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死者を呼び出し、送り返すこと──シンポジウム「21世紀にボイスを召還せよ!」レポート

福住廉(美術批評)

2009年12月15日号

 2009年11月15日、水戸芸術館コンサートホールATMで、国際シンポジウム「21世紀にボイスを召還せよ!」が開催された。同館現代美術ギャラリーで1月24日まで催されている「BEUYS IN JAPAN:ボイスがいた8日間」展の関連企画である。6時間を超える長大なシンポジウムは、まずヨーゼフ・ボイスとともに伴走してきたギャラリスト、レネ・ブロックと、ハンブルガー・バーンホフ美術館チーフ・キュレイターのオイゲン・ブルーメによる基調講演ではじまり、その後両名をまじえたパネル・ディスカッションが続いた。そのうち「消費社会とユートピア」をテーマとした前半は、モデレーターとして四方幸子(NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]特別学芸員)、パネリストに仲正昌樹(金沢大学教授)、毛利嘉孝(東京藝術大学准教授)、山本和弘(栃木県立美術館シニアキュレイター)が、そして「アクションは生きているか?」と題された後半は、モデレーターに木幡和枝(東京藝術大学教授)、パネリストとして椿昇(現代美術家)、白川昌生(現代美術家)、小田マサノリ/イルコモンズ(民族学者、アクティヴィスト、元・現代美術家)が、それぞれ登壇した。

だれが、何のために、ボイスを召還するのか?

 死者を現在に召還すること──。これは現代美術にかぎらず、映画や音楽、演劇や文学から現代思想や文化研究にいたるまで、あらゆる芸術表現や知的な営みにとっての基本的な作法である。むろん、その一時的なフレームアップによって死者の栄光を知らない世代にある種の教育的な効果を与えることはあるだろうし、そのことによって現在のメディア環境が瞬間的に潤うこともなくはないだろう。けれども、死者を召還することの本来の目的は、「消費」にではなく「生産」にある。つまり、現在の問題の所在を明確に把握するために有益だからこそ、そのために最適だと思われる死者が呼び出されるのである。ボイスにアクチュアリティが生まれるか否かは、召還する側の責任にかかっている。
 だからこそ、本シンポジウムにおける議論は、まず「誰が、何のために、ボイスを召還するのか?」(木幡和枝)という点を前提として共有しなければならなかった。こうした基本的な問いは、死者を現在に召還する際、だれもが当然わきまえるべき共通のルールともいえるが、本展の展示内容とあわせて考えてみると、ことのほか強調する必要性を痛感せざるを得ない。なぜなら本展の展示の重心は、私が見たかぎり、ボイスの現在的な意義を考えるというより、ボイス個人のカリスマ性を再生産するほうに大きく傾いていたからだ。
 1984年、西武美術館での個展にあわせて来日したボイスにクローズアップした本展は、各地での講演や対話集会に参加したボイスを記録した映像をはじめ、当時のボイスを受け入れた日本人アーティストや研究者へのインタビュー映像、そして日本人コレクターらが所有するボイスの作品などで構成されていた。だがその展示風景は、端的にいえば、美術館で作品を展示しているというより、むしろ博物館で資料を展示しているかのようだった。ボイスのサインが入ったモノの数々が「作品」として展示されている光景に、観覧者の多くは少なからず戸惑いを覚えたにちがいない。もちろん、それらがボイスのいう「拡大された芸術概念」の現われだといえなくもないが、それにしてもフェティッシュな物神崇拝の匂いを拭い去ることはなかなか難しい。
 極めつけの例が、東京芸大での対話集会に参加したボイスが黒板にチョークで書き記した筆跡を、アクリルケースで丸ごと覆った「作品」である。本来的に消される運命にあるチョークというメディウムを、後生大事に、丁寧に保存しているありさまは、芸能人のサインや皇族がお座りになった椅子などにある種の神聖性を感じながら一喜一憂してしまう、私たちの内に潜む卑しい根性と何ら変わるところがない。しかし、そうした神聖化が21世紀にボイスを召還するプロジェクトにとって必要不可欠なのか、大いに疑問である。私のようにボイスを直接的に知らない者にとって、その振る舞いは滑稽の極みにほかならないし、それはボイスの来日にはしゃいでいた日本人の恥ずかしさを際立たせてしまうばかりか、ボイスの思想をまっとうに学ぶことの障害にすらなりかねないからだ。
 ボイスを現在に召還すること──。その目的は、この世を生きる私たちが、現在のリアルな問題について考えるために、ボイスの思想から何かしらのヒントを得ることにある。そうでなければ、わざわざ呼び出したのに、一方的に消費するだけして、たちまちあの世に送り返すことに終わってしまうだろう。それでは当人にとっても面白くもなんともないにちがいない。死者にとって喜びとなる生産物を贈与してはじめて、召還はフェアなものになるはずだ。


