フォーカス
「浪のしたにも都のさぶらふぞ」──二つの人形劇+映像インスタレーションから見える台湾と関門海峡をつなぐ地霊
栖来ひかり(文筆家/道草者)
2023年07月15日号
対象美術館
山口で、台湾と日本をつなぐ壮大な叙事詩をみた。展覧会の名前を「浪のしたにも都のさぶらふぞ」という。
今年20周年を迎え、さまざまな記念イベントや展覧会を開催している山口情報芸術センター[YCAM]。その記念事業のひとつである本展を手掛けたのが、台湾の現代美術界を牽引し国際展でも活躍するアーティスト、許家維(シュウ・ジャウェイ)、張碩尹(チャン・ティントン)、鄭先喻(チェン・シェンユゥ)。キュレーターはYCAMの吉﨑和彦。
展示作品の第一部は2021年に台北のアート施設「C-LAB」で発表された《等晶播種(クリスタル・シーディング)》、そして第二部の《浪のしたにも都のさぶらふぞ》は今回のYCAMでワールドプレミアとなる。3人のアーティストにとって初のコラボレーション作品でもあるこの2作は、現代までの科学や映像技術の進歩を縦糸に、台湾における日本統治時代の主要産業として発展した「製糖業」を横糸として、台湾と日本にまつわる近代化の記憶を見つめ、植民者/被植民者、支配/被支配という関係の複雑さを、映像とパフォーマンスを使ったインスタレーションとして織り上げた。
第一部《等晶播種》──台湾・虎尾の日本統治時代の記憶
第一部の《等晶播種》の舞台は、台湾南部は雲林県の「虎尾(フーウェイ)」という街である。虎尾には戦前、日本統治下で「大日本製糖」(現・DM三井製糖ホールディングス)という製糖会社のサトウキビ・プランテーションと製糖工場を中心とした近代的な街が作られて一大発展を遂げた。ここで作られた原料糖(粗糖)は台湾と日本をつなぐ「内台航路」を伝って船で福岡県門司に送られ、門司大里の工場(現・関門製糖)で白い「精製糖」となり、日本の各地に運ばれていた。第一部が台湾の虎尾を舞台にしているのに対し、第二部の《浪のしたにも都のさぶらふぞ》の舞台が日本の門司であり、両者が内包する要素が照射しあうのが今回の展示の基本構造である。
記憶の断絶の修復から生まれたプロジェクト
作品の構想は3人のアーティストのひとり、張碩尹から始まった。張の祖母が第一部の舞台となった虎尾の出身であり、台北育ちの張碩尹も幼いころから家族や親類の帰省先として虎尾は馴染みのある場所であった。しかし、そこに製糖工場を中心とし「糖都(砂糖の都)」と讃えられるほどの大きな街があったことや張の祖母が実際に製糖工場で働いていたことを知ったのは、祖母のお葬式のときだったという。
台湾の言語環境は、その歴史に似てとても複雑だ。いわゆる「台湾語」(台湾ホーロー語/台湾閩南語とも)は、17世紀より台湾に移民した福建系住民の言語であるが、日本統治時代に日本語が公用語となり、戦後には中国大陸から国民党と共に来た人々の使う「国語」(いわゆる中国語/北京官話/マンダリンのことで最近は“台湾華語”という)が公用語となった。この「国語」と「台湾語」は、まったく意思疎通ができないほど異なる言語である。
日本統治時代に生まれ育った張の祖母は、台湾語と日本語は喋ることができるが、「国語」は不得意である。一方で、台北生まれの張は「国語」に囲まれた環境で育ち、台湾語がわからない。そんな訳で、生前の祖母とはうまくコミュニケーションが取れず、祖母の人生経験について殆ど話を聞くことが出来なかったことも、張が祖母の個人史、ひいては虎尾の製糖業の歴史に興味をもつきっかけとなった。
