フォーカス
建築ビエンナーレ──新しい出発
太田佳代子
2010年02月01日号
深圳・香港 都市/建築ビエンナーレ「都市を総動員する」
私にとって深圳・香港は2度目の建築ビエンナーレ体験である。1度目は2006年のヴェニス建築ビエンナーレで、AMOとして中近東都市リサーチ《The Gulf》(湾岸都市)を展示した。この年はリッキー・バーデットという都市論の論客がディレクターで、会場中に都市リサーチや都市写真が大氾濫、「都市表象」への欲望を消費し尽くした観があった。それは建築・都市展というものへの欲求不満への反動でもあったと思うが、しかし何か新しい回路が開かれたわけでもなかった。 深圳・香港のビエンナーレは2005年が初年、今回が第3回目である。中国人映像作家の欧宁(オウ・ニン)が二都市合同運営を掲げてディレクターに就任したのが、まず面白いと思った。同じ中国に属するお隣同士の都市であるとはいえ、かたや中国の共産主義、かたや民主主義体制であり、未だに二都市のあいだには国境がある。異なる政治体制下にある二都市がビエンナーレのために手を組んでひとつになるというなら、キュレーターとして参加する価値があるに違いないと。 だがそれ以上に共鳴したのは、「都市を動員する」という全体テーマである。メイン会場のブースを出て、都市空間の中に飛び出そう!──なるほど。都市と建築の展覧会なのだから、美術館のように壁で区分けされた屋内空間に閉じこもる理由はない。都市空間を展示会場に見立て、市民をそこに積極的に巻き込んでいくことによってビエンナーレのパラダイム・シフトを敢行できれば、成果は大きいだろう。 皮肉にも仕事に就いた後で分かったのだが、欧宁のいう「動員」には実は中国社会独特の意味も込められていた。権力機構によって都市から下放され、強制移動されてきた人民が、このイベントによって都市を自分たちの手中に取り戻す──そんな政治的シナリオが重ねられていたのである。私はビエンナーレを中国社会に活用する発想に感心するとともに、それを受け入れた実験都市・深圳の懐の深さをも思った。事実、このビエンナーレには市民中央広場とその地下に広がる地下鉄通路用地、そして隣の都市公園という市の中心的かつ象徴的なパブリックスペースが、展示会場として提供されたのである。
建築ビエンナーレの未来──都市を取り込む新たな試み
誰でも行くことができる、あるいはいつも人が歩いている場所に展覧会が突如現われる。切符を買って見に行くのとパブリックスペースを動員するのとでは、明らかに参加者の層も異なるし、作品の作り方も体験のしかたも変わってくる。残念ながら、こうして開かれた可能性が今回のビエンナーレで十分に試されたとは言えないのだが、建築ビエンナーレのひとつの可能性を示してくれたのは確かだ。 展覧会が「街に出る」ことの利点は、表象システムの限界から解放されることである。都市空間が展示スペースとして与えられれば、参加者が建築家の場合、建築ないし都市空間そのものをそこにつくるなり演出することに課題はシフトする。建築家は自らの作品を紹介するのでなく、その建築思考能力を、与えられた都市空間に役立てることになるわけだ。当然、まわりの状況との関係を考えないわけにはいかないので、彼らは現地との交流を深めるだろう。こうして作品をつくる側の流儀も表現内容もガラッと変わることになる。 主催する都市側から見れば、建築ビエンナーレを通して世界からやって来る建築家やアーティストが、1、2カ月の会期中、都市の中に新しい、おそらくは変則的な空間と体験をもたらすことになる。つまり、都市空間の一部を短期間流動化させることによって、従来の行政システムでは上ってこないようなアイデアを特例的に実験させることができるわけだ。こう考えていけば、建築家にとって、建築ビエンナーレへの参加は実質的に「短期間の限定的かつ変則的な設計コミッション」となることも考えられるだろう。 いずれにせよ、こうした建築ビエンナーレの導入によって、都市はアートビエンナーレとは異なる別のシナリオを描けるようになるのではないかと思う。一言でいえばビエンナーレという短期的プログラムの実施によって、都市空間や市民生活に長期的なストックを加えていくシステムを同時に実現しうる、というシナリオである。──年頭につらつらこんなことを思い描いていた。