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鳥光桃代/中村ケンゴ
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鳥光桃代(とりみつももよ) この記事は、中村ケンゴがnmp-international 9/25号artist file掲載のためにインタヴューしたものである。
鳥光桃代

鳥光桃代、後ろはrainer ganahl

 

現在ニューヨークを活動の拠点としている鳥光桃代。ニューヨーク生活でのパートナーである9カ国語を操るオーストリア人アーティスト、Rainer Ganahl と共に、昨年(98年)の夏の間日本に帰国していた彼女に中村ケンゴがインタヴューを行なった。
ケンゴ

鳥光さんは現在ニューヨーク在住ですが、そのきっかけになったのは96年の夏からアジア文化カウンシル(ASIAN CULUTURAL COUNCIL)の助成でPS1のインターナショナル・スタジオ・プログラムに参加するためにニューヨークに行ったことだと思うんだけど、これは97年の夏にはもう終了しているわけですよね。だから一度は日本にもどって来てたんでしょ?

Rainer

ビザのためにね(笑)。

鳥光

ビザが切れたというのもあるけど、東京で展覧会の予定もあったんですよ。それからその後すぐに"steirischer herbst 97"という展覧会に出品するためにオーストリアのグラーツに行ったんです。

ケンゴ

なるほど。"steirischer herbst 97"に出品したときの印象について教えてください。

鳥光

第一印象は女性のアーティストがすごく多かったこと。キュレーターも女性だったけれども、とくにフェミニズムとかね、女性重視みたいなことは言ってなかったし、自然に女性作家が多かったという感じ。彼女達の中には公然とガールフレンドを連れて来たりしている人もいたし……。別に私がそこで女性が多かったことについてことさら驚くこと自体がおかしいのかもしれないけれど。
作品はテキストを添えた写真とかコンピューターを使ったものとか、あとコンセプチャルなものも多かったかな。パフォーマンスをやったのは私を含めて3人くらいなんだけど、とにかく社会に向けて何かアクセスしていこうというような作品が多かった。会場は廃校になった小学校を使っていたからひとりひと部屋という感じ。
私は宮田(鳥光の代表作で、"宮田二郎"という名前の日本の一般的なサラリーマンのイメージを模したロボット。内蔵されたモーターでほふく前進する)を連れていって現地でパフォーマンスをして、そのドキュメントのビデオと宮田二郎自体を展示したインスタレーションを行ないました。


宮田二郎のパフォーマンス オーストリアのグラーツにて

宮田二郎のパフォーマンス
オーストリアのグラーツにて

 

 

ケンゴ

展覧会自体が社会というか、パブリックなものに向けてコミットしていく、みたいな作品が多かったと先ほど言ってたけれど。

鳥光

そう。私も宮田二郎の作品については、つくったばかりの頃は日本のサラリーマン云々、日本の経済高度成長期云々の話をよくしていたんだけれど、最近はメディアだったりパブリックなものに対して作品が何か起こすことでそれに関わる人達やメディアの反応の方に興味がいくようになってきたから、そういう意味では興味深い展覧会でしたね。

ケンゴ

アジアの作家が少なかったということですが、宮田二郎見ればわかるけど、もろアジアのオヤジ顔でしょ(笑)。ヨーロッパの人達にはどういう反応がありましたか?

鳥光

いや、それがドイツ語圏だから、なんかオバサンに叫ばれても何言ってんだかわからない(笑)。狂ってるとかいう意味の言葉だったらしいよ。それと半ズボンはいた二人組のじいちゃんに、酒おごるから二人でおいでと英語で誘われたけどパフォーマンス中に言われても……だった。ニューヨークだと何だどうしたって声かけくるんだけど、そういうのはあまり無くて、好奇心はあって人は集まって来るんだけど私とコミュニケートしようとする人は少なかった。

ケンゴ

それでまた東京にもどって来て、またニューヨークでのグループショウのために渡米したということですね。ということで現在はそのままニューヨークに住んでるわけだけど、向こうでの生活のパートナーでもあるRainerとはどこで知り合ったの?