実際に、台湾で日本統治時代の記憶が台湾の民主化を経て台湾アイデンティティの高まりのなかでクローズアップされるようになったのは、戒厳令解除からしばらくたって、特に2000年代以降である。また製糖産業遺跡が修復・保存・研究を通して観光資源として注目されるようになったのも、ここ数年であろう。理由は、戦後の国民党による独裁政権下で長らく使用言語や情報、歴史教育に制限があり日本統治期をふくむ現在の台湾サイズの歴史を主体とした「来し方」に興味をもつ機会が限られていたからだが、張碩尹とお祖母さんの関係はまさにそうした状況を象徴する。エスニシティや世代による記憶の断絶、言語のディスコミュニケーションは、台湾社会に深刻な分断を生んできた原因のひとつでもある。虎尾の製糖工場の記憶をモチーフにした映像インスタレーションの作品構想を、張碩尹はまず古い友人であり、映像プログラミングなど技術面にも長けた鄭先喻に持ち掛けた。それから二人で相談して、日本統治時代の日本と台湾との記憶に関する映像作品を手掛けてきた許家維を誘ったことで、この度の制作プロジェクトはスタートしたのだ。
現代まで続く砂糖産業から派生した問題
砂糖をめぐる世界史を紐解いてみれば、砂糖こそが近代産業、帝国主義と植民地化を「モノカルチャー」として推し進め、黒人奴隷制度を生み出し、世界の人口地図を大きく塗り替えた発端であった。また、モノカルチャー産業が他の産業発展や経済活動を阻んできたことがその後の「発展途上国」と「先進国」をわけ(南北問題)、現在の世界地図にも大きな影響をもたらしている
。いま現在起こっているフランスにおける暴動なども、元をたどれば砂糖産業を発展させるための植民地主義にまで歴史を辿ることができる。日本もかつては砂糖産業のための移民労働者を送り出す側であった。YCAMのある山口県でも戦前は、周防大島などから多くの日本人がハワイに渡り、サトウキビのプランテーションで奴隷に近いような重労働を担っていた(周防大島にある日本ハワイ移民資料館にて、山口県出身のアーティスト原田裕規はハワイの日系移民に関する新作を発表した
)。しかし、西欧列強の植民地主義を後から追いかけた日本もまた、植民地として得た台湾においてサトウキビ生産を発展させていく。また砂糖は、調味料のみならずバイオ燃料の原料としても期待された。天然資源の乏しい日本は、 大日本製糖が1925年に東アジア最大規模のアルコール工場を台湾に作るなど、アルコールの製造を開始。そして「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)末期には、砂糖を原料とした高純度の精製アルコールで軍用機を飛ばす研究開発をしていた。戦争におけるそうした軍用機の最終的かつ最悪の利用法が相手方に飛行機ごと突撃する「神風特攻隊」で、台湾の各地からも多くの特攻隊が飛び立ったが、虎尾の飛行場もまたそうした特攻隊が出撃した飛行場のひとつである。本作は、そうした植民地近代産業としての「製糖」と日本の領土として台湾の人々をも巻き込んだ「大東亜戦争」の記憶を、布袋戯(ポテヒ)という台湾の伝統的な人形劇と音楽を使ってつなぎ合わせていく。また虎尾は現在、布袋戯伝承の本拠地のひとつでもあり、古典布袋戯を現代的に進化させた『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』シリーズで知られる「霹靂(ピリ)」のスタジオもある。虎尾という場所と映像に登場する道具立ての一つひとつが伏線としてさまざまなかたちで慎重に埋め込まれていることがわかる。
