|
ケンゴ
須田さんの作品というと、水戸芸術館にて発表された展示スペース全体を黄色にペイントした「イエロールーム」を始めとして、黄色がペイントされた絵画やオブジェ、インスタレーションが数多くありますが、黄色を使って作品をつくり始めたそもそものきっかけを教えてください。
須田
黄色を使った作品をつくり始めたのはだいたい92年くらいからなんですけれど、それまで、愛知芸術大学の大学院生の頃ですが、あまり色が無い暗い感じの作品をつくっていたんです。例えばビンの中にセメントとゴミや灰を入れて固めてからそれを割って取りだしたオブジェとか、ゴミ捨場から自転車のハンドルや鍋、傘などを拾ってきてそのアウトラインをかたどった部分に黒鉛や灰などを塗った平面作品など、残像的なイメージのものです。その後、大学院を出てからニューヨークに旅行に行ったんですね。それでいろいろな展覧会を見て刺激を受けたんですけど、ちょうどそのときMoMAでアド・ラインハルト展がやっていたんです。彼の作品というのは別に形が描かれているわけではなくて、赤や青、黒のシリーズといった大きな色面で描かれた絵画なんですが、その実物をまとまって見ることができたときに画面全体が何か訴えてくるような感じがあって非常に印象に残ったんです。画集で見てもよくわからないんですけどね。僕はもともと油絵を専攻していたんですが、いろんな色を塗り重ねていく印象派ぽい絵を描くのがあまり得意ではなかったんですよ。でもそのときに単色なんだけど深みがあるっていうか、シンプルな表現でもある種の精神性を感じさせるような作品に出会って、こういう見え方もあるんだなって思ったんです。そういったなかで日本にもどって来て再びオーソドックスな油絵を始めて、小さな実験的な作品をつくっていたんですが、なかなかいいイメージが湧いてこなくて……。それでそれまでとは違ったもっと明るい色を使ってみようと思ってそのとき初めて黄色っぽい色がでてきたんですね。
ケンゴ
黄という色がそういった実験的な作品のなかから偶然に現われたということですか。
須田
そうですね。ただ僕は絵画をやっていたので色にはこだわりがあったんですよ。それでいろいろと描いているうちに黄という色に魅かれていくなかで、その色について考えるようになったんです。黄色は視覚的にも強くて目立ちますよね。ポジティヴなイメージもある。危険を知らせるサインにも黄色がよく使われていますね。社会的なシステムのなかでの黄色を考えてみると、例えば道路にある信号の色は青だと進行可だし赤は停止ですよね。そしてその3つのトラフィックサインのなかで進行でも停止でもないあいまいな数秒間があってそれが黄色で表わされている。片や心理学的には幼いとか未熟といったそういうイメージもある。もちろん文化や国によって若干違いがあるだろうけどね。そうしたことを考えていくなかで黄という色のイメージがどんどん広がってきたんです。今言ったいくつかのことも含めていろいろ考えていくと、黄という色は具体的なイメージを示しにくく、そしてその色をまとわせることによってそのものの本質を遠ざける力がある気がするんです。 |
Another maps
oil on canvas 1993
|
|
|
ケンゴ
黄色を使った作品で初期に制作されていたのは反転された世界地図が描かれた絵画作品(左)ですね。
須田
ええ。黄色を使いたいというのが自分のなかに出てきて、そのなかでどういう形を描けばその色彩に負けない強いものになるかなといろいろとイメージをふくらませていたんですが、海外に出かけたりすると飛行機のなかで世界地図を見たりするでしょう。それで自分の移動する距離や位置を調べたりするじゃないですか。地図というのはながく見ても飽きないし、政治的な事柄も含めて様々な想像が広がるし、これはおもしろいなと。その形というのは自分の生きている世界を表しているともいえるし、形だけを取りだせばただの図像でしかないともいえる。 |
ケンゴ
その図像が反転しているというのは?
須田
世界は地図に置き換えられると平面になるでしょう。平面というのは表と裏がある。世界地図というのはその形だけを取り出せば文様のようにも見えるから、文字と違って反転させてもそれほど違和感はないでしょう?
