フォーカス

ドーハ・イスラム美術館

太田佳代子

2010年06月01日号

観客にやさしいハイテク展示

 体験に戻ろう。常設展示室は2階・3階で、アトリウムのまわりにリニアに並ぶ。2階がテーマ別展示、3階が時系列展示。各階、東・南・西にそれぞれ入口ドアがあり、どれもいつでも出入り自由だ。この美術館にいて安心感があるのは、巨大ガラス壁から差し込む光によってつねに自分の位置が分かり、しかもいつでも好きな場所に移動できるから、ではないかと思う。イスラム美術は非常に多元的で複雑と言われるけれども、このシンプルきわまりない平面構成は、少なくともイスラム美術の初心者にとっては福音である。  展示室の光度は極力落とされていて、暗い中に展示物だけが浮かんでいるかのようだ。展示室のデザインはペイがフランスから連れてきたジャン・ミシェル・ウィルモットで、ルーヴル宮殿以来のコンビ。展示物の「浮遊」はガラスの展示ケースに仕掛けがある。ガラスパネルの内側に目に見えないくらい小さな光ファイバーが取り付けられ、展示物を下側と側面から穏やかに照らしているのである。だから従来のスポットライトによるギラつきや、ガラスケースの光の反射がない。ケースの台座は観客がもたれ掛かれるよう、前にわずかに突き出した親切設計だ。


ウィルモット設計の展示ケース
© Lois Lammerhuber

耳で楽しむ仕掛けも

 さあ、肝心のコレクションは? エルミータジュ美術館、大英博物館、メトロポリタン美術館、ルーヴル美術館といった世界の巨頭と比肩するものと言われている、現代カタールの「真珠」とは? 国王・王妃が10年で集めさせたというこのコレクション、すべてがとても洗練された美意識によって選り抜かれ、構成されている、というのが全体の印象だ。そしてなにより、素晴らしい美術品の数々をちゃんと理解できたように感じられるようになっているのが有難いのだが、それを可能にしてくれるのがすぐれもののオーディオガイドである。
 このiPod風の装置にはさまざまな工夫がされている。タッチスクリーンで展示物ナンバーを入力すると2〜3分の解説が始まる。この解説が実にいい出来だ。案内人はアラブ訛りのブリティッシュ英語を話す老人で、独特の味と風格がある。話はわかりやすくてウィットがあり、展示物の使われていた、あるいは作られた情景がみるみる広がっていく。時々登場するイスラム美術の権威たちの話も面白い。大英博物館、オックスフォード大学、LACMAなどの学芸員、あるいはコレクターなどが、見ている展示物のプロの分析を披露してくれる。それにしても吹込みはたいへんな苦労だったに違いない。というのも、みな原稿を読まずに、そばで解説してくれているかのように自然に話しているからだ。装置のスクリーンには時折、展示物の裏側が映されたり、肉眼では見えにくい細密な文字や絵がズームアップされたりする。美術館体験の面白さを10倍アップしてくれるのが、このインタラクティブ装置だ。
 開かれた文化政策というのは、カタールの場合、知の力によって国の近代化を推し進めることを意味する。単なるオーディオガイドと思うなかれ、そこには世界の英知が集められ、イスラム美術の先端知識を誰もが楽しく共有できるツールとして開発されている。美術館の入館も無料、このオーディオガイドも無料。すべては、強力な知の政策のなせる技である。


イスラム美術館の秘宝のひとつ、イランの織物(16世紀)
撮影:Nicolas Ferrando

ドーハ・イスラム美術館 Museum of Islamic Arts

URL:http://www.mia.org.qa/english/index.html

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