本作で演じられる布袋戯の演目は、幕末の動乱のなかで暴れまわる新選組と戦った覆面の勤王志士、「鞍馬天狗」(大佛次郎の時代小説シリーズがモデル)である。太平洋戦争末期の台湾では、台湾人の動員のため「すべての台湾人も天皇の赤子であり日本人である」という掛け声をもとに皇民化運動が推進され、台湾の伝統的な演目は禁止されるかわりに「鞍馬天狗」「猿飛佐助」「水戸黄門」など日本の物語を題材にした上演は許された。そのため、伝統的な演目を得意とする多くの劇団や演者たちが廃業や休業に追い込まれた。
こうした背景をもつ本作の「劇中劇」として演じられる布袋戯には、鞍馬天狗のほか虎尾と門司に製糖工場をもつ大日本製糖の社長でありその後「藤山コンツェルン」として事業を拡大させていく実業家「藤山雷太」、そしてそれを撮影する監督とカメラマンの人形(偶)が登場し、「見る/見られる」「操る/操られる」「支配する/支配される」入れ子構造をみせる。布袋戯の伝統音楽を奏でる音楽隊と並行してスクリーンに映し出されるのが、虎尾の製糖工場跡において戦前に使われていた機械や廃品を利用し、工場の空間を利用して張られた鉄線で現代音楽を奏でる音楽家の姿である。「歴史を奏でる」のは一体誰なのか? 工場全体が楽器となって生まれる不協和音と、虎尾の過去/現在が響きあう。
ちなみに、第一部は2021年にまず台北市内で展示されたものだが、このたび山口県にあるYCAMで展示されることで、作品のレイヤー構造はさらに複雑になる。例えば大日本製糖の工場が作られた当時の台湾総督は佐久間左馬太(さくまさまた)で、山口県の萩市出身である。また《等晶播種》の劇中劇では登場しないが、原作の時代小説シリーズで登場する勤王志士らには、桂⼩五郎(のちの⽊⼾孝允)など長州藩(江戸時代に山口県に置かれた)出身者も多い。山口という場所において磁石のように引き合うさまざまな要素を次々と乱反射させ連想ゲームのような世界を作り出していく今作は、第二部に入ってさらにその重層性を深めていく。
第二部《浪のしたにも都のさぶらふぞ》──壇ノ浦〜門司、関門海峡のナラティブ
今回の展覧会タイトル「浪のしたにも都のさぶらふぞ」は、門司港の対岸である下関は壇ノ浦で平家が源氏に敗北する際、二位殿(平時子)が幼い安徳天皇に「わたしをどこに連れてゆくのだ」と問われ、「海の底にもまたもうひとつの都がありますよ」と答えてともに入水したという『平家物語』のエピソードから取られている。瀬戸内海と日本海の潮がぶつかり合う関門海峡は歴史的にもさまざまな出来事があった場所で、古くは壇ノ浦の戦いから、武蔵と小次郎が決闘した巌流島、長州藩と列強四国(英・仏・蘭・米)が戦った馬関(下関)戦争、そして台湾が清国より割譲されて日本統治下にはいることを取り決めた日清講和条約は、下関の料亭「春帆楼」にて結ばれた。そんな下関と、九州とを結ぶ関門トンネルが開通する以前には、九州鉄道の始発点であり、九州ひいては日本の玄関口だったのが門司港である。台湾と門司港、神戸をむすぶ「内台航路」をフェリーが往来し、台湾から運ばれたバナナのうち黒ずんだ積み荷は門司港で降ろされ露天商が船着き場でバナナの啖呵売(たんかばい)をした。これは「バナナのたたき売り」という伝統芸能として今も門司港に残っており、台湾が日本の領土であった頃の記憶を色濃く残す港町である。そうして砂糖もまた台湾よりこの地に運ばれ、門司と虎尾を繋いでいたことを作品は示していく。
