フォーカス

「ドガ展」──躍動に注がれた情熱、省略される肉体

小澤京子

2010年11月15日号


エドガー・ドガ《画家の肖像》(1855年、オルセー美術館)
©RMN(Musée d'Orsay)/Hervé Lewandowski/distributed by AMF-DNPartcom

 この展覧会が提示するのは、形態を生み出す者としてのドガである。デッサン、油彩、パステル画、写真(陽画、陰画)、ブロンズ塑像と、さまざまなメディウムによる作品群が取り集められている。
 印象主義の画風により、オペラ座の踊り子たちの薄桃色の肢体と、幻想的な衣裳や舞台空間とを甘美に描き出した、いわば「口当たりのよい」画家──現在一般的に流通しているドガのイメージは、このようなものではないだろうか。この展覧会にも、お馴染みの主題を描いたタブローが、数多く出品されている。例えば、パステルという画材を駆使して描かれた《エトワール》(カタログ番号44)は、タイトル通りこの展覧会の花形を成す。スポットライトの下に歩み出て、今まさにアラベスクのポーズを取りつつある踊り子の、泡立つ波頭のようなチュチュと真珠色の肌は、まるでそれ自身で発光しているかのような、不思議な明るさを含んで描き出されている。


エドガー・ドガ《エトワール》(1876-77年、オルセー美術館)
©RMN(Musée d'Orsay)/Hervé Lewandowski/distributed by AMF-DNPartcom

しかしドガが、油彩やパステル以外のメディウムによる造形にも――微細な線の集合によって事物のフォルムを生成させる素描に、瞬間的な運動性と、光の効果の持続とを捕捉するための写真に、あるいは運動する身体の躍動を、素早く形態として確定させた塑像に――、並ならぬ情熱を注いでいたことも、本展は教えてくれるであろう。  展示は時系列に従って、3つの章から構成されている(第1章:古典主義からの出発、第2章:実験と革新の時代、第3章:綜合とさらなる展開)。ここからは、ドガの関心の中心が、歴史画やオールド・マスターの模写から当世風俗へ、さらにはアンティームな室内空間へと移行していったというプロットを、読み取ることができる。

 第1の展示室でまず眼を惹き付けられるのが、画業初期の歴史画のために準備された、入念な素描の連作である。後年のドガの、画材の物質性そのものを留めた荒粗な筆致や、ときに解剖学的な破綻の顕著な形態の歪曲からは、想像もつかないほど緻密で精確なデッサンなのだ。そこでは、狂いのない硬質な線が連鎖して、ひとつの形象を生み出している。
 この連作群は、タブロー作品《セミラミス》(完成作は今回の展覧会には出品されていない)のために準備された、数名の女性像の下絵である。しかしそこに描かれているのは、女ではなく、人間の身体でもなく、ただ流れる襞ばかりである。身体の個別性を担保する顔は省略されているか、後ろ向きに配されており、手足も描き込まれていない。服地の膨らみや皺、そして漣のように寄った衣紋が、下に存する肉体と、その運動とをただ暗示するのみである。

 おそらくドガにとって、「衣服」は重要なテーマのひとつであっただろう。それはこの画家においては、女性の身体を生成させる契機であった。身体の上に衣服が纏われるのではなく、むしろ衣服の物質的な感触、あるいは運動性の内に、半ば幻想の身体が現われ出るのである。と同時にドガは、衣服の持つ社会的な機能にも、自覚的であったように思われる。典型的な例が、《アマチュア騎手のレース──出走前》(出品番号18)であろう。布地の光沢まで入念に再現された、近景の騎手たちのコスチューム(遠望からも識別可能とするために、派手で大胆な色遣いが採られている)が目を惹くが、粗いストロークで塗られた遠景の観客たちにおいても、その所属する階級を衒示する絢爛な衣裳が、明確に描き分けられている。

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