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【欧州国際展の周辺から】

「たくさんのものが呼び出されている」
−内藤礼とのフランクフルトの5時間
森 司

内藤礼
Museum fur Moderne Kunst 撮影:Axel Schneider
数年ぶりにフランクフルトで会った内藤礼は、細身の華奢な躰いっぱいにアートのエネルギーを充満させ、全身からオーラを漂わせて現われた。以前のか弱い印象は消え、芯の強いタフなアーティストが確かにそこには居た。私自身はといえば、新作を観ることのできた幸運に酔いながら、久しぶりにゆっくりと彼女と話ができるMMK(フランクフルト美術館:Museum fur Moderne Kunst)のオープニング後のパーティーを楽しんでいた。
 内藤礼との会話は、たわいもない話題からヴェネツィア・ビエンナーレまでつきる事がなかった。しかし、なんと言っても話題の中心は、彼女の新作「たくさんのものが呼び出されている」に関してだった。ちょうど昨日、展覧会は関係者オープンしたばかりで、一般公開は明日7月28日からだが、8月17日が最終日のこの展覧会は、毎週水曜日〜日曜日、午前11時から午後5時まで、1時間に4人としても最大で900名程度の運の良かった鑑賞者が観ることができることになるだろう。話題はすでに広まり1週間先まで予約が埋まっていると聞いた。

以下は、作品を一般公開する前日、内藤礼との食事をしながらのおしゃべりと、私の作品体験を断片的に綴ってみたものである。

――私は、アートの力を表現する作品を制作したい。最近、本当にアートの力ってあると思っているの。森さんもそう思うでしょ。

内藤礼は(アートの力)と、毅然と口にした。
 彼女の作品は確かに、初期作品から社会的表現というよりは、内面的な精神世界を喚起させるものであった。6月15日から開催されている第47回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館に展示された彼女の初期代表作「地上にひとつの場所を」は、91年に佐賀町エキジビット・スペース(東京)で発表されたものだ。直径15メートルの楕円形のテントの中に、繊細な細工の施されたオブジェがインスタレーションされている。鑑賞者は靴を脱ぎ、綿を敷き詰めたような床を中央部に進み、用意された座に腰を下ろして作品を体験する。
 完結した柔らかな空間の中でそれらのオブジェと向き合う行為は、他ならぬ自分に向き合う事でもあった。精神的世界を鑑賞者が作品から想起しても不思議はない。私は当時を思い出しながら内藤礼に、

 ――6年前のあの作品は、自分のために精いっぱい制作している印象があったよね。だけど、今回の作品は他の誰か、例えばオーディエンスといった、客観的に見る人を想定した作品になっているような印象を受けたんだ……。それにしても、この展覧会を企画した彼(MMKキュレーターのMario Kramer)も、あなたも本当にアートの力を信じているね。それが作品から伝わってくるよ。

私はそう感想を述べた。
 その瞬間、それまで選択した言葉の意味を確認するようにゆっくりと話していた内藤が勢いよく、

――そう、私はアートの力を信じているの。

と確信に満ちた声で繰り返した。彼女は「アートの力を信じている」と繰り返しながら、その言葉を聞いたこと自体が嬉しいことであるかのように満足した表情をみせた。
 佐賀町エキジビット・スペースから6年を経て、フランクフルトのミュージアム・フル・モデルン・クンスト(MMK)主催の企画展のために用意された〈アートの力〉を確信する自信に支えられた新作「たくさんのものが呼び出されている」は、作家の成長に比例して、精神世界を体現する作品としてパワーアップしていることは間違いない。
 この作品では、予約制を採用しているために、鑑賞者は小さなブースで順番をしばし待つ。それは、街の雑踏を抜けてきた鑑賞者が気持ちを落ちかせるための控え室として機能しているようも見えた。その控え室で、「一人で見ることになっていて所要時間は15分であること。カーテンの通路に沿って真ん中まで進み、内側の中央に位置する入口から中に入ったら靴を脱いで木製の座に座って観ること。中を歩くのは良いが、作品が壊れやすいので注意すること」といったガイドを受けながら、説明から受ける作品の大まかな構造をイメージしていると、「どうぞ」と促された。

 扉を開け、暗い部屋の中に入るとそこは別世界だった。白色系の透き通った薄いカーテンの回廊は、歩く事で生じる風によってふわりと左右に広がり幅を広げる。この場にあってはまだ強すぎる歩みを意識的にさらにゆるめるとカーテンは動きを止め、静寂の世界は何事もなかったかのように私を受け入れる。内側のカーテンの中央に用意されたスリットから、内藤礼の作品世界「たくさんのものが呼出されている」に入ってゆく。壁の手前に楕円状に弧を描くように小さな形の良い電球が配置されている。そのため、部屋の奥の方が眩いばかりに輝いて見え、薄明かりに慣れた目にはとても強い刺激を感じる。その明かりは、その背後に立つ壁面、否、壁画を照らし出している。
 「たくさんのものが呼び出されている」は、白い展示壁面を備えた近代的なMMKの空間に展示されているのではなく、そこから少し離れたカルメル会修道院(Karmeliterkloster)内の、かつては食堂として使われていた5つの砂石柱がリズムを刻む空間に設営されていた。先のシルクのオーガンザーによってしつらえられた回廊も、この壁面を守るようにして楕円状の弧を描き、我々がこの壁画に正面から出会うための装置として設営されている。
 カルメル会修道士たちの旧食堂の壁画は、Jorg Ratgeb(1480-1526)の手によって1515年から1521年にかけて描かれたものだという。さすがに画面の一部は剥離しているが、手元のプレスリリースによると、紀元前9世紀のヘブライの預言者であるエリヤとエリシャ(エリヤの弟)に関する人物伝、異教徒によるカルメル修道士の聖地での迫害の物語、そして、聖ルイスの助けを借りての、カルメル修道会のヨーロッパへの移住に関する物語が色彩豊かに、劇的に描かれたものだとある。
 内藤はこれらの壁画との関係性を構造化することで、作品を誕生させた。周到な準備時間が必要であったことは疑うまでもない。

