2021年07月15日号
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フォーカス

シグマー・ポルケ《グロスミュンスター大聖堂のステンドグラス》

木村浩之

2010年01月15日号

 ボッティチェルリの「春」(1477)もニーチェによる神の死亡宣告(1885)も、精神生活・芸術と神を切離そうとする歴代の試みはどれも成功せず、それまでの長い歴史と同様に芸術と宗教は表裏一体の関係のままであり、芸術のなかで『神』は存在感を失うことなく台頭しつづけてきた。それはデュシャンの《泉》(1917)を待ってやっと達成されることとなる。  それも束の間、ベルリンの壁崩壊以降、芸術と宗教は再び急接近しつつあるように思われる。その潮流の背景を考えてみたい。


北側面メインエントランス上部のステンドグラス、©2009 Sigmar Polke

ドイツ語圏のステンドグラスプロジェクト

 ケルンの大聖堂=ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richterドイツ、1932-)(2007)、ケルンのザンクト・アンドレアス教会=マルクス・リュペルツ(Marks Lüpertzドイツ、1941-、前デュッセルドルフ芸術アカデミー学長)(2008)、ナウムブルグの大聖堂=ネオ・ラウフ(Neo Rauchドイツ、1960-)(2007)、これらに代表されるように、欧州ドイツ語圏では教会ステンドグラスのプロジェクトが続いている。そして2009年10月、スイス・チューリヒの大聖堂(グロスミュンスター)では、シグマー・ポルケ(Sigmar Polkeドイツ、1941-)によるステンドグラスが公開された。
 グロスミュンスターのステンドグラスといえば、すでにアウグスト・ジャコメッティ(彫刻家アルベルト・ジャコメッティの父のいとこ)による祭壇の作品(1933)が知られているが、今回新たに制作されたのは側廊及び教会後方の計12面である。

 2006年3月に、アーティスト選考がコンペ形式により行なわれた。建築とは異なり、基本的にコミッションワークは例外であるアーティストらにとって、コンペという形式で選ばれる立場に置かれることは異例のことであったろう。自由であることが一つの20世紀芸術家のアイデンティティでもあったのだから。
 コンペに招待されたアーティストは、シルヴィ・ドゥフラウイ(Sylvie Defraoui スイス、1935-)、オラフー・エリアソン(Olafur Eliassonデンマーク、1967-)、カタリーナ・グローセ(Katharina Grosse ドイツ、1961-)、クリストフ・リューティマン(Christoph Ruetimann スイス、1955-)とシグマー・ポルケの5人だった。エリアソンのような大スターと、比較的知名度の低いローカルのアーティストが混在しているが、精鋭の審査員による人選であり、さぞかしエキサイティングな審査となったことだろう。ちなみに建築コンペの後と同様、提出作品の一般公開(展覧会)が行なわれたようだ。
 その審査員だが、デュッセルドルフ・クンストパラスト美術館ディレクターのベアト・ヴィスマー(Beat Wismer、1953-。元スイス・アーラウ美術館ディレクター。アーラウ在任中に建物をヘルツォーク&ド・ムーロンに増築させた)、『Parkett』誌共同編集者にして美術史家のジャクリーン・ブルクハルト(Jacqueline Burkhardt スイス、1947-。ハラルド・ゼーマンの後任としてノヴァルティス社の芸術コンサルタントを務める。ちなみにルネサンス史家ヤーコプ・ブルクハルトの末裔である)、アーティストのハンス・ダヌサー(Hans Danuser最近、ペーター・ズントーの写真集『Seeing Zumthor』を出した)などが名を連ねていた。この顔ぶれだけを見ても、凡庸で紋切り型の「宗教芸術」ではなく、コンテンポラリーな感性による作品が望まれていることは明らかだった。さらに、この審査員というだけでなく、コンペでの選択という方法自体にも期待が大きかった。
 そして選ばれたシグマー・ポルケの作品は、その期待を大きく上回るようなものであった。ステンドグラスの伝統的技法に忠実に則りつつも技術的革新を要求するガラス以外の物質を取り入れる斬新さを持ち合わせており、写真を画像下地に用いたり、中世の写本からスキャンした画像を大胆にコンピューター処理していたりと、一言で表わすなら宗教と伝統と現代技術が共存した芸術であった。


リマット川からの眺め、©Grossmuenster Zuerich

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