鳥光

PS1のプログラムでニューヨークに滞在していたときの、PS1の友人のパーティですね。PS1のプログラムって、私がいた時は国内アーティスト(アメリカ)と外国人アーティストで使っているスタジオの建物が違ったんですね。結局海外からのアーティストは12人で、私と韓国人でアジア人2人、あとはベネズエラ、オーストラリア人がいて残り8人はヨーロッパだからパーティなんかで知り合うのも必然的にヨーロッパの人が多くなるんです。


宮田二郎のフェイク・コマーシャル・ショット

宮田二郎のフェイク・コマーシャル・ショット

 

 

ケンゴ

自身の活動について、東京にいたときとニューヨークにいる現在とどういうところが違いますか。

鳥光

うーん、私はニューヨークに行く直前まで新宿ゴールデン街のお店でカウンターに入って仕事してたから人のグチ聞くのとか好きだったのね(笑)。
まあ、半分趣味でやってたみたいなものなんだけど、アートと関係ない人達のいろいろな話を聞いてるのが大好きだったから。お客のオミズのお姉ちゃんの話とかね。彼女らには彼女らの、その世界にはその世界の流儀があって、ただでセックスしちゃだめだよとかいう話にもものすごく説得力があったりする。時にはどうしようもない情ない話だったりするんだけど。なんかアート関係者と話しているよりもそういう世界が好きだったりするから、ニューヨークに行くと同時にそういうものから急に切り替わっていきなりアートの人達、それも志の高い人が多いでしょ(笑)。それでそういう中でしか知り合いができにくい状態になってしまったからなかなか慣れなくて、行ったばかりの頃はかなりナーバスでしたよ。自分の作品のつくり方なんかも変わらざるを得ないし、そういう意味ではニューヨークという状況に中途半端にガーンとあたっちゃった感じがあって、もう少しちゃんとしたいなと思ってる。
ニューヨークに行くまえに住んでいた鶴川(東京の郊外の街)なんて庭があって、そこでヒマワリ育てたり、オーナーのオバサンがシイタケくれたり、朝方帰ってくるとタヌキ見ちゃったりするような環境で大好きだったんだけど……。

ケンゴ

それがいきなりマンハッタンだものね(笑)。

鳥光

そう。あまりにも違う(笑)。ただ、今日本にもどってきて3カ月くらい経ってしまったから、帰ったらまた慣れるのが大変かもしれない。

ケンゴ

宮田二郎のパフォーマンスについてさらに聞きたいんだけど、先ほどはオーストリアのグラーツでの話を聞きましたが、それ以外にも東京では丸の内、ニューヨークではウォール街とそれぞれパフォーマンスを行なっていますよね。

鳥光

私は宮田二郎のパフォーマンスを行なうときに、今は私は看護婦の格好をしてやってるんだけど、最初は私服を着て人ごみに紛れてやってたんですね。だけどそうすると宮田を本物だと思った人が心配して警察に電話してくれたりして、私も道路交通法違反とかで捕まりたくないから慌てて逃げたりしてたんですが(笑)、最近は当事者がいるっていうことを表わすために看護婦の格好をしているんです。何故看護婦かというと記号としてもわかりやすいし、実際作品をケアしているわけだから。ニューヨークでは「男のファンタジーなわけでしょ」とか言われたりしてたけれどそう受け取ってもらってもいいし、あまりこっちから規定はしていません。

ケンゴ

丸の内での反応は?

鳥光

やっぱり見て見ぬふりというか……。新宿の地下街とか銀座だとワサワサと人が寄ってきて交通の邪魔とかになったりするんだけど、まあその分リアクションがあるのね。丸の内の場合はない。

ケンゴ

丸の内にはそれこそ宮田二郎みたいなサラリーマンがたくさんいるわけですよね。

鳥光

やっぱり嫌な気分になるのかな(笑)。
ウォール街では失業者らしき人に「こういうロボットがいるから俺達に仕事がないんだ」とか言って怒られたり。東京でもいろんなところでやったけど、ニューヨークでもウォール街だけではなくて観光エリアでもやったから「これは何の広告ですか」って聞かれたり(笑)。一番まいったのは「あの看護婦もロボットか」という話があったらしいこと。雑誌に書かれてた。
宮田二郎という作品に関しては、さっきも言ったように日本の高度成長期とかその辺の話から始まっているわけだから、「日本のサラリーマンは」みたいな話になるのはしょうがないけれど、『Fortune』とかそういう経済誌にも宮田の写真を使って日本のサラリーマンはかわいそう、とかそういう記事がでて、日本の雑誌とはあまりに違うシリアスな受け止め方で面白いと思った。日本だとどうしてもエンターテインメントとして捕らえられるから。