私は、寡作で準備には十分な時間を必要とする内藤礼がどのような経緯でこの作品を誕生させたのか、さらには、直前になってヴェネツィア・ビエンナーレへの参加を承諾するだけの精神的、時間的余裕が持てたのか彼女に尋ねた。

――ヴェネツィアへの参加は確かに悩んだの。一度は断ってもいるの。でも、全て作品はとってあったから、倉庫で確認する手間はあったけど、一度に両方を観てもらうのも良いなと思って。

常に集中している一つのことにしか対応しなかった彼女が、このような積極的な発言をすることに私が驚いていると、さらに、

――今年のこの時期での開催を最終的に強く望んだのはキュレータの彼の方だった。カッセルやビエンナーレの年に開催したい気持ちは、私も分かる。できるだけ多くの人に観てもらいたいから。それでも準備期間は3年以上あったわ。彼は93年のパリ、ロンポワン・ギャラリーでの個展で「地上にひとつの場所」を初めて見て声をかけてくれたの。それと今回の作品の丁度中間に位置する95の年、大阪国立国際美術館での作品「みごとに晴れて訪れるを待て」を日本まで見に来てくれたの。
私も94年にフランクフルトを訪れて、構想を練りはじめ、ドイツ語のものしかなかったカルメル会修道院に関する本を英語に翻訳してもらって、それを読んで歴史を知り、それからそこを幾度となく訪れて感じ、段々とあの作品ができてきたの……。昔の絵の人たちの枕も、ためにしに縫ってみてひっくりかえしたら、ポコッと立体的になって、良いなと思って喜んでいるの。

と続けてくれた。
 彼女が偶然にできたと喜んで語った「枕」とは、床に数列にわたって並べられていた300個程もあった白い不思議なオブジェのことである。数時間前に、背骨のようにも見えるそのフォルムから、有機的で生命的な感覚を感じる自分自身に違和感を覚えながら眺めていたことを思い出す。カーテンと同一素材のシルクのオーガンザーを使って造った「枕」は、比喩としての枕ではなく、中世の人々のための文字どおりの安眠枕なのだ。

それは、展示替えをしたばかりのMMKのギャラリー内のケースに入って、大切に展示されている。これからこの「枕」は、内藤礼のオブジェ作品として、背景にあるこの大きな制作物語を示すことなく単独で旅をし、この展覧会の素晴らしさを体験者した1000人足らずの人々を語り部として伝説化していくのだろう。秘話めいた舞台裏の話を聞きながら私はそんな思いを馳せていた。

場所を戻そう。カーテンの中にいる私は、「たくさんのものが呼出されている」を鑑賞できる残り時間を気にしながら、用意された7つの木製の座の一つに靴を脱いで腰をおろし、作品を鑑賞した。3センチ程の厚みの座の側面にはレースを編んだ緋が巻き付けられている。その他、細部へのさまざまな細工が見えてくると、直径1センチもないような薄い円形のガラス板が数センチの高さに積み重ねられて、各座の近くに他のオブジェとセットになって置かれている状態も見えてくる。さらに、闇と光が出会う距離の地点が冷たく破線状に光っていることにも、その正体が小さなビー玉であることにも気がつき始める。しかし、近づいてそのラインを一跨ぎしようとする段になると、更なる心の平穏が求められているような気分になる。枕の群と壁画を見終わってこちらに戻って来るときもそうであった。今思えばあれは「結界」であったのだろう。

床に置かれた小さな弱々しい多数のオブジェたちと、波打つ砂石の床とで創り出す世界は近未来の惑星都市にも見え、同時に、侵入者である鑑賞者の動きを封じ、見張る、最新鋭のセンサーを思わせた。しかし、それらへの印象は断片への感想だ。私は、内藤礼がコラボレーション的インスタレーションを行なったこの場のための作品を、総合的に鑑賞できたかどうかは定かでない。ただ一つだけ言えるとすれば、あぐらを組み、世俗と隔離された空間に身を預けた私の実感は、『この場にはアートの力が満ちている。そして、アートの力を信じる人たちだけがなしえることのできる企てだ』というものであった。そこには、アート的活動とかアートの質といった昨今の日本でなされる議論など無用で無縁な深淵なアートの世界が広がっていた。

私の15分が終わり、ドアがノックされた。外に出て、中央の一つの枕だけが45度の傾きできれいに決まって置かれていた。それが意図されたものか私は作家に聞いてみた。

――私がチェックした後の最初のゲストがあなたで、並んでいるのを確認したばかりだから、きっとそれは虫のせいよ。虫が枕の上で休んでいたり、下を歩いて動かしているのを見たことあるから。

私は、弟エリシャがお昼寝をした後かもしれないと思っている。


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