フォーカス
芸術とカネ──経済不況に立ち向かうアートフェア
木村浩之
2009年05月01日号
スイス銀行神話の崩壊
スイスの銀行と言えば、「マネー・ローンダリング」やマンガ『ゴルゴ13』での金銭受け取り場所のイメージが強いかもしれない。いわゆる「秘密口座」を持てるという銀行守秘義務があることで有名なのである。これが小国スイスの銀行業の独自性を支えてきたといっても過言ではない。
しかし現在、この伝統が失われようとしている。
それは主にこの世界不況の発端の国であるアメリカからのプレッシャーによっている。アメリカ司法省は、UBS銀行がアメリカの富裕層2万人の約200億ドル(約1兆8,700億円)に上る脱税を助けたとして、2008年6月以来告訴していた。もちろんその失われた金を取り返したいために、不況どん底の今になって訴えてきたのだ。
スイス国内では、文書偽造などに関わらない限り刑事罰を受ける「脱税」とみなされないため、個人資産を国家の管理下におきたい日米を含む諸外国から見ると「顧客脱税ほう助」をしているとされるのだ。したがって、まさにこの制度の差のためにスイス銀行に口座をもっていた外国人たちにしてみると、これでわざわざスイスの銀行に口座を持つ価値がなくなるわけだ。
すでに250〜300人分の情報を米当局に渡したというから、新規顧客のみならず現顧客も逃がすことになるだろう。
不況に加えて、この打撃をうけ2009年3月、UBS銀行の株価は2年前の約10分の1の最低株価を記録している。
フェアのメインスポンサーである銀行本体が傾いているとなると、フェアにかかわる人たちに不安が広がるのは当然のことだ。
そんななか、ラディカルな建て直しのため、ラディカルにもライバル銀行(スイス2位)のクレディ・スイス銀行出身者から雇われた新CEOは、2009年4月15日の株主総会において、経費節減と規模縮小のため約9,000人の社員解雇と各種スポンサーシップの停止を発表した。
4月1日に上記のアートバンキング部門の閉鎖を突然発表していた直後だけに、アート業界へショックが直ちに広がったであろうことは想像に難くない。
アートは何のためにある
ちなみにUBS銀行はアート・バーゼルに加え、モントルー・ジャズフェスティバル、チューリヒ・オペラハウス、ロカルノ国際映画祭などの文化部門や、アリンギ・スイスヨットチーム(アメリカズカップ)、UBS日本ゴルフツアー選手権、チューリヒ国際陸上大会などのスポーツ部門のスポンサーなどを幅広く行なっている。
現在スポンサー停止が発表されているのはスイス小都市のヴィンタートゥーア美術館のみで、ほかはまだ知らされていないというが、UBSが初めて赤字に転落した去年(2008年)に、2011年迄のスポンサー契約のサインを貰っているというラッキーな(?)アート・バーゼルも、執行猶予が与えたれたというだけで危機に立たされていることには違いない。
もちろんバーゼルでは本会場のフェアのみならず、Design Miami(フェア会場別館)、Liste(例年の旧ビール醸造所で開催)、Swiss Art Awards(フェア会場別館)、Volta(再度場所変更して旧マーケットホールにて開催)、Scope(近隣住民ともめており新開催場所未定)、bâlelatina Hot Art(昨年と同じ港湾地帯倉庫)、the Solo Projekt(新)、Red Dot Art Fair(新)、Bridge Art Fair(新)、Art Asia(新)などそれぞれが40から100に至る数のギャラリーを抱えている別フェアが多く平行して行なわれており、名門「バーゼル」が簡単になくなるとも思えない。いや、なくならないと思いたい。
しかし、たとえ続いたとしても、UBS銀行の強いプッシュとスイス銀行口座のメリットをなくしてしまったら、さまざまな状況が変化せざるを得ないだろう。一地方都市バーゼルで開催されるフェアがここまでになった理由が今、暴かれる時なのかもしれない。
もちろんフェアがひとつやふたつなくなってもアート自体がなくなるわけではない。またアートを投機の対象として、つまりマネーゲームのコマとして利用していた一連のインベストメント集団が不況により引き下がることで、純にアートが好きなコレクターなどからは逆に喜ばれているという状況も考えられる。
ここで起こる変化がアートとアート業界に与える影響は、結局は「不況」という大きなカテゴリーに括られて、将来には何の痕跡も残さないのかもしれない。
しかし、この状況が多くの人にとって、アートが経済だけでなくいかに国際政治と密接に関わっているかを再認識させられる良い機会となり、今後正常な価格と意義を獲得していく契機となることを願うのみだ。森美術館でのUBSコレクション展のタイトル「アートは心のためにある Art is for the Spirit」にまではならなくとも。
アートフェア会場の増築コンペ勝利案のヘルツォーグ&ド・ムーロン(表参道のプラダ青山などを設計したバーゼルの設計事務所)案は、スイス流の「市民投票」などの面倒なプロセスを経て去年2008年に建設許可がおりたばかりだ。この建物は、アート業界よりももっと不況の波をかぶっている時計・宝飾フェア(「バーゼル・ワールド」)の会場でもある。
2012年完成予定とされている新生フェア建築が本当に完成するのかわからないが、その時までにこの伝統のアートフェアは果たしてどのようなかたちで、どのようなスポンサーの元で開催されることになるのか。一辺倒に標準化(アメリカ化)してしまうのではなく、バーゼルらしさの見える展開を期待したい。