ケンゴ

最新作「団地妻」について聞きたいんですが。
最近の、14歳の中学生が幼児を殺害したり、家族や学校やそれに関わる地域社会で起こっている不可解な事件ってほとんど都心から少し離れた郊外のマンションが並ぶニュータウンや住宅地が多いですよね。鳥光さんの興味もこの作品のモチーフにもなっているような郊外のニュータウンとかそういったところにあると思うんですが……、鳥光さん自身も郊外育ちでしょう。

鳥光

そうですね。でも私の船橋(東京の近郊、千葉県の一都市)の実家はもうそこで4代目になるのね。だから私のまわりの子ども達が新しくできた団地育ちで。だからは私は郊外育ちとはいえ、そういう人達を客観視する方だった。

ケンゴ

新興住宅地に引越してくるその土地の歴史を背負ってない子ども達とその家族。


「団地妻」

「団地妻」

 

 

鳥光

東京にもどっている間、今回の作品のためにそういったところに写真を撮りに行ったんだけど、たとえばカラオケボックスとかテニスしている人とかね、普通の都市郊外生活者、特に主婦の写真を撮りたかった。作品を見てもらえばわかるようにあの写真のフレームとか、ドーム状になってる街の模型とかね、あれは子どもの頃小学館の学習雑誌なんかに載ってたような、テレビからライトからなんかやたら丸っこいデザインになってたと思うんだけど、そういうあるべきはずだった未来を盛り込んだ形。あと人工的な緑にもすごく興味がある。だから作品の街の模型に必要以上にヤシの木とかソテツとか植え込んだりして(笑)。でも今回日本に帰ってきたときに、いくつかのニュータウンでほんとにヤシやソテツが植えてあって、面白いと思った。それはディズニーランド的な手法で現実感を消しているわけでしょう?
それから別に日本だけにこだわりがあるわけではなくて、アメリカも、そして東南アジアなんてもっと急激な近代化とそれに伴う人々の生活スタイルの無理やりな均一化といったような怖さを感じる。そういう意味でシンガポールとかね、おもしろいかもしれない。それにサイエンスフィクションに描かれている郊外のイメージとか、そういうのにも興味がありますね。

ケンゴ

東京というのはそういう意味で本当にヴァーチャルな都市空間だと思いますね。スピーカーから鳥のさえずりが聞えてきたり(笑)。


「団地妻」(部分)

「団地妻」(部分)

 

 

鳥光

マンハッタンで友達と何人かでいたときに、どこからか本当にわざとらしい鳥のさえずりが聞こえてきたのね。それで私、「あれってスピーカーから流れてきてるのかな」って言ったら、みんなすごく怪訝そうな顔して。そんなことあるわけないじゃないって言われた。近所の公園から聞こえてきたんだと思うんだけど。

ケンゴ

そう思ってしまうほど、僕達はそういう環境の中で育ってきたわけだ。
さて、今後もしばらくニューヨークで活動するってこと?

鳥光

ええ、しばらくはいると思います。
秋に展覧会の予定があったり、ロスでパフォーマンスすることも決まっているから。あとパブリックアートに関するプロジェクトもあるので。

ケンゴ

Rainerと鳥光さんはお互いの作品について話したりする?

Rainer

お互いの作品の話はあまりしませんね。
桃代はね、他人がいると全然作品つくれないしね(笑)。

鳥光

私の作品の企画書の翻訳とか、そういうことはお願いするけどね。

(東京、渋谷のカフェにて)
今後の予定

1998年9月から10月にかけて行なわれた個展が終わり、現在はソーホーのジャックティルトン画廊でグループ展(1/7-2/6)に出品中。最近は大きなスタジオも確保して本格的に制作活動を始動。99年3月には東京、青山のスパイラルにて行なわれる「スパイラルTV」というプロジェクトに出品の予定。6月から9月まではロンドンのテート・ギャラリーで展示があり、宮田二郎のパフォーマンス・ビデオ撮影が予定されている。また、9月にニューヨークに設置することになるパブリックアートの制作準備にも追われている。

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