Aug. 6, 1996 | Sep. 10, 1996 (a) |
Column Index - Aug. 27, 1996
a)【サイボーグ・エイジと舞踏の危機】 ……………………● 鴻 英良
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Donna Haraway and the Cyborg http://www.stg.brown.edu/ projects/hypertext/landow/ SSPCluster/Haraway.html
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サイボーグ宣言
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サイボーグ・エイジと舞踏の危機 ●鴻英良
サイボーグ化した身体
1985年、ダナ・ハラウェイは「サイボーグ宣言」を書き、有機的身体にたいして死を宣告したのだが、身体がますますサイボーグ化しつつある現在、ダナ・ハラウェイの宣告は、そのリアリティをいよいよつよく獲得しつつあるように思える。サイボーグはポストジェンダー・ワールドの産物である。あるいはサイボーグは、両性愛とも、前エディプス神話的共生とも、疎外なき労働とも関係がない、というような彼女の言葉は、スキゾフレニックな世界に身を委ねようではないかという勧めでもあるのだけれども、こうした世界観は、ダナ・ハラウェイ自身が語っているように、もちろん、ミシェル・フーコーの思想のフェミニズム的な反響である。 舞踏の現在
もしいま舞踏が語られなければならないとするならば、それはこのような文脈においてではないだろうか。舞踏もまたサイボーグ的なものともっとも遠いところにあると考えられているからである。そもそも舞踏というのは大地に足を踏みつけて舞う踊りのことをいうのだろう。そのことで土地の霊を呼び起こそうとしたものだったのだろう。そうしてグロトフスキのことばを借りれば、部族の精霊的エネルギーを呼び起こそうとした身振りにかかわるものだったのだろう。その意味で舞踏は、ポストモダン的というよりは、モダンとプレモダンの確執を肉体のうちに刻印しようとする試みであったのではないか。 舞踏的身体と舞踏の可能性
こうして舞踏的な身体もまた、自足することを拒絶しなければならないような場所に追いやられつつあるのだけれども、たとえば、コンクリートの壁に幾度もぶつかりながら、その度に鈍い音を立てていた田中泯の肉体のなかに、エネルギーの解放というような神話の終焉を見ることができるとするならば、肉体の自足的な統一性へと回収されない新たな肉体の表象の可能性を舞踏的表象の新たな展開のなかにも見ることができるかもしれないと思うのである。 [おおとり ひでなが/演劇批評]
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