ケンゴ
たしかにこの作品を見て、あ、世界地図かなと思っても、しばらく見ているとあれ、何か変だなというところがありますね。 |
須田
そういった反転されたイメージというのは限りなく近いけど限りなく遠いということなんです。例えば鏡に映った自分の顔を見たとするでしょう。それは反転しているわけですよね。それは自分の顔ではあるけれども、ある意味では全く違うものになっているともいえるわけです。先ほども言ったように平面には表と裏があって、その境界にはよくわからないあいまいな状態があるんではないかと。その境界に自分の作品がスッと入り込むことによって、人に何かを感じさせるものができるんではないかと思ったんですね。それで黄色と今言った要素が合わさった作品がでてきたんです。
ケンゴ
オブジェや文字を使った作品もありますね。
須田
この作品(右上から1番目)は1週間分の自分の読んだ新聞を船の形に折ってワックスを塗ったものの上に石膏でつくった球を乗せて絶対に浮かない状態になっています。それが床の上に置かれている。この船には僕が読んだ1週間分の様々な情報が入っていて上には非常にシンプルな球がズシンと置かれている。球に文字が描かれている作品(右2)にはこれをつくったときに存在した全ての国名が反転されて描かれています。この頃は何回か名古屋のギャラリーが僕の展覧会を開いてくれることになって、いろいろ湧いてきたアイデアが様々な作品になって広がってきたんです。地球儀をそのまま反転させてみたり(右3)、立方体のオブジェ(右4)を積み上げた作品は自分がヨーロッパを旅したときに撮った各国の街の写真を反転してプリントしたものを貼りつけています。 |
Sevendays Boats
newspaper, acrylic, wax, plaster 1992
Fact and Truth
plaster, colored pencil, panel 1993
Untitled (installation)
colored photocopy on paper, stylo foam,
cord, acrylic 1994
Yellow cubes (installation)
wood, acrylic, photograph 1993
|
|
|
"existence"
Installation 1995
|
|
|
ケンゴ
黄色に塗られたたくさんの木片に新聞に掲載された写真を貼りつけたものと、宇宙人が描かれたシルクスクリーンを展示したインスタレーション作品(左)がありますが。
須田
新聞の切り抜きが貼りつけてあるオブジェというのはTV欄に毎朝紹介されるTVドラマの一場面のカラー写真を切り抜いたものなんです。別に実際にその番組を見ることはないのですが、毎朝見るこのカラー写真はいつもとても気になってて(笑)。演じる人達の表情とかね、おもしろいんですよ。そしてそのTV欄の裏側のページを見ると、事故のニュースとか誰かが病気で死んだとかいろいろな記事がでている。新聞紙って薄いから油に浸したりすると裏が透けるでしょう。つくられたドラマの写真の裏側にいろんな記事の断片が見えるというのが非常におもしろいなと思って。それに対応しているのですが、宇宙人のドーロイングが書かれている作品はよくSF雑誌なんかにでている宇宙人を目撃したという人が描いた宇宙人の絵をサンプリングしたものなんです。宇宙人を見たという彼等の体験は非常に個人的なものですよね。 |
ケンゴ
ウソかもしれないけれどもとにかく彼等は「私は見た!こんなヤツだった!」って描いてるわけですよね(笑)。
須田
で、それはドローイングなわけです。今の僕たちの感覚でいくと絵というのはリアルな世界を描いたものではなくて抽象的なものですよね。写真や映像の方が、まあ、今はまたいろいろと変わってきたとはいえ絵に比べればリアルな情報だと考えている。
ケンゴ
にもかかわらずこのヘタクソな宇宙人を描いたドローイングの方が妙に真実味を持って我々に迫ってくる。
須田
そう。彼等は本当だと言っているけれどそれは絵で、それに対して新聞の方は写真なんだけどそれはつくられた世界、つまりウソだと。つまり個人が体験したあるイメージとメディアに流通するイメージというものを対比させることによって作品をつくろうとしたわけです。ウソのような本当の話、本当のようなウソの話、そういうことに興味があるんです。
|
ケンゴ
そしてついにはその作品が展示される空間全体が黄色に覆われてしまいますね(左)。
須田
次々と作品をつくっていくなかでバリエーションがどんどん増えてきちゃったんでちょっと収拾がつかなくなってきてしまて(笑)。もう少しシンプルな状態にしたいと思ったんです。そのときちょうど水戸芸術館のギャラリーで個展の話が来て……。このギャラリーの特徴としてはまず窓が無い。そしてメインのギャラリーからは少し奥まったところにあって静かなところにあるという印象がある。それでここに黄色で覆われた部屋をつくればまるで自分の作品に見る人達が吸い込まれていくような感じになるんじゃないかと思って……。 |
Yellow Room
水戸芸術館でのインスタレーション 1995
photo by Tsuyoshi Saito
|
|
|
ケンゴ
展覧会の解説にもありますが、作品を見るというより作品に見られているというイメ ージ。 |
Installation 1994
|
|
|
須田
そうです。ケルンのグループショウでも同じく自分の展示スペース全体を黄色にペイントした「イエロールーム」を発表していますが、ここも地下にある窓の無いギャラリーだし、一番奥のスペースだしね。ギャラリーの奥にいきなり強烈な色の部屋が出現しているという感じ。 |
ケンゴ
須田さんは僕も含めてそのケルンでのグループショウに出品するために1カ月ほどケルンを中心にドイツに滞在して様々なギャラリーや美術館、アーティストのスタジオを見てまわりましたが、どういった印象を持ちましたか。
須田
ケルンはそんなに大きな都市ではないのにもかかわらずアーティストもギャラリーも非常に多くて、すごくアートにやさしいというか、美術のある場所ですね。ベルリンは1週間ほどしかいなかったけれど、東ベルリンのミッテ区にはどんどんギャラリーが増えてるし、ベルリン・ビエンナーレなんかを見ても勢いを感じますね。数年後にはヨーロッパのコンテンポラリーアートをリードする街になるんじゃないかという予感もします。ただドイツといっても僕達はロンドンはどうだとか、ニューヨークはこうだとか、日本国内の美術館やメディアの情報でイメージをつくってしまいがちだけど、ケルンにもたくさんの外国人アーティストがいるし、いろんな層があると思います。やっぱりそれぞれポジションがあって作風もあるだろうから一概にドイツはどうだとか言えないでしょうね。とにかくケルンは本当に多くのアーティストが活動していていいですよ。見る人達も楽しんでるしね。 |
支配者のゆくえ 1997
"1" The Number (yes)
"1" The Number (No)
acrylic on canvas 1996
|
|
|
|
(ケルンのギャラリー、アーティクルにて)
|
|
|
|