フォーカス

すべては海続き──瀬戸内国際芸術祭

白坂由里(美術ライター)

2010年08月15日号

伝統的な島の文化や暮らしと融合するアート

 男木島は、女木島と合わせて半日ずつで回ることができるが、1日ゆっくりかけてもよさそうだ。豊玉姫神社を目指して鳥居をくぐり抜け、左回りに迷路のような路地を散策しよう。平地が少なくてあまり田畑が切り開けないため、漁を営む人々が港付近に集落を形成している。台湾の牛が背のびをした先に見えたのは、かつては米と引き換えに遠くの農家に貸し出された「借耕牛」だったかもしれない。


斜面を覆うように階段状に集落が広がる男木島。港にジャウメ・プレンサが構想した交流館《男木島の魂》が見える

 松本秋則が島の竹林から採取した竹を素材とした音のインスタレーションがとてもいい。点在する谷口智子のパイプ配管を用いた作品からはオルガンの音がし、遠くの人と会話もできるようだった。生と死をテーマにインスタレーションを展開する北山善夫作品では、中学生が自ら選んだ新聞記事をもとに描いた絵が展示された蔵が印象に残る。暗い事件も数多くあったが、現実と向き合い、島の風景を翳らせるものではなかった。
 谷山恭子は、集落の人々から集めたたらいやバケツなどを吊り下げ、決まった時間に井戸水やタンクから水が汲み上げられ、「夕立」が降るというインスタレーションを3カ所で展開。宿の主人から、かつては山の上の井戸まで水を汲みにいかねばならなかったという話を聞き、表には見えない島のことを作品化したという。仕組みを考え、設置する際にも島民やこえび隊の多大な協力があった。「目に見えないものを見えるようにするのがアートの役割。人の心を動かすきっかけになるような作品を、身体を動かし、人とのコミュニケーションを通じてつくっていきたいんです」と谷山は語る。
 「先に入っていた眞壁陸二さんたちが島の人々と打ち解けていたおかげ」だともいうが、今年の3年生の卒業をもって閉校する男木島中学校の運動会にも参加。中学校のウェブサイトには、学生手づくりの男木島ガイドが掲載されている。谷山は「男木島では女性も船に乗って漁を手伝っていたせいか、漁船にも快く乗せてくれた」と話していた。女性が活躍している集落は、アートにも開放的だと経験から筆者は思う。オンバ・ファクトリーのつくったカートを紹介してくれた年輩女性に、「いい島ですね」と言ったら、心からうれしそうだった。


左=松本秋則《音の風景(瀬戸内編)》。廃屋内に和紙を敷いた民家ではさまざまな音具が、馬小屋では羽をつけた音具がそれぞれ自動演奏
右=眞壁陸二《男木島 路地壁画プロジェクト Vallalley》 撮影=中村脩


左=中西中井《海と空と石垣の街》。石垣に8分の1サイズに縮小した家々
右=谷山恭子《雨の路地》。空地に道をつくり、瓦を敷いた。たらいなどに空けた穴から「夕立」が降り出すと、島民が水について語った瓦の文字が浮かび上がる
(特記以外、筆者撮影)

 だが、人口200人ほどの島には複数のコミュニティがあり、やはり全員が芸術祭に賛同しているわけではなさそうだ。道すがら、不満を漏らす声も聞いた。一方で、島に自信を持ち、案内板を工夫し、観客に声をかけて積極的に参加する人もいる。これは、十年前の越後妻有でもよく見た光景だ。直島でも同様だったろう。(もし失敗しても)変わろうとする人と、変わらぬことをよしとする人、どちらも量りにかけられるものではない。アートは、忘れられた昔ながらの風景も、近代産業の発展の裏に隠された歴史も映し出す。直島のアート活動は約20年、コメづくりプロジェクトは4年、北端にある工場が豊島の産業廃棄物処理を受け入れ、環境活動に力を入れてから7年がかかっている。芸術祭に対する議論は活発に行なう必要はあるが、時間を経ないと見えないこともある。
 また、「瀬戸内国際芸術祭」では北川フラム氏がディレクターを務めており、公募も含まれていても「大地の芸術祭」「水と土の芸術祭」「水都 大阪」と重複する作家が多いのには疑問もある。しかし、場所を移すと、若手作家が力をつけ、別の潮流が生まれつつあることもわかった。
 9月には、直島のまちなかを会場とするモノクロームサーカスの公演、10月には西沢立衛建築・内藤礼作品による「豊島美術館」もオープンする。また、大島のハンセン病回復者の療養施設「国立療養所 大島青松園」における「やさしい美術プロジェクト」の活動も公開されている。小豆島の農村歌舞伎など多くのイベントもある。足を運んでみると、それぞれの島の個性が生かされる道は、私たち一人ひとりにもつながっていることが実感されるだろう。

瀬戸内国際芸術祭

会期:2010年7月19日(月)〜10月31日(日)
会場:直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島+高松

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