こうしたナラティブの語り手が、第一部では台湾の伝統芸能である布袋戯だったのに対し、第二部の門司版では人形浄瑠璃(文楽)に置き換えられる。 ⽂楽の⼈形遣い五代⽬吉⽥⽟助の操る⼈形にはモーション・キャプチャーがつけられ、そのデータはスクリーンに⼦ども(能の 『鞍⾺天狗』に登場する源義経)や侍、芸者のアバターとして再現される。また、虎尾にあった神風特攻隊の飛行場に対応するのが、三味線大夫の演奏するシーンを撮影した蕪島という新門司にある島である。かつて太平洋戦争末期、この島の洞窟には陸軍船舶部隊「暁部隊」による特攻用のベニヤづくりの筏が隠されていた。ベニヤづくりの筏は自動車のエンジンを搭載し、爆雷を積んでおり、周防灘に入ってきた敵艦への特攻が任務であったという。また、この蕪島の近くには壇ノ浦の戦いの際に海に⾝を投げた平家の侍大将、能登守教経の妻の水死体が流れ着いたという平家ゆかりの神社もあり、 男たちは平家蟹に、⼥官たちは河童となって「海の下に都をつくった」という言い伝えや、とある集落には平家の落⼈伝説も残るという。鞍馬天狗→源義経→源平合戦→壇ノ浦の戦いというようにシナプスが次々と刺激されて浮かび上がる連鎖的なイメージの爆発は、まさにこの関門海峡というおびただしい人生ドラマを呑み込んできた「場所」の地霊(ゲニウス・ロキ)を立ち上らせるかのような迫力を持ってせまる。
浮かび上がる植民地主義の支配構造とジェンダー問題
第二部後半ではモーション・センサーをつけたパフォーマーが登場し、スクリーンのアバターが連動を始めることで、「操る/操られる」という関係性が更なる入れ子構造で照射される。これを考えるとき、近代化のなかで最も重要な「世界商品」であった砂糖の産地・台湾が、現在のグローバルな情報科学技術の世界のなかで半導体という現代の「世界商品」生産を担っていること、また最近TSMCの工場が熊本に建設された出来事に象徴される「生産者」「生産地」としての日台の立場の逆転など、過去から現在、そして未来へ留まることを知らぬ技術発展のなかで「生きる/生かされる」台湾と日本のわたしたち自身について深く考えさせられる。「第二次世界大戦の正負について語ることがこの作品の目的ではない」と言うアーティストは、複雑なレイヤーの積み重なる歴史のはざま、そして地理的にも東西冷戦を経て今は米中という大国のはざまを生きる台湾(中華民国台湾)にとり、世界で生き残っていく可能性を技術の進歩をもって切り拓いていくことは、いわば「台湾人の宿命」とも言っている。植民構造や植民意識を解体して乗り越え(解殖/脱殖民化)、主体的に自分たちの歴史を積み重ねていこうという概念は近年台湾アートの世界でも根付いていっており、これを「重建臺灣藝術史」(台湾の芸術史を改めて構築する)とよぶ。
もうひとつ、この作品を観て自分自身のジェンダーに関する問題意識が浮き彫りになったことも指摘しておきたい。戦争や産業の発展は歴史的にみて主に男性社会によって支えられてき、伝統芸能と呼ばれるものも同様である。封建的な社会のもと、支配下におかれた女性たちは数々の物語のなかで「魔物になる」ことによって社会に仕返しをし、鬼となることでナラティブのなかでだけ「ジェンダー平等」を実現することを許されてきた。これは台湾においても、日本においても共通する。台湾華語で「下海」とは性産業で生計を立てることをも意味する。具体的に海に身を投げた、つまり「下海」した平家の女官たちのなかである者は一命をとりとめ、下関の遊郭で一生を終えたという説も下関には伝わる一方で、河童となって海の下に河童の王国を築いた話は示唆的である。この作品においても「支配/被支配」のそうした不均衡が、植民の象徴と共に女性のパフォーマーと3Dアバターの組み合わせによって表れでており、とりわけ、パフォーマーが自身の身体につけられたモーションキャプチャーのセンサーを苦しみながら取り外すところは、現在の台湾で盛り上がっている #MeTooといったジェンダー平等運動を思い起こさずにはいられない。アーティストに質問したところ、ジェンダーについては特に意図したところではなかったようだが、植民地主義という構造を描いたことが結果的に現代にまで横たわるジェンダーと社会権力の不均衡の問題も描きだしていることは一考に値するだろう。
