フォーカス
シグマー・ポルケ《グロスミュンスター大聖堂のステンドグラス》
木村浩之
2010年01月15日号
見る者を誘う多様な趣
ポルケは鉛(ステイン)で縁取りしてゆく伝統的・職人的手法に執拗にこだわった。それはポルケの学生時代からの友人であり同じケルン在住のリヒターがケルン大聖堂で接着剤などの現代的なインスタントな方法を使用したことと対照的だ。それは、ガラス職人の修業を積んだことのあるポルケならではの工程であり、また彼の今までの製作活動の延長線上にありつつ、歴史的教会建築内の作品という特殊条件にぴったりと見合ったものであったといえよう。実際の製造はチューリヒのステンドグラス職人ウルス・リッケンバッハ(Urs Rickenbach)率いるメーダー(Maeder)社の職人らが3年かけて取り組んでいるが、ポルケとはかなりの頻度で打ち合せを行ない、細かな技法に関して論じあったという。
作品は、7枚の瑪瑙(めのう)石のパネルと、5枚の旧約聖書のエピソードのパネルから成っている。
光を通すくらい極薄に切断された色とりどりの瑪瑙は、まるで色ガラスのように多彩でビビッドである。同系色をまとめたパネル、あらゆる色を集めたパネルなどの違いも目に楽しい。また石断面の有機的な形状は、何か別のものに見えてくるようでもあり、想像力をくすぐられるものだ。宗教とは何のかかわりもないように思えるが、目に見えないものが物質へと変節する過程、神の言葉が生まれる前の混沌へと思いを致すこともできよう。またパネルを通して差し込む透明感あふれる光と、教会内部の暗闇との対比は、天地創造─光あれとはじめに神がのたもうた瞬間の体現とも読めるだろうか。
一方、エピソードのパネルでは、あるものは大聖堂が建立された13世紀当時の細密画からサンプリングされた画像をコンピューターで拡大・回転・反転など加工した万華鏡のようであり、別のものは写真を用いた左右対称のだまし絵のようなものもあり、また別のものは断片化され交じりあい、総じて説明的というよりはオーナメント的で抽象的な印象を与えるものとなっている。
一見制作者が異なるかに思えるほど趣きが多様なこれらパネルは、見る者を誘い、身体的とも言える興味深い体験を与える。抽象的であるが故に見る者に想像の自由が与えられ、いつしか内省へと引き込まれる。教会堂の空間がさほど大きくなく、また作品にある程度近づくことができることから、制作の精度と作品の密度の高さに支えられ、全体として強い印象を生むものとなっている。
宗教と現代美術
スイス・チューリヒと言えば、キリスト教史においてはツヴィングリによる宗教改革の始まった場所ということで知られる。グロスミュンスターはまさにその中心的な役割を果たした場所であった。聖書に忠実に従うというツヴィングリの教えにより偶像崇拝の禁止が訴えられ、グロスミュンスターの十字架を含む一切の具象的エレメントが真っ先に取り除かれた歴史がある。ただ、具象のステンドグラスや建築装飾だけは例外で禁止されておらず、微妙な神学的境界線上にあるものであった。
実際、グロスミュンスターにおいてもアウグスト・ジャコメッティによる新約聖書からテーマをとったステンドグラス(1933)や、ツヴィングリの生涯を描いた扉(1935/1955)などが加えられている。数百メートル先に建つ聖母教会にも1970年にシャガールが新約聖書をモチーフにした半具象的なステンドグラスを作成しているとおり、20世紀に入ってからむしろ積極的な動きがあった。これらには、スイスが中立国だったことにより世界大戦や冷戦と直接関係なかったことが与えた影響も大きいだろうが、プロテスタンティズムということも無視出来ないのではないだろうか。偶像が基本的には禁止のプロテスタントの中心地において微妙な抽象と具象の境目を揺れるような豊熟な作品が多く生まれていることは興味深い。またそれは20世紀美術の流れとも大きくずれないものであることも注目に価する。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』(1905)においてマックス・ヴェーバーは(カトリックやルター派に比べ)プロテスタント的な禁欲が逆説的に資本主義に適した条件を生み出したというラディカルな論を提出した。この文脈に従ってこうは言えなくないだろうか──それに続く20世紀においては、プロテスタント的な合理主義が逆説的にアートにおいても推進的な精神となりえた、と。
だとすると、一方のケルン(カトリック)の2件やナウムブルグ(ルター派)が21世紀になって突然の連鎖反応のように動きはじめたことの背景には、教会側の変化があるのかもしれない。事実、カトリック・プロテスタントを問わず宗教離れが近年の大きな問題になっている。教会が「払い下げ」られ、劇場やコンサート会場、博物館、さらにはディスコなどへ転用されているケースも珍しくなく、即物的な面でも改革を余儀なくされているのだ。
また一方で、ドレスデンの聖母教会の伝統構法による大再建プロジェクト(1994-2005)などに代表されるように、東西ドイツ統合以降、主に旧東ドイツ圏において修復・再建プロジェクトが盛んに行なわれている(ケルン大聖堂は西側ではあったが、リヒターのプロジェクトは第二次大戦戦争で破損したステンドグラス部に入れてあった透明ガラスを置き換えるものであった)。
上記のようにリヒターのランダムに色配置が決められたステンドグラスを枢機卿が「むしろイスラム教モスクに似合うものだ」という大問題発言をしたことなどからもわかる通り(一部の)カトリックと現代美術の溝はまだまだ埋まらなさそうだが、今後一層、複数の神(宗教)が共存する社会となっていく現代において、宗教と芸術の関係がどのような展開を見せてくれるのか、見守ることにしたい。