「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」、2009年
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景

ネグリと語ることができなかった世代にとってのボイス

 では、そのリアルな問題とは、いったい何か? しかし、この問いのなかに、すでにボイスの思想が滑り込んでいる。というのも、ボイスの芸術は結局のところ「考えろ、考えろというメッセージ」(小田マサノリ/イルコモンズ)に尽きるのであり、それは要するに「答えではなく問い」だからだ。多くの現代美術や現代思想に、私たちは社会問題を解決するための回答を期待しがちだが、ボイスは大衆が待ち望む処方箋を提示したわけではなかった。本展で発表された記録映像や当時の資料を読み返してみると、むしろ、その問題について考えることそのものを人びとに何度も何度もアピールしていたのがわかる。シンポジウムの質疑応答で、ボイスを知らない世代にコメントを求められたオイゲン・ブルーメが「(本展で発表されている)30時間に及ぶ映像を見て、ボイスの声を聞いてほしい。そして、いまの自分にとって何が必要なのか、何が大切なのか、いまの状況のなかで何を活かすことができるのか、それを自分なりに考えてほしい」と発言したのも、問題提起によって人びとの思考を刺激してきたボイスと同じ構えにもとづいているのは明らかだ。
 「それでは」というわけで、シンポジウムでのディスカッションを聞きながら、私も自分なりに考えてみた。21世紀にボイスを召還するとき、いったい何を問題とするべきなのだろうか。この25年あまりのあいだで変化してしまった条件を踏まえたうえで、ボイスの思想と芸術にはどんな今日的な意義があるのだろうか。
 まず押さえなければならないのが、社会的状況の変化である。ボイスが来日した80年代とゼロ年代が終わりを迎えようとしている現在とでは、芸術や思想の現場を取り巻く社会的文脈が大きく異なっているからだ。ひとつは、ネット空間と現実社会の矛盾。シンポジウムにおいて、深刻な問題をいくつも抱えている世界の現実にたいして、椿昇はネット空間におけるグローバルな芸術表現にある種の可能性を見出す発言をしていたが★1、白川昌生はその可能性を認めつつも、しかしその一方で、日々の暮らしや労働はローカルな場に依然として拘束されており、「その土地で何とかやっていくしかない」という厳然たる事実を報告した。シャッター通りと化した商店街や無人駅などが点在する群馬でしぶとく美術活動を繰り広げている白川ならではの鋭い指摘だった。頭脳の中は果てしなくどこまでも拡張していけるのに、身体そのものはその土地に根づくほかない。この両義性はたんなる比喩ではなく、いま現在の私たちが抱える身体的なリアリティそのものである。たとえばイタリアの哲学者、アントニオ・ネグリが過去の逮捕歴を理由として日本への入国を拒否された出来事は記憶に新しいが、25年前の学生たちはボイスと語ることができたし、生意気に噛みつくことすらできた。しかし、21世紀の学生たちはネグリについてじつに多くの情報を共有して並々ならぬ関心を寄せているにもかかわらず、本人と語ることもできなければ肉声や身ぶりを目撃することすら叶わない。安全性の政治学を名目としながら、人びとの移動する自由を徹底的に管理しているのが、ボイスの時代とは異なる現在の社会的現実にほかならない。
 もうひとつの決定的な変化は、ボイスが提唱した「だれもが芸術家である」という名文句が、現代社会においてはある程度実現しているように見えるという事態である。シンポジウムで毛利嘉孝はボイスとウォーホルを比較しながら、セゾン文化に代表される80年代以後、「だれもがクリエイターであることを迫られる」文化的背景が成立したことを論じたが、その傾向はネット環境が大衆化され、ありとあらゆる人びとが映像文化や文字表現に勤しんでいる現状を省みれば一目瞭然であるように、ゼロ年代後半の現在まで引き続き持続しているといえるだろう。かつてのマジョリティは文化の消費者だったが、いまや文化の生産者のほうが多数派である。こうした文化的状況に、ボイスの「だれもが芸術家である」というスローガンは、これまでにないほど、うまく合致しているように思われる。けれども見方を変えれば、だれもが芸術家ではありえない社会状況だったからこそ、その言葉の衝撃は大きかったと考えられるが、この言葉の意味内容が現実的な裏づけを獲得してしまったいま、はたしてボイスのメッセージがどれだけ批判的な力を持ちえているのか、つまり挑発されるに値する魅力的な言葉としてどれだけ私たちの脳裏に響くのか、甚だ疑わしい。


左から、仲正昌樹氏、毛利嘉孝氏、山本和弘氏

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