ところで実は、筆者は山口県出身ではあるが、幼稚園入学前の一時期を祖父母の住む門司の大里で暮らしたことがあるし、長期休暇はいつも門司の祖父母のもとで過ごしていた。門司の大里(だいり)という名称は、安徳天皇の仮住まいである内裏(だいり)があったことからきたとも聞く。そうして筆者はいま台湾に住み、台湾社会や文化を中心に執筆活動をしている。そんなわけで、 今回の展覧会で門司大里よりいつも見ていた「戸ノ上山」の独特の稜線をも発見し、じぶん自身のこれまで生きてきた時空と作品が交差するような感じを覚えた。とても不思議で奇妙な観覧体験であった。
YCAMスタッフとアーティストの協働体制
そんな感覚をもたらしてくれた今回の作品の完成がYCAMとの協働であってこそのものであり、それぞれ異なる制作やジャンルで活躍してきた台湾のアーティスト3人のさまざまな要望を、キュレーターの吉﨑和彦をはじめYCAMスタッフが見事に形にしていたことの意義深さも指摘しておきたい。それはまた、「地域」「場所」にこだわってきたYCAMの思想が、海外のアーティストも含め多様な想像力を具体化する可能性と信頼性をもっていること、および、それを受け取ることのできる観客を20年という時間を通して地域でも、また国際的にも育てていることの証であろうと思う。
許家維は「YCAMのスタッフは皆ひとりひとりがそもそもアーティストである」と評したが、まさにその通りで、例えば今回の制作にテクニカル・ディレクターのひとりとして参加した映像エンジニアの大脇理智は、1999年よりアーティストグループ「ダムタイプ」のメンバーとして「memorandum」などのツアー公演に参加し、個人でもインスタレーションやパフォーマンス作品を多数発表してきた。大脇と機会があって個人的に話をした際、《浪のしたにも都のさぶらふぞ》のパフォーマーに連動するアバターの「鬼女」とは安徳天皇の母「平徳子」ではないかと、自身の解釈を話してくれた。『平家物語』によれば、平徳子は二位殿が安徳天皇を抱いて海に身を投げたのを見て、自身も体を温めるのに使う焼き石と硯を左右のふところに入れて海に身を投げた。のちに、源氏方の侍が海でこいだ熊手に髪の毛を引っ掛けられて、徳子は一命をとりとめる。パフォーマーが苦しみながら身体のモーションキャプチャーを外すところに、歴史的な言い伝えを重ねることができると大脇はいう。そうした作品解釈の一つひとつに、分野に跨って高い技術やアイデアをもっているYCAMスタッフそれぞれがアクターとして台湾アーティストらと有機的に繋がり、時間と場所と想像力を交換しながら作品を完成させたことがイメージできる。多様な領域・分野の人々が協働するクロスオーバー的な動きが近年の台湾カルチャーの特徴であり面白味であるが、そうした現代の台湾アートの特徴を、公共施設でありながら特殊な「在り方」をこの20年探ってきた同施設だからこそ、ここまで実現できたのではないか。そうした意味でも今作はYCAM設立20周年に相応しい作品だと思う。
作品の最後の仕掛けでは、台湾の砂糖から精製されたアルコールであるものが動く。このアルコールを作るために、これまでゲノム解析とフィールドワークなどを合わせて展覧会を作ってきた「バイオラボ」も持つYCAMでは酒造免許も取得したらしい。その「燃料」でなにが動くのか?
ぜひともこの夏、YCAMに足を運んで皆さんの目で確かめてみてほしい。
許家維+張碩尹+鄭先喻「浪のしたにも都のさぶらふぞ」
会期:2023年6月3日(土)〜9月3日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM] スタジオA
(山口県山口市中園町7-7)