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ドーハ・イスラム美術館

太田佳代子

2010年06月01日号

 中東の国カタールで、心に残る建築に出会った。建築家I・M・ペイが設計した新しい国家的シンボル、《イスラム美術館》である。所蔵品も建築も世界最高峰のものでなくてはならなかったこの美術館、少なくとも建築に関しては望み通りの出来と言えるだろう。


すでにドーハのランドマークとなったイスラム美術館へは、ヤシの木の「参道」を歩いてアプローチする
© Museum of Islamic Art

戦略としての開放性

 アルジャジーラTV局を持つペルシャ湾岸のカタールは、豊富な天然ガスの恵みによって、開かれた文化政策を積極的に進めている国だ。この国策の開放性は、たとえば国家の威信をかけたこのイスラム美術館の建物に権威的な威圧感がまるでないこと、あるいは内部の空間構成が明快で、建物のどこにいても開放感を感じることなど、この美術館の建築としてのクオリティーにも表われている。ペイは施主である国王・王妃の理想をさまざまなレベルで実現した、というのが見ての実感だ。
 建築のどこが一体すばらしいのか、それは一連の体験を作り出す装置として話せば分かりやすいだろう。
 ドーハの街は半円形の湾のまわりに広がっていて、弧を描く湾岸道路が街の幹線になっている。この湾岸道路のほぼ真ん中から湾に突き出すように、美術館は建っている。車中から見ると大きな船にも見える。そばに並ぶ古い大きな帆船たちの仲間でもあるような、穏やかな佇まいだ。
 湾岸道路から車を降り、ヤシの木の長いアプローチを歩いて入口を目指すが、そこからの見晴らしに一瞬足を捕われる。えんえんと続く美しい砂浜、そしてかつては真珠採りの船で賑わった、風情ある古い港。ドーハの風光明媚を独り占めするよう設定されたアプローチが、待ち受ける時間への期待を高める。
 ベージュ色の石灰岩に覆われた建物は、それ自体が丹念にクラフトワークされた彫刻品のようだ。正五角形の厚い板を重ねた幾何学的な構成は、カイロにある9世紀の回教寺院にヒントを得たものと言われるが、これで中にドームを作り出している。強烈な砂漠の太陽光線を浴びた建物は、面取りによって影の平面を作り出し、マッスの重圧感は落とされる。


砂漠の太陽を受けて光と影の綾をつくりだす、幾何学立体の建物
© Museum of Islamic Art

 中に入ると、一転して広大なアトリウム空間が広がっている。入口のまっすぐ奥は、床から天井まで続く巨大なガラス壁。その先には、穏やかな湾の青色と、湾の対岸に並ぶセントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)の高層ビル群が、蜃気楼のように浮かんでいる。
 暗い展示室で長い時間を費やす観客に、このガラス壁は心理的な開放感や和みをもたらす貴重な存在だ。と同時に、観客を国の近代化を象徴するCBDと視覚的に繋ぐ媒体にもなっている。対岸の景観を建築の重要な「一手」として使う手腕には、やっぱり「うまい!」と唸るしかない。その対岸に並ぶのがCBDの高層ビル群、という設定はしかし、施主(国王)によるものだ。というのも、この美術館の敷地は、湾のこの地点をわざわざ埋め立てて作られたものだからだ。イスラム圏における文化大国の座を確立したいカタールにとっては、この美術館にドーハ最高の場所を差し出すのは当然のことだったはずだ。


左:尖った構造柱と、太陽光を増幅させるよう球体レンズ状になったドーム。エンジニアリング技術をアートに昇華させるのは、すぐれた建築思考のたまもの
右:巨大なガラス壁の先にゆらめく湾とドーハ西岸のビジネス地区
ともに © Museum of Islamic Art

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