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自然史博物館 ロンドン
ようやく小学館の仕事が一段落したので、逃げるようにそそくさとロンドンへ。アールズコートに宿をとり、まずは近くの自然史博物館から。ここへ来るのは15年ぶりだ。メインホールで出迎えてくれる恐竜の骨格標本は相変わらずだが、かつての古くさい標本棚が並ぶ19世紀的な博物館の雰囲気は一掃され、見て楽しい聞いてタメになる体験型のアミューズメントパークみたいになってしまった。ガキの遊び場じゃねーんだ。建築家アルフレッド・ウォーターハウスによるテラコッタの装飾レリーフもパネルで隠され、鉱物の陳列室などまるで安っぽい宝飾店のようだ。そのかわり、ミュージアムショップだけは格段に充実している。アメリカの悪しき影響か。[7月6日(木)]
ヴィクトリア&アルバート美術館 ロンドン
クロムウェル通りに面して自然史博物館と隣り合う巨大な工芸美術館。1851年のロンドン万博の落とし子で、大英帝国華やかなりし19世紀のヴィクトリア女王と、万博に尽力したその夫君アルバート公の名を取ったもの。しかしここもエンタテインメント志向が強まり、19世紀の面影が薄くなりつつある。19世紀に訪れたわけじゃないけど。でも、ミケランジェロの「ダヴィデ」や「モーゼ」、ローマのトラヤヌスのコロンなどが並ぶ石膏室はそのままだ。もちろんニセモノだけど、動かすのが大変だからね。[7月6日(木)]
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デミアン・ハースト
巨大な人体解剖模型作品(部分)
サーチ・ギャラリー カタログ
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サーチ・ギャラリー ロンドン
かのYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)を後押しするサーチ。ここは初めてなので、スイスコテージ駅でロンドン在住のジャーナリスト菅伸子さんと待ち合わせ、案内してもらう。ギャラリーは住宅街の一画にある倉庫を改装したものだが、内部は思ったよりも広い。「ANT NOISES」という展覧会を開催中。YBAの旗手デミアン・ハーストは、高さ6メートルの巨大な人体解剖模型を出品。この模型、さっき自然史博物館のショップで売っていた模型を拡大したものだ。ハリウッドで特撮の仕事をしていたというロン・メックは、ハイパーリアルな人体彫刻。というか、ハイパーリアリズムの彫刻よりずっと精巧で生々しく、本物っぽい。ただしスケールを変えている。ジェニー・サヴィルはデブのヌード画。ルシアン・フロイドを思わせる確かな技法だが、もっと肉のかたまりって感じだ。おなじみのものでは、レイチェル・ホワイトリードの椅子から型取った樹脂製の彫刻や、リチャード・ウィルソンの廃油のプール(これは常設)もある。けっこう楽しめた。[7月6日(木)]
大英博物館 ロンドン
広大な敷地の中央を占めていた図書館が移転し、現在改装工事中。でも主要な展示室は見られた。パルテノン神殿からひっぺがしてきたエルギン・マーブルズをはじめ、エジプト、メソポタミア、ギリシアの「不動産美術」を堪能。いちばん奥の最上階にある日本ギャラリーは初めて訪れたが、異文化をことさら強調してるみたいでなんかやーな気分。[7月7日(金)]
サー・ジョン・ソーン美術館 ロンドン
大英博物館から歩いて10分ほど、ここはマイ・フェイヴァリット・ミュージアム。18-19世紀の建築家ジョン・ソーンが、コレクションともども自邸を公開したもの。古代建築を石膏で型取った断片や絵画・彫刻が壁面を埋めつくし、あちこちに置かれた凸面鏡がそれを増殖させている。この飽くことなき収集癖、病的なまでの増殖欲、古代への情熱、見る喜びの追求、これぞミュージアムのお手本、といいたい。[7月7日(金)]
ナショナル・ギャラリー ロンドン
セインズベリー翼ができてから初の訪問。ここではルネサンスのイタリア絵画と17世紀オランダ絵画をゆっくり鑑賞しようと思ったのだが、「ENCOUNTERS」と題して、オールドマスターに触発された現代作家24人の作品展が開かれていた。バルテュスはプッサン、クレメンテはティツィアーノ、ルシアン・フロイドはシャルダン、キーファーはティントレット、オルデンバーグはフェルメール、タピエスはレンブラント、ビル・ヴィオラはボッシュと、なんとなくわかるような影響関係。それにしても、19世紀までを守備範囲とするナショナルギャラリーがこんな現代美術展を開くのは、明らかにテイトモダンを意識してのこと。このような「テイトモダン効果」はロンドン中の美術館に波及している。企画展を見てるうち閉館時間となり、古典に浸れなかった。くっそー。[7月7日(金)]
テイト・モダン ロンドン
夕刻、ようやくロンドンでは最後で最大の目的地テイト・モダンへ。金曜は夜10 時まで開いているというので、余裕の入館だ。こ、これはすごい。予想以上の美術館だ。とにかく建物がでかい。火力発電所を改装したという建物の半分は吹き抜けの空間だが、それでも展示空間は十分すぎるほどある。外から見ると客がどんどん吸い込まれていくのに、中に入るとそれほど混雑しているわけでもない。聞くところによると、開館2ヶ月で200万人も入ったらしい。この調子だと1年で1200万人!? 入場無料だから、ありえない話ではない。もっと驚いたのは、その展示。MoMAのようないわゆる進化論的美術史観を排し、部屋ごとに「近代生活」とか「知的物体」とか「はだかと裸体」(ケネス・クラークだね)とかテーマ別になっていて、モネとリチャード・ロング、マティスとマルレーネ・デュマスなんかを対照的に並べていたりする。MoMAが20世紀後半のアメリカ美術の推進力となり、ポンピドゥセンターが20世紀前半のフランス美術を歴史づけたとすれば、テイト・モダンは21世紀にYBAを権威づける巨大な装置になるかもしれない。アートウォーズ、大英帝国の逆襲。[7月7日(金)]
ボイマンス美術館 オランダ
昨日、ロンドンからアムステルダムに飛び、オランダ南部のロッテルダムに住む作家の岩井成昭のアパートに転がり込む。1週間ほどお世話になります。ロッテルダムは初めてだが、今回の目的であるオランダ・ベルギーの美術館を訪れるにはうってつけの場所。岩井くんもそのためにロッテルダムを選んだらしい。さっそく今日は小雨の降るなか、ロッテルダムの誇る(てゆーか美術館はここしかないんだけど)ボイマンス美術館へ。ほーあるある。ボッシュもブリューゲルも、17世紀オランダ・フランドル絵画もそれなりにそろってる。でも残念ながら、ここでいちばん見たかったファン・メーヘレンの手になるフェルメールの贋作が見当たらない。この美術館、かつてフェルメール作品として買った「エマオのキリスト」がメーヘレンの贋作とわかり、その教訓として贋作をそのまま展示していると聞いたのだが。いまは、美術館の半分は地元作家のヘタクソな現代美術で占められているので、そのせいでメーヘレンさまが倉庫にしまわれたのかも。だとしたら許せない。現代美術の横暴だ。近くのクンストハーレと自然博物館にも行くが、省略。[7月9日(日)]
「黄金時代の栄光」展 アムステルダム国立美術館 4/15〜9/17 オランダ
アヌスぢゃなかったアムステルダムへ。なんと、国立美術館では設立200周年を記念して、17世紀オランダ美術の特別展をやってるではないか。出品は絵画を中心とする200点で、うち半数は同館のコレクション。この展覧会からもれたコレクションが日本に貸し出され、「レンブラント、フェルメールとその時代展」として名古屋と東京を巡回しているわけだ。しかも本展以外に、約100点の版画・ドローイングを集めた関連展まで開かれている。8月には、小学館の『週刊美術館』でレンブラントを書かなければいけないぼくにとって、こんなに好都合なことはない。なにしろ「夜警」「テュルプ博士の解剖学講義」「ユダヤの花嫁」など、レンブラントの代表作が13点もそろってるのだから。結局1日中美術館にいた。帰りにデ・アペルの前を通ったら日本の現代美術展をやってたけど、パス。[7月10日(月)]
ルーベンスの家 ベルギー
今日は雨のなか、ベルギーのアントウェルペンへ。アントウェルペンといえばルーベンス。さっそくルーベンスの家から。町のど真ん中に位置する広大な庭つきの豪邸だ。ルーベンスといえば日本では大して人気ないけど、当時のヨーロッパではどれほどの影響力をもち、英雄視されていたかはこの家をたずねればわかる。だが、ここでいちばん見たかったのはルーベンスの生活でもその作品でもなく、ヴィレム・ファン・ハーヒトの「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」という絵。17世紀アントウェルペンの裕福なコレクターの収集室を描いたギャラリー画だ。50点近い画中画のなかにはルーベンスの作品も見られ、また、30人以上の登場人物のなかにもルーベンスの姿がある。うーん、そそられるなあ。[7月11日(火)]
アントウェルペン大聖堂 ベルギー
そこから5分ほど歩いたところの大聖堂には、ルーベンスのふたつの祭壇画「キリスト昇架」と「キリスト降架」がある。これは、イタリアから帰ったルーベンスがフランドルで確固たる地位を築いた記念碑的作品、というより、「フランダースの犬」のネロ少年が見たくて見たくてたまらなかった、そしてとうとう見た翌朝に死んでしまったという、あの絵なのだ。この大聖堂にはルーベンス以外にも、フランス・フランケン、オットー・ファン・フェーン、ムリーリョなど60点以上の美術品が収められている。[7月11日(火)]
アントウェルペン王立美術館 ベルギー
町の中心から少しはずれたところにあるこの王立美術館にも、ルーベンスはもちろん、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスなど15-17世紀のフランドル絵画がたっぷりある。しかしここもボイマンス美術館と同じく、展示室の半分は現代美術にあてがわれていた。現代美術館を建てたらどーだ!?[7月11日(火)]
ブリュージュ(ブルッヘ)市立美術館 ベルギー
昨日と打って変わって晴天。ベルギー西部のブリュージュへ行く。アントウェルペンがルーベンスのおかげで17世紀バロック絵画の一拠点になったとすれば、ブリュージュは15世紀フランドル絵画の中心地。ロッテルダムの駅で切符を買うとき、「ブリュージュ」といっても通じないので、「BRUGGE」と紙に書いた。どうやら「ブリュッヘ」に近い発音らしい。電車で約2時間半、ローデンバックの『死都ブリュージュ』を読みながら快適な旅。しかし『死都ブリュージュ』はあまり快適な小説ではなく、落ち込む。ブリュージュは中世の面影を残す美しい街だ。晴れより曇りのほうがふさわしい。まずは、ハンス・メムリンクの代表作品があるメムリンク美術館へ、行ってみたら改装工事のため閉まっていた。メムリンクの作品はブリュージュ(ブルッヘ)市立美術館に展示中と書いてあったので、そちらへ。おっと、ここにはファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母」があるではないか。なんと緻密な、なんと完璧な。「絵画芸術はこの作品をもって頂点に達してしまった。ブリュッヘ画派の歴史が始まったばかりのときにすでに頂点を極めてしまった」と、フロマンタンが『昔日の巨匠たち』で述べているとおりの印象だ。そればかりでなく、この作品によって絵画は遠くからながめるだけのものではなくなり、手に入れて愛でるフェティシズムの対象になったのではないか。メムリンクもファン・デル・ウェイデンもヘラルト・ダフィットも抱きつきたくなるような(抱きついてはいけません)傑作だが、ファン・エイクの高みには達していない。最初にして最高の油彩画家、それがファン・エイクだ。[7月12日(水)]
フルートフース美術館 ベルギー
15世紀の宮廷をそのまま公開した美術館。絵画、彫刻、工芸、楽器、うれしいことにギロチンや拷問器具まである。[7月12日(水)]
アレントハイス美術館 ベルギー
ここは地場産業であるレースの博物館。2階に上るとフランク・ブラングィン美術館になっていて、彼の版画や素描、コレクションなどが公開されている。ブラングィン? どこかで聞いたことのある名前だ。確か、西洋美術館の中核をなす松方コレクションの松方幸次郎がヨーロッパで作品を買うとき、そのアドバイザーを務めたのがブラングィンというイギリス人じゃなかったっけ。略年譜を読むと、はたしてそのとおりであった。彼はイギリス人としてブリュージュに生まれ、第1次大戦中ロンドンで松方と親交を結び、そのアドバイザー役になっている。こんなところで「Matsukata」の名前に出くわすとは。[7月12日(水)]
聖バーフ大聖堂 ベルギー
ブリュージュ(ブルッヘ)市立美術館のファン・エイクに触発されて、どうしてもゲント(ヘント)祭壇画を見たくなり、帰りにゲント(ヘント)で途中下車。めざす大聖堂には10年ほど前にも来たことがあるので、すぐにたどり着けると思ったら、似たような教会がたくさんあって迷ってしまった。地図もなければ表札も出てないし。結局、当てずっぽうで最初に入った教会がそれだった。勘というのもバカにならない。祭壇画はガラスに隔てられ照明を当てられているので、細部や色彩は正確に確認できない。それでもすばらしさは伝わってくる。なんという鮮やかさ、なんという細密描写。最初にして最高の油彩画家、それがファン・エイクだ。あ、これさっき書いたっけ。[7月12日(水)]
ブリュッセル王立美術館 ベルギー
小雨。王立美術館は駅のそば。でも間違えて近代美術のエントランスから入ってしまった。近代美術には用はねーんだよ(今回は)。古典美術の展示室へ移動。すげーすげー、ものすごい量だ。ロベール・カンパン、ディリク・バウツ、ペトルス・クリストゥス、ボッシュ、ピーテル・ブリューゲル(父)、名前を挙げたらキリがない。もちろんルーベンスもヨルダーンスもレンブラントもある。ギャラリー画だって何点かある。フェルメールを除いて、15-17世紀のフランドル・オランダ絵画がすべてそろってるといっていい。結局、今日はここで1日すごしてしまった。[7月13日(木)]
マウリッツハイス オランダ
晴れ。なんでオランダやベルギーの天気はこんなにコロコロ変わるんだ!? デン・ハーグへ。マウリッツハイスは小ぶりの美術館だが、レンブラント、フェルメールをはじめ17世紀オランダ絵画の名品がそろってる。ヘリット・ダウ、カレル・ファブリツィウス、ファン・ミーリスの渋い佳品もある。ヴィレム・ファン・ハーヒトの「カンパスペを描くアペレス」は、古代に舞台設定したギャラリー画。カンパスペはアレクサンドロス大王の愛人だが、大王は名匠アペレスに彼女をくれてやったという。気前のいい話ではないか。そういう話ではないか。フェルメールの「デルフトの眺望」はやっぱりすばらしい。同時代の風景画とはぜんぜん違うことがよくわかる。あれ? フェルメールの「青いターバンの少女」がもうあるぞ。これって7月2日まで大阪で展示されてたのに。早すぎないか?[7月14日(金)]
プリンセンホフ美術館 オランダ
「デルフトの眺望」を見てたらデルフトに行きたくなった。デルフトはハーグとロッテルダムのあいだにあるので、帰りに寄ってみる。マルクト広場を中心とする運河に囲まれた小さな街だ。フェルメールの家があった近くにはフェルメール小学校が建っている。プリンセンホフ美術館は、オランダの独立の父オラニエ公ヴィレムの宮廷だったところ。ここのコレクションは大阪の「フェルメールとその時代」展にもたくさん出ていた。小さなデルフト焼きを買ってから、街の南東端に行ってみる。そう、フェルメールが「デルフトの眺望」を描いたあの場所だ。ちょうど雲行きも絵のとおりだ。だが、予想はしていたが、運河には車道が走り、その向こうにも高い建物(といっても4〜5階程度だが)が建って、それらしき風景はまったく見えなかった。[7月14日(金)]
レンブラントの家 オランダ
ふたたびアヌステルダムへ。午後3時に国立美術館の前で岩井くんと待ち合わせたので、それまで「黄金時代の栄光」展をいまいちど堪能する。3時を過ぎても岩井くんが来ない。寒風吹きすさぶなか、ホットドックを食う。7月中旬だというのに、なんでこんなに寒いんだ!? 証券取引所に寄り道して遅れたという岩井くんと、レンブラントの家へ。3階建ての建物だが、独立した家ではないし、ルーベンスの家に比べればずっと見劣りする。しかもレンブラントは借金を返済できなくてこの家を手放したので、内部はあとからつくったもの。興味をそそったのは彼のコレクション陳列室。絵画や彫刻だけでなく、貝殻やウミガメなどの標本、衣装、小道具など、制作に使ったとおぼしきガラクタが並んでいて、まるで「ヴンダーカマー」なのだ。もちろんニセモノだけどね。それと、これはレンブラントに限らないが、ベッドが異様に小さい。オランダ人といえば大男が多いことで有名なのに、変ではないか。これに関して司馬遼太郎が『オランダ紀行』のなかでふたつの説を紹介している。ひとつは、当時の人は枕を重ねて斜めになって寝ていたという説、もうひとつは、17世紀にインドネシアを植民地にしてから背が伸びたという説。なるふぉど。オランダ最後の夜、岩井くんとギリシア料理を食べる。[7月15日(土)]
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美術の基礎問題6 美術館・博物館の成立まで−博覧会からミュージアムへ
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