は、今では美術館で開かれるリトルプレス中心のアートブックフェアに発展している。また、3人のデザイナーがスタジオのグラフィックポートフォリオを作るために始めた「お菓子展(GWAJAJUN)」は国内最大のお菓子マーケットイベントに成長。2015年にはオリンピック競技場で開催したが、人々が集まりすぎて2時間で終了するほどの大きな成功を収めた。自らがブランドとなったデザイナーの登場とSNS活性化で生まれた新しいメディアの力、そしてメインストリームではないマイナーなカルチャーをヒップだと感じる若い世代の感性が新しい文化の場をつくったと言えるだろう。
地域ベースの起業支援
このような独立系デザインスタジオの動きはグラフィックデザインに限られたものではなかった。印刷所と多様な資材を扱う商店、工場などが集まっており、都心のなかの製造業のメッカと呼ばれた乙支路にも独立系デザインスタジオが入り始めた。多様な生産工程の部品を扱う企業が緊密につながっている乙支路に行けば、作れない物はないという話があるぐらいだ。小規模工場が互いに協力しているため、量産ではなくたった1個の製品を生産することも可能であり、韓国最高のベテラン技術があるため、新しいことを夢見る若手デザイナーたちはここで職人と協力して起業を試みることができる。この地域は古い建物が多いため家賃が比較的安価で、ソウルの中心部に位置しており、公共交通機関の状況もよく、多くのアーティストや青年創業者が集まったため、最近は家賃が上昇するジェントリフィケーション現象も現われている。
製造業は都心では不適格という判断でこの地域を全面撤去させようとする議論があったが、2014年、ソウル市が乙支路地域の象徴的建築であり、80年代ソウルの唯一無二の総合家電製品商店街だったセウン商街の保存決定を下したことを契機に、乙支路地域はセウン商街を中心に再生事業が進んでいる。青年スタートアップやアーティストの入居がきっかけになって、乙支路一帯の職人たちと協働してつくった「Sewoon Maker’s Cube」が代表的な事業だ。公募で選抜されたデザイナーやスタートアップ企業は支援を受け、安い家賃でスペースを賃貸できる。乙支路で入手できる材料を中心とするデザインスタジオから、セウン商街の職人たちと協力してIT技術を研究するラボやAI関連開発業者までさまざまな人たちが集まってシナジーを生み出している。工場がある周辺地域が依然として再開発地域に属しており、今後の持続性が懸念されているが、過去の産業が新しい世代のアイデアと融合して未来をつくっていく現場としての価値を生み出している。
ソウル市は場所を提供するほか、若いデザイナーが起業するのをサポートする多様なプログラムを運営している。セウン商街以外にも、若者の就職難と地域の活力低迷問題を同時に解決することを念頭に、ソウル市内の52大学街を中心に、大学と地域が協力し起業を支援する「Seoul Campus Town」、ソウル産業振興院が運営し、ベンチャー起業が自由に往来して交流できるようにした「SEOUL STARTUP HUB」などがある。国家で運営する事業としては、中小ベンチャー企業振興公団が起業の全過程をパッケージ方式で一括支援する「青年創業士官学校」、創業振興院が運営する「起業ポータルK-Startup」などがある。
独立系デザイン学校と教育プログラム
独立系のスタジオが既存の産業エコシステムに大きな変化をもたらしたように、教育でも小さいが強い力のある学校が成果を出し始めている。代表的なものにはSADI(Samsung Art and Design Institute)とPaTI(Paju Typography Institute)がある。SADIは、1993年のイ・ゴンヒサムスン電子元会長の新経営方針「デザインが今後、産業の競争力を左右するだろう。創造的な人材を養成できる教育機関を設立せよ」という発表のなかで指針としてあげられ、国内デザイン人材の実力を引き上げるために1995年設立された教育機関だ。設立初期ニューヨークのパーソンズデザインスクールと協約してカリキュラムを導入し、企業と市場のニーズを実際の教育コースに適用、現場と実務を理解する人材を養成できるグローバル基準の教育を提供した。現在は急速に変化する未来に対応するため、学生自らが専攻にかかわらず、1科目ずつ選択して組み合わせるモジュールと1年3学期間のあいだに継続して受講し、専門性を高めるトラックでカリキュラムが構成される。
一方、PaTIは、韓国のタイポグラフィ、グラフィックデザインの代父として知られるアン・サンス元弘益大学教授が2013年坡州出版団地内に設立したデザイン学校だ。バウハウスをモデルに「教えるよりは一緒に作る」という考えで学生たちをカリキュラムや運営に参加させているのが特徴だ。 西欧で生まれたデザインを学んできた学生たちに韓国的アイデンティティを自覚させるために、授業などでは外来語ではなく韓国語で独自につくり出した言葉を使用しており、リベラルアーツを重視したコースを運営している。坡州出版都市にキャンパスがあり、多様な活動で地域社会と影響を与え合って成長している点も注目に値する。
上記の2つの学校では学位取得はできないが、学位を取得するために教育部(日本でいえば文科省)のカリキュラムに従うのではなく、学校独自の教育システムに準じた入試制度で学生を選抜する自由性や教育プログラムの独創性や柔軟性をとったものと言える。
企業の支援プログラム
学校のかたちではないが、創意人材のための生態系をつくるという目標をかかげ企業が支援するプログラムも注目に値する。現代自動車グループが2018年ソウルにオープンしたゼロワン(ZER01NE)」は多様な視点を持つ人材が集まって問いを考え、答えを探す創造的な場としての人材プラットフォームである。ゼロワンは想像力と創造力に基づいた多様なコンテンツで一般参加者とコミュニケーションする「ゼロワンデー(ZER01NE DAY)」を毎年開催している。実力あるアーティストやデザイナー、開発者、そしてスタートアップ企業など多様な創意人材が参加し、自分たちのプロジェクトとビジネスモデルを一般に披露し、創意文化を広げる舞台だ。
サムスン電子は教育機関であるSADIのほかにも「Samsung Design Membership」を運営している。全国の学士および修士課程にある在学生を選抜し、サムスン電子の支援のもとに実施するプログラムだ。サムスンの課題を通じて、さまざまな分野の専門家と一緒にデザインに対する専門性だけでなく、ほかの領域とのコラボレーション能力も積み重ねられるようにしている。最後に、チームごとに未来の価値を求めてデザインコンセプトを展示するMEP(Membership Emergence Project)が実施され、これにより学生たちはプロデザイナーに近づく機会を得ることになる。サムスン電子はデザインメンバーシップのほかにもソフトウェアメンバーシップ、UXメンバーシップも運営している。
以前の世代とは異なり、最近の若いデザイナーたちは自分の専攻や学閥に関係なくやりたいデザインに挑戦し、新しいメディアの力を積極的に利用し、自分で道を作っていこうという姿を見せている。これを応援するように、社会はこうした若いデザイナーたちを育てていくために多様な形態